[#表紙(img/表紙.jpg)] ニーチェ入門 竹田青嗣 目 次[#「目 次」はゴシック体]  まえがき[#「まえがき」はゴシック体] ニーチェを読むために  第1章[#「第1章」はゴシック体] はじめのニーチェ   一、生涯   二、ショーペンハウアーとワーグナー   三、『悲劇の誕生』について   四、『反時代的考察』について  第2章[#「第2章」はゴシック体] 批判する獅子   一、キリスト教批判——「道徳の系譜」について   二、「道徳」とルサンチマン   三、「真理」について   四、ヨーロッパのニヒリズム  第3章[#「第3章」はゴシック体] 価値の顛倒   一、「超人」の思想   二、「永遠回帰」の思想  第4章[#「第4章」はゴシック体] 「力」の思想   一、徹底的認識論としての(認識論の破壊としての)「力への意志」   二、生理学としての「力への意志」   三、「価値」の根本理論としての「力への意志」   四、実存の規範としての「力への意志」  結び  あとがき[#「あとがき」はゴシック体] [#改ページ]   まえがき ニーチェを読むために  なぜニーチェは現代思想において、近代最大の思想家と見なされるにいたったか。まずこのことについてわたしの考えを述べてみよう。  クロソウスキーというフランスの哲学者がこう書いている。 [#ここから2字下げ]  ニーチェという名前は、「権力への意志」の概念——意志の概念ではなく、純粋かつ単純な権力——とどうしても結びついてしまうようだ。彼がなしとげた事柄についての一種の形而上学的解釈、暴力のモラルをニーチェに見るのが、最も流布している解釈の仕方である。(略)「ニーチェとはいったい誰か?」と無邪気な者は訊ねる。するとラルース辞典は答える。「彼のアフォリズムはドイツ的民族主義(ナチ)の理論家たちに多大の影響を及ぼした」と。(略)だが、後退し、距離を置き、といってもやはり単一の状態にあったときとくらべてヴィジョンをそこに介入させれば、ニーチェという名を持つ体験を、その歴史的コンテクストからと同様に、死後彼の体験が宿命的に横領の対象となったその横領行為からも、正しく救い出すことができるであろう。(「ニーチェの『悦ばしき知識』の基本的テーマについて」『かくも不吉な欲望』所収 小島俊明訳) [#ここで字下げ終わり]  このニーチェ論が書かれたのは一九五〇年代である。この頃までは、ニーチェは、ナチズムに影響を与えた不穏で危険な思想家と見なされることが多かったのだ。その理由は、たとえばまず「権力への意志」という言葉の危険な響き。「神は死んだ」、「一切は許されている」といった言葉からやってくる深いニヒリズムの感覚。反理想主義と反道徳主義における不徳義な印象、などにあった。  しかし、二〇世紀の半ば、それまでの最大の思想だったマルクス主義の凋落と入れ代わるように、フランス思想を中心としてニーチェ・ルネッサンスというべきものが起こる。このクロソウスキーなども中心人物の一人だが、なにより、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズなどといったポスト・モダニズム思想の中心人物たちによる�ニーチェの復権�が、大きくものをいっている。そして現在ではニーチェは、現代思想の最大の源流と見なされている。  ニーチェが、ナチズムに影響を与えた危険な思想家という見方から、近代最大の哲学者という具合に評価が変わってきたその理由は、やはりマルクス主義の崩壊という事態に深くかかわっている。  共産主義社会を理想とするマルクス主義の思想は、その影響力の広範さや深さからいっても、文字通り一九世紀最大の思想だった。マルクス主義の基本の構想は、私的所有と自由市場を廃し、経済を国家の統制において社会から富の獲得のための競争を取り払うというところにあった。なぜこういう思想がでてきたのだろうか。  一九世紀に入って資本主義はその矛盾をあらゆる場面で露呈しはじめた。最大の矛盾は、植民地戦争と帝国主義戦争の収拾のつかない激化である。そもそも第一次大戦以後、戦争それ自体がそれまでとは比較にならぬほど大規模なものとなり、かつ大量死を伴うものになる。また戦闘員だけでなく、一般市民まで巻き添えにするような性格をもつようになった。  国家間の際限のない戦争をどうしたらなくすことができるか。マルクス主義は、この深刻な難問に対して、唯一明快な解答を与えた思想だったと言える。なぜ国家どうしは戦争するのか。その理由は資本主義にある。資本主義は、その本性として国内の市場を超えて絶えず外側に新たな市場を必要とする。だから資本主義国家は、市場と利権を求めて侵略的にならざるをえない。近代国家が資本主義経済を基礎とする以上、必ず、国家権力の絶えざる集中化とそこから生じる他国との絶えざる戦争行為が必然的となる。したがって、この矛盾を根本的に解決する道はひとつしかない。社会から、資本主義の原理のおおもと、つまり私的所有と自由競争を取り払うことである……。  この考え方はとても強力な説得力を持っていた。なによりそれは、世界中の人々が資本主義と国家権力が生み出す大きな悲惨に対抗しなくてはならないと感じていたとき、その希望に明確な展望と方向を与える思想として登場したからである。こうして、二〇世紀の初頭、マルクス主義は世界のほとんどの国で、社会変革のための実践思想として圧倒的な影響力をもった。  ところで、カール・マルクスとニーチェは、ともに一九世紀の後半にその思想の舞台を持つ。思想史上のコンテクストとしては、やはりともに、一九世紀前半にヨーロッパに君臨したヘーゲル哲学への強力な反対者として位置づけられる。その意味で二人は一九世紀思想の最後の両雄であり、ライバルどうしだったといえるが、この両者の勝負は、まずは圧倒的にマルクスの勝利のうちに進んだといえる。  その理由は明らかであって、当時ますます深刻化していた悲惨な侵略や戦争に抗い、これを克服するための思想としては、ニーチェの思想はほとんど使い物にならなかった[#「使い物にならなかった」に傍点]からである。マルクス主義は、人類がいかに国家間の侵略や戦争という事態を克服できるかという、まさしく二〇世紀最大の思想的課題にはっきりと答えようとした無比の思想だったのだ。  しかし一世紀たった今わたしたちが見ているのは、マルクス主義の没落と現代思想におけるニーチェの復権という事態である。この極端な逆転はなぜ生じたのか。  第二次大戦後、世界はアメリカ、イギリス、フランスを中心とする自由主義諸国と、ソ連、中国を中心とする社会主義国との、東西対立の冷戦構造に入る。ここで世界は、自由主義(資本主義)と社会主義のどちらが国家体制としてうまくいくか、という未曾有の実験を体験したのである。  その結果はどうだったか。簡単に言うと、それが持っていた理念や理論はどうあれ、現実としては、自由主義国家は資本主義の矛盾を絶えず修正しつつなんとかかんとかうまくやってきた。ところが社会主義国家はたいてい極端な権力社会になった。社会的不公平感が広がり、経済的にも成果がみられず、結局一九八〇年代にはほとんどの社会主義国が瓦解するという事態にたちいたったのである。  社会主義の実験はなぜ失敗に終わったか。これについては、百人百様の議論が出ているが、一般的な直観はおそらく一致している。社会主義社会が例外なく極端な「権力ゲーム」の社会になったということである。社会主義は、資本主義のいわば「金儲けゲーム」を取り払ったその代りに、専制的な「権力ゲーム」の社会を作り上げてしまったのだ。  マルクス主義思想は、もともと「いかに国家の権力を死滅させるか」という課題を中心の目標としていた。それが、権力を死滅させるかわりに、自由主義国家以上の極端な権力ゲームの国家を作ってしまった。ヨーロッパをはじめとして、それまで社会主義に望みを託していた世界中の知識人や文化人たちはこの事実に大きなショックを受けた。フランスのポスト・モダニズム思想は、マルクス主義に対するまさしくそのような違和感を中心のモチーフとしていたのである。  さて、ニーチェである。なぜニーチェは、「ポスト・マルクス主義」の位置を占める二〇世紀の新思想の源泉としてクローズ・アップされるにいたったか。  国家の死滅を叫び、国家権力を解体しようとして現われたマルクス主義思想が、自ら巨大な権力国家を作り上げてしまったこと。この事実はいわば二〇世紀ヨーロッパ思想最大のトラウマとなった。だから、資本主義の国家権力だけではなくむしろ権力一般を解体するような思想を見いだすこと、これがポスト・モダニズム思想の重要な課題となった。そしてニーチェの思想は、まさしくこの課題に強力な根拠を与えるものとして蘇ったのだ。つまり、ここでニーチェの思想は、なにより「権力的なもの」、「権力を作り上げる力学」に対する強力なアンチ・テーゼとして読み直されたのである。  ポスト・モダニズム思想で、とくにニーチェを重要な柱としたのは、ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズなどである。  たとえばフーコーには、『言葉と物』、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』などの膨大な資料と精密な論証を駆使した仕事がある。フーコーはここで、ヨーロッパ近代社会の歴史を基本的に「知=権力」の歴史として描き出す。フーコーの歴史観には独自のものがあって、それはつまり、そもそも歴史記述とは、じつは必ず何らかの権力を支えようとする「知的観点」から秩序を与えられているものにすぎない、という考え方である。そしてこの考え方はニーチェをその源流としているといってよい(たとえば、「事実などは存在しない、ただ解釈だけが存在する」『権力への意志』、「定義することのできるものは、歴史をもたないものだけである」『道徳の系譜』)。  フーコーの歴史観の考えの基本は、近代的な「権力」は暴力によってではなくむしろ「知」によって組織される、ということだ。また、この「知」は、暴力のように上から下される強力な抑圧として存在するのではなく、個々人のうちに「内面化」されることによって、いわば隠れた「権力」として機能する。「アルケオロジー」と呼ばれるフーコー独自の歴史学は、いかに�見えない権力�を把握し解体するかという点にその中心のモチーフをもっていた。ニーチェは、そのようなフーコーの仕事の理論的な基礎となっているのである。 『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』(いずれもフェリックス・ガタリとの共著)などで知られるドゥルーズもまた、ニーチェの思想を大きな源泉としている。というより、ドゥルーズは現代思想におけるニーチェ復権の最大の功績者といえるだろう。  ドゥルーズがニーチェから受け継いだ考え方の核心はふたつある。ひとつは、ニーチェの「系譜学」の概念に由来するもので、近代哲学をその問題の内容において問わないで、その「起源」、つまり「なぜそのような問題が設定されたか」という点を問題にする、という考え方をとる。もうひとつは、伝統的に近代哲学が問題にしてきた「認識」や「真理」については問わないで、つねに事象の「意味」や「価値」を問題にする、という考え方である。  近代哲学の問題の内容を問わないで、その「起源」を問うとはどういうことか。たとえばニーチェの次のような言い方を見よう。 [#ここから2字下げ]  根本洞察。すなわち、カントも、ヘーゲルも、ショーペンハウアーも——懐疑論的・判断中止論的態度も、歴史主義的態度も、ペシミズム的態度も——道徳的[#「道徳的」に傍点]起源をもっている。(『権力への意志』原佑訳) [#ここで字下げ終わり]  カントは「物自体」と言い、ヘーゲルは「絶対知」を主張した。またショーペンハウアーはペシミズムを説いた。しかしそれらの言説は要するに、人間に「道徳[#「道徳」に傍点]」を勧めるため[#「を勧めるため」に傍点]に語られているのである。そうニーチェは言っている。  認識論(=正しい認識は可能かという問題)を動かしているのは、じつは認識それ自身の問題[#「認識それ自身の問題」に傍点]ではない。支配された人間や弱者が、自分のみじめな現実を打ち消そうとして生み出した「禁欲主義的理想」、これが「認識問題」の真の「起源」である。ニーチェの系譜学の核心は、このようなかたちで哲学において隠蔽されているものを明るみに出すことにある。ドゥルーズはそう主張する。  哲学において「認識」とは、つまり「現実の打ち消し」というモチーフを隠している。それは、生が本来孕んでいる「無秩序と矛盾」を直視しないで、つねに世界を整理されたものと見ようとする一種の�弱さ�からきているのである、と。ドゥルーズはこれを「認識と生の対立」と呼ぶ。 [#ここから2字下げ]  認識と生の対立、二つの世界の区別は、その真の性格をあらわにする。それは道徳的起源をもつ区別であり、道徳的起源をもつ対立である。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』足立和浩訳) [#ここで字下げ終わり]  哲学における「正しい認識」という問題は、じつは「道徳的起源」を持つ。この「道徳的モチーフ」は、人間の本質的な�弱さ�に由来している。ニーチェの「系譜学」なる概念の核心はそういう問題にある。そうドゥルーズは言うわけだが、なぜそういうことが新しいニーチェ的問題として取り出されたのだろうか。  その理由は、この概念が、マルクス主義が色濃く持っていた「認識の絶対性」という考え方、「絶対的真理」とか「歴史的必然」とかいう考え方を解体する上で、重要な論拠をなすからである。  マルクス主義には、「認識の正しさ」と「倫理的(道徳的)な正しさ」を強く結びつける性格があった。つまり、マルクス主義の世界観は�絶対的に正しい認識�に基づいたものであり、そうである以上だれもがその思想に同調し、それが示す目標の実現のために行為しなくてはならない、という考え方が強く支配していた。これは一歩間違うと、ある主義やイデオロギーが世の中を支配したとき、これに疑問を持ったり、異議を唱えたりすること自体が、「誤謬」あるいは「悪」として排除されるという可能性につながる。実際マルクス主義は、スターリニズムというかたちでそういう事態を大規模に引き起こしたし、ファシズムやその他宗教的ファナティスムの場合も、これとまったく同じである。  要するに、「知」や「認識」が何らかの仕方で絶対化されると、それは「権力」を支える強力な道具になりうる。ニーチェはキリスト教に対してそのような「正しさ=真理」の危険性を指摘したのだが、ドゥルーズをはじめとするポスト・モダニストたちは、そこに二〇世紀の「知」と「権力」の問題を読み解く重要なキーを見出したのだ。  さきに見たように、マルクス主義が試みた近代国家乗り超えの試みは、自らがより強大な「権力」を生み出すという逆説的な事態を生み出した。そもそも、ポスト・モダニズム思想には「知」、「認識」、「論理」の絶対性に対する強い異議が存在するが(反=真理主義、反=ロゴス中心主義、反=理性主義等)、それは「知」と「権力」が独自の仕方で結びつくことへの強い反省があるからだ。ニーチェがポスト・モダニズム思想の最大の源流となったことには、そのようなはっきりした理由があったのである。  さて、いま見てきたような現代思想の流れが、現在どのような場面にさしかかっているかについては、ここではこれ以上詳しく論じられない。  わたしの考えを言っておくと、ポスト・モダニズム思想は、ヨーロッパ思想の「真理」や「認識」という中心概念を解体することに成功した。しかしそのあとマルクス主義を超えて進むべき新しい展望を示しえたかというと、この点では大きな壁にぶつかったといわなくてはならない。  わたしがニーチェを読み直して強く持った印象は、ポスト・モダニズムはニーチェ思想の可能性をその一番深いところまでは汲んでいない、ということである。これは以後繰り返し出てくることになるが、ニーチェ思想の柱は三つある。ひとつは「ルサンチマン批判」。ひとつは「これまでの一切の価値の顛倒」ということ。そして最後に、「ニヒリズムの克服」すなわち「価値の創造」ということである。ポスト・モダニズム思想は、はじめのふたつについてはニーチェの可能性をうまく汲み上げている。しかし最後の点についてはその可能性をむしろ殺している、というのがわたしの考えである。  わたしたちはこれからニーチェの思想を辿っていくが、まずニーチェと現代思想のこのような関係を意識しておくのは無意味なことではないと思う。  ニーチェの思想は、まずキリスト教批判をはじめの軸としている。それから、ヨーロッパ近代哲学における「認識」と「真理」という根本テーゼを、これとひとつのものとして批判する。つまり、キリスト教と近代哲学を根本的に批判することによって、ニーチェは、ヨーロッパにおいて打ち立てられてきた「人間」観を根本から否定することになる。この批判がどれほど徹底したものだったかは、本書を読み進んでいけば分かると思う。  しかし、ニーチェにおいてなにより大事なのは、この徹底した批判が根本的に�新しい人間観�によって支えられているという点である。しかもこの人間観はまた、単にいままでに類例のない人間観だというのではなく、ひとつの根本原理の「発見」によって支えられている。「力」の思想こそその根本原理である。  ニーチェの思想は、なぜ「意味」と「価値」についての新しい思想と言えるのか。このことは本書における最も重要なテーマとなるだろう。というのは、この問題なしには「価値の創造」について何ひとつ語れないからである。 [#改ページ]   第1章[#「第1章」はゴシック体] はじめのニーチェ [#改ページ]   一、生涯  ニーチェの生涯のいくつかの重要な結節点を素描することからはじめよう。  第一期。まずニーチェの誕生。一八四四年、かつてのプロシャ・ドイツ、チューリンゲン地方のレッケンという田舎町に生まれる。父親はプロテスタントの牧師で、両親とも代々牧師の家系だった。宗教的な厳格さと女系家族的雰囲気の中で育てられたが、このことは後の彼の激しいキリスト教批判と無関係ではない。  ルターの宗教改革に始まるプロテスタンティズムの特質は、なにより信仰を「教会」という制度から「個人」に取り戻して、それを内面化する点にあった。そこから、内的な禁欲主義が強く出てくる。ニーチェのキリスト教批判の眼目の大きな柱として、この禁欲主義に対する批判がある。  彼のはじめの直観は、あらゆる「禁欲主義」には�自己欺瞞�がつきまとっているということだったかも知れない。そういう意味でニーチェもまた、多くの優れた思想家がしばしばそうであるように、自分が属していた文化(共同体)への違和感と疑念をバネにして自らの思想を育てた思想家だったといえるだろう。  第二期。ボン大学とライプツィヒ大学での修業時代とバーゼル大学教授の時代。  彼は子供の頃から神童ぶりを発揮した。ドイツでも名門のギムナジウム(シュール・プフォルタ)に入り、そこから一八六四年ボン大学に入学、翌年ライプツィヒ大学へ転じる。専攻は、はじめ神学と古典文献学のふたつ。後に神学をすすめる母の強い希望を退けて、古典文献学に絞る。その経緯から見ると、ふたまた専攻は母親へのカムフラージュだったかもしれない。そして彼は、ギリシャ古典文献学の分野で驚くべき才能を見せる。  ニーチェの師リッチュル教授はこの若く優秀な弟子を愛した。教授の推薦でニーチェは、一八六九年、二五歳の若さでバーゼル大学の教授となる。異例の抜擢だった。この前後に、ニーチェは、音楽家ワーグナーと哲学者ショーペンハウアーという、若き彼にとっての二人の「神」に出会っている。  ワーグナー体験とショーペンハウアー体験。これが若きニーチェの最大の思想的事件だった。まず論壇上の処女作といえる『悲劇の誕生』(一八七二)は、外見上はギリシャ文化論だがその中身はワーグナー論と考えていい。そして『反時代的考察』(一八七六)には「教育者としてのショーペンハウアー」という論文がある。  第三期は、病気のために大学を辞し、著述家として『ツァラトゥストラ』を書くに至るまでの時期。  ニーチェはすでに一八歳の頃からしばしば頭痛の発作に苦しんだ。それ以来身体の不調に悩まされることが多かったが、この時期は病苦の最もひどい時期だった。年譜などによると二九歳のとき突然「激しい偏頭痛」におそわれ、以後身体の不調はなはだしく、結局三二歳で大学を止めて年金生活に入る。  そののち、よい気候を求めてスイス、イタリア、南部フランスなどの保養地をめぐりながら著述活動を続け、『人間的、あまりに人間的』(一八七八)、『曙光』(一八八一)、『悦ばしき知識』(一八八二)などを書く。ニーチェ思想の本格的な形成の時代だといってよい。つまり、これまでの一切の価値(ヨーロッパにおける人間の理想)を「顛倒」するという壮大な試みと、それを裏づける「力の思想」の形成期である。またこの間、よく知られたルー・ザロメとの出会いという事件があるが(一八八二年、三八歳のとき)、これについては後に触れよう。  第四期は、『ツァラトゥストラ』を完成し「永遠回帰」の思想を確立する時期。  ニーチェにはその思想形成において、二度、よく知られた�啓示体験�がある。一度は一八八一年夏、エンガーディンのシルス・マリアに滞在中シルヴァプラナ湖畔で突然「永遠回帰」の思想に襲われる。二度目は、一八八三年二月、ジェノヴァ近くの海の入江を散策しているとき。『ツァラトゥストラ』全体のインスピレーションに打たれ、一〇日間の間に『ツァラトゥストラ』第一部を一気に書き上げる。それは、「突然、口に言えないほどの確実さと精妙さで、何か人を奥底から揺り動かし覆す或るものが目に見え[#「目に見え」に傍点]、耳にきこえるようになるという意味での啓示」(『この人を見よ』阿部六郎訳)だったという。  結局『ツァラトゥストラ』は一八八五年にほぼその全体が出来上がる。翌一八八六年の『善悪の彼岸』、さらに翌一八八七年の『道徳の系譜』。そして八二年ころから書きつがれる『八〇年代の遺稿から』(『権力への意志』としてまとめられる)。この時期が、いわばニーチェ思想の最も豊かな実りの秋である。「キリスト教批判」、「ニヒリズム」、「力の思想」、「超人」、「永遠回帰」などの諸思想が、緊密に結び合いながら深いレトリックによって明瞭な輪郭をとる。  そして第五期。錯乱期と呼ぶべきか。一八八八年、ニーチェは『偶像の黄昏』、『反キリスト者』、『この人を見よ』、『ニーチェ対ワーグナー』などをたてつづけに書き上げ、最後のはなばなしい輝きを見せる。この年の末友人にあてた手紙にすでに精神錯乱の徴候が現われる。そして翌一八八九年、トリノのカルロ・アルベルト広場で昏倒。以後死に至るまでのほぼ一〇年を、ニーチェは狂気のうちにすごすことになる。一九〇〇年ワイマールで死去。五五歳だった。 ———————————————————————————— 早分かり年表[#「早分かり年表」はゴシック体] [#ここから1字下げ] 第一期[#「第一期」はゴシック体] 一八四四年  0歳 [#ここから3字下げ] プロシャ、ザクセン州レッケンに生まれる。 [#ここから1字下げ] 一八五八年  14歳 [#ここから3字下げ] 名門プフォルタ学院に入学。 [#ここから1字下げ] 第二期[#「第二期」はゴシック体] 一八六四年  20歳 [#ここから3字下げ] ボン大学に入学、神学および古典文献学を専攻。 [#ここから1字下げ] 一八六五年  21歳 [#ここから3字下げ] 師リッチュル教授を追って、ライプツィヒ大学に移る。専攻を古典文献学に絞る。ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』を古本屋でみつけ、読みふける。 [#ここから1字下げ] 一八六七年  23歳 [#ここから3字下げ] 前年プロシャ・オーストリア戦争が起こり・砲兵連隊に入営(翌年除隊)。 [#ここから1字下げ] 一八六九年  25歳 [#ここから3字下げ] リッチュル教授の推薦により、バーゼル大学の教授となる。 [#ここから1字下げ] 一八七二年  28歳 [#ここから3字下げ] 論壇上の処女作といえる『悲劇の誕生』[#「『悲劇の誕生』」はゴシック体]を出版。 [#ここから1字下げ] 一八七六年  32歳 [#ここから3字下げ] 『反時代的考察』[#「『反時代的考察』」はゴシック体]の最終部を刊行(七三年より)。この頃から、健康状態が極度に悪化。大学を休職。第一回バイロイト祝祭劇でワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」を聴き、幻滅を感じる。 [#ここから1字下げ] 第三期[#「第三期」はゴシック体] 一八七八年  34歳 [#ここから3字下げ] 『人間的、あまりに人間的』[#「『人間的、あまりに人間的』」はゴシック体]第一部を出版。激しい頭痛や眩暈などの発作つづく。 [#ここから1字下げ] 一八八一年  37歳 [#ここから3字下げ] 『曙光』[#「『曙光』」はゴシック体]を出版。スイス、シルヴァプラナ湖畔で「永遠回帰」の思想のインスピレーションを受ける。 [#ここから1字下げ] 一八八二年  38歳 [#ここから3字下げ] ローマでルー・ザロメを知る。ザロメに求婚するが断られる。『悦ばしき知識』[#「『悦ばしき知識』」はゴシック体]を完成。 [#ここから1字下げ] 第四期[#「第四期」はゴシック体] 一八八三年  39歳 [#ここから3字下げ] ジェノヴァ近くの海辺で突然『ツァラトゥストラ』の構想を得、一〇日で第一部を書く。その後、シルス・マリアで『ツァラトゥストラ』第二部を書く。 [#ここから1字下げ] 一八八五年  41歳 [#ここから3字下げ] 『ツァラトゥストラ』[#「『ツァラトゥストラ』」はゴシック体]を完成。出版社が見つからず、私家版として出す。 [#ここから1字下げ] 一八八六年  42歳 [#ここから3字下げ] 『善悪の彼岸』[#「『善悪の彼岸』」はゴシック体]を完成、出版。 [#ここから1字下げ] 一八八七年  43歳 [#ここから3字下げ] 『道徳の系譜』[#「『道徳の系譜』」はゴシック体]を完成、出版。 [#ここから1字下げ] 第五期[#「第五期」はゴシック体] 一八八八年  44歳 [#ここから3字下げ] 『偶像の黄昏』[#「『偶像の黄昏』」はゴシック体]、『反キリスト者』[#「『反キリスト者』」はゴシック体]、『この人を見よ』[#「『この人を見よ』」はゴシック体]、『ニーチェ対ワーグナー』[#「『ニーチェ対ワーグナー』」はゴシック体]などを立て続けに完成させる。このころからニーチェの評価がヨーロッパで少しずつ高まる。年末頃友人に宛てた手紙に、精神錯乱の徴候が現われる。 [#ここから1字下げ] 一八八九年  45歳 [#ここから3字下げ] 一月、カルロ・アルベルト広場で昏倒。精神病院に入る。診断は「進行性麻痺症」。 [#ここから1字下げ] 一九〇〇年  55歳 [#ここから3字下げ] 八月二五日ワイマールで死去。故郷レッケンに葬られる。 [#ここで字下げ終わり] ————————————————————————————   二、ショーペンハウアーとワーグナー  誰しも青年期に独自の「神」(アイドル)を持つ。ニーチェの場合ショーペンハウアーとワーグナーがそれであった。  ニーチェがショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』に出会ったのは、ライプツィヒ大学に移って間もない頃で、古本屋の店頭で彼はこの本をたまたま手にする。そして数日の間、ニーチェは夢中になってこの本に没頭することになる。ニーチェ自身の回顧にこんなふうに書かれているという。 「或る日、私は古本屋でこの本を見つけ、全然未知のものであったので手にとってページを繰った。≪お前はこの本を家に持ち帰れ≫と私に囁いたのはどういうデーモンであったか私にはわからない。いずれにせよこれは書物の購入をあまり急がないという私の日頃の習慣に反した出来事であった。家に帰ってこの獲得した宝を手にしてソファーに身を投げ、あの精力的な陰鬱な天才を自分に作用させ始めた。ここでは各行が断念、否定、諦念を叫んでいた。ここに私は、世界、生、自分の感情が大写しにして眺められる鏡を見た。(略)ここに私は病気と治癒、追放と避難所、地獄と天国を見た。自己認識の要求、それどころか自己噛砕が私を荒々しく包んだ」(ちくま学芸文庫版『反時代的考察』小倉志祥解説より孫引き)。  要するに、ニーチェは『意志と表象としての世界』という書物の中に、自分自身の存在を、今までとはまったく違ったかたちでみごとに説明し表現してくれる新しい理論を見出したのである。これは才能ある青年にしばしば起こることだ。だが、何といってもニーチェはまだ二一歳である。ショーペンハウアーの厭世思想は当時の流行思想であり、これに一撃を受けた思想青年は少なくなかった。彼が独自の思想家となるためには、このはじめの「世界の発見」をもう一度確かめなおす道を自分で見つけ出す必要があった。  やがてそうなるのだが、それにしてもニーチェに与えたショーペンハウアー思想の影響は相当深く、それは『悲劇の誕生』そして『反時代的考察』というふたつの著作にはっきりと刻印されている。  ワーグナーもまた同様である。もともとニーチェはピアノを弾き作曲もするような音楽青年だった。はじめてワーグナーを聴いたのは一七歳のときだが、大学に入ってワーグナー熱はますます激しくなる。二四歳のとき、つまり古典文献学の修業中だがたまたまワーグナーがライプツィヒに来る機会があり、ワーグナーへの思いもだしがたく、彼はリッチュル夫人の紹介ではじめてワーグナーに逢うことになる。以来ニーチェはしげしげとワーグナーのもとに通い、二人は親交を交わすようになる。中心のテーマはやはり音楽や芸術についてであり、またショーペンハウアーの哲学についてだった。  ワーグナーは当時すでに「新ドイツ音楽」の旗手として名を馳せていたのであり、これも新時代の流行芸術家だったわけだ。その後ニーチェはリッチュル教授の推薦でバーゼル大学の教授になり(二五歳)、二八歳のときにギリシャ古典論に姿を借りたワーグナー論と言える『悲劇の誕生』(原題は『音楽の精神からの悲劇の誕生』)を書く。  しかしこの『悲劇の誕生』は、アカデミズムからはまったく白眼視される。というのは、この論文のテーマは、ひとことで言って「なぜワーグナーの音楽は素晴らしいか」、「いかなる理由でワーグナーは天才か」ということであり、いわば極めてジャーナリスティックな性格を持つものだったからだ。学問的な場所からはすぐに痛烈な反論が出る。リッチュル教授も不興を隠さない。古典文献学は厳密な客観主義を重んじる学問だったから、それは当然と言えば当然の反応だった。  注意していいのは、ニーチェが師リッチュルの異例の抜擢によって大学の教授の職を得、学者としての順風満帆の出発を歩みはじめたばかりのときに、その結果が分かりきっているにもかかわらず、このような本を出版したということだ。  しかしともあれ、やがてニーチェのワーグナー熱は一八七六年、三二歳のあたりで終る。この年第一回バイロイト祝祭劇が開かれ、ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」四部作が演じられるが、ニーチェはこれに痛く失望して途中で劇場を出る。翌々年『人間的、あまりに人間的』が書かれるが、ここではもはやワーグナーは失墜した偶像として扱われるのである。  二〇歳でボン大学に入学してから、大学教授になり、バイロイト祝祭劇のワーグナーに失望する三二歳までの時代がニーチェの第二期である。この時代を要するに、ショーペンハウアーとワーグナーという二人の「ジュピター」を戴いた時代だった、と考えることができる。いわばニーチェの「ロマン主義時代」と呼んでいいだろう。なにより『悲劇の誕生』と『反時代的考察』は、ショーペンハウアーとワーグナーに媒介されてわき上がった青年ニーチェの「ロマン主義」のかたちを如実に示しているからだ。  ショーペンハウアーは,すでにニーチェが一六歳のときにこの世を去っているが、『意志と表象としての世界』によって厭世哲学の代表者として当時から盛名をはせていた。『意志と表象としての世界』のテーマを要約するとだいたいつぎのようになる。  まず、ショーペンハウアーは世界をふたつのものに区分する。ひとつは世界の一切の現象(=「表象」)。もうひとつはこの一切の現われの根本原因となるもの、つまり「意志」である。この考えは一見分かりやすそうでいてじつはそうでもない。  たとえばこの考えについてわたしはこんな例をあげたことがある。麻雀ゲームをしたことのある人なら、必ず勝ったり負けたりの波があることを知っている。だがそれだけではない。人はその勝ち負けの波を「ツキ」と呼んで、あたかもそれを実在的なもの[#「実在的なもの」に傍点]のように感じるし、またそのように振る舞う。「ツキ」を変えるために場所にこだわったり、いろんな試みをしたりする。そしてそのことを誰も変なこととは思わない。  医者が風邪の患者を治すために「ゲン」をかついで、注射の場所を手にしたり足にしたりするとすれば、誰でも嗤うだろう。しかし相撲取りが「ゲン」をかついで髭を剃らなかったり、特定の言葉を口にしなかったりするのを怪しむ人はいない。ふつうの人間にとって人生は競争であり、勝負である。そういう場面では「運」とか「ツキ」というものが人間の競争や勝負の結果を作用する大きな原因のように感じられる。これはつまり、人間は自分の運命を左右するあらゆる事象についてその「原因」を想定せずにはおれない本性を持っているということだ。それを哲学的に引き延ばすと「根本原因」という概念になる。そういう意味で、人間は「根本原因」とか「根本動因」とかを想定せずにはいられない生き物なのである。  そこでショーペンハウアーにもどると、「表象」と「意志」という区分は、いま見たような「世界の現われ(=表象)」とその根本原因としての「意志」という区分だと考えていい。しかし、世界の現われの根本原因がなぜ「意志」なのかは、イマイチ分かりにくいだろう。じつはこの「意志」は、ほとんど「神」と言うのに近い。デカルトやスピノザやバークレーの時代なら、確実に「神」と言ったのだが、さすがにショーペンハウアーの時代は一九世紀で、はっきり「神」と言うのは憚られる。そこで、いわば世界には「何だか知らないけれど、根本として意志するもの[#「意志するもの」に傍点]がある」と言っているのである。  こういう考えを「汎神論」と呼ぶことができる。これは哲学以外の領域でも根強く存在しているしなかなか滅びない考え方だが、現代哲学の土俵ではだいたい死滅した考え方だ。まず世界を動かしているいちばんのおおもと(=根本原因)というものを想定するわけだが、「いちばんのおおもと」と言う以上それはつまらないものだと具合が悪い。いきおいそれは、たとえ「神」といわないまでも、何か「根源的なもの」、「永遠なもの」というかたちでイメージされることになるのである。  さて、ショーペンハウアーによれば、個々の人間存在の意志(意欲、欲望)は、あの「根本的なもの」としての「意志」の個別的な現われ[#「現われ」に傍点]である。つまり「意志」とは人間の「意識」、「悟性」、「理性」といった現象の根拠をなす根本的で根源的な「意志」を意味する。それは「生きんとする意志」とか「生へのあくなき意欲(欲望)」というのが分かりやすいように思う。  根本的な「意志」の具体的現われとしての人間の「生へのあくなき意欲」は、当然はげしくせめぎあって矛盾に満ちた世界を作り出す。人間の世界は恐ろしい混乱と戦い、矛盾と悲惨の繰り返しだが、その根本原因はやはり人間の「あくなき欲望」にある。これまでの近代哲学は、そこに理性と調和をもたらす原理を求めてきたが、それはいわばごまかしにすぎない。世界の根本原因は「意志」なのであり、そうであるかぎり人間の生の本質は「苦悩」であるというほかない。  またショーペンハウアーによると、人間は理性によってこの世界の矛盾(生の苦悩)を解決することはできない。人間はただ、この苦悩をある仕方で慰めることができるだけだ。その方策とは、「哲学」、「芸術」そして「宗教」である。こういうショーペンハウアーの考え方は仏教の基本の考えと似ている。仏教もまたまず世界を欲望のせめぎあう場と捉え、そうである以上この「矛盾」は解決不可能なものであると見なす。したがって唯一「欲望を脱却すること」以外には、人間が生の「苦悩」から脱却する術はない。これは世界の矛盾についてのひとつの突き詰められた考え方であるといってよい。  ところでしかし、いまから見るとショーペンハウアーのこの厭世哲学は、古色蒼然とまでいかなくとも相当古い感じがする。その理由は、世界および人間の生の矛盾は解決不可能である、というペシミズムの論理が、それまでの近代合理主義的な発想、近代哲学の理性への信頼への�反動�(=リアクション)という性格が強く、哲学それ自身の方法としては本質的な新しさに欠けるからである。  ともあれニーチェは、このようなショーペンハウアーの哲学の一撃を見舞われる。その内実を見るために、『悲劇の誕生』と『反時代的考察』について考えてみよう。   三、『悲劇の誕生』について 『悲劇の誕生』は、バーゼル大学教員時代に書かれた論壇上の処女作といえるものだ。ニーチェの青年時代の二人の「神」である、ショーペンハウアーとワーグナーの体験がここに結実しているのだ。  いまその中身を三つの柱を立てて整理してみよう。第一に「悲劇」論として。第二に音楽芸術論として。そして第三に、主知主義批判として。  まずその実質的なモチーフはつぎのようなことになる。「いまや現代ドイツに真の芸術的天才が現われた。それこそワーグナーである。ワーグナーの音楽が体現するのは〈ギリシャ悲劇〉の精髄にほかならない。ではこの〈悲劇〉とはどういう概念か?」と。  ワーグナーの音楽の現代的意味は何か。それが真の意味で「悲劇」の概念を体現していることにある。ではギリシャ悲劇における「悲劇」の概念をもう一度考えなおしてみよう。実際の記述の順序はすこし違うが、ニーチェの思考はそういうかたちで進む。そして、このニーチェの「悲劇」の概念の核を支えるのがショーペンハウアーの哲学なのである。  彼はこの「悲劇」の概念を導くために、ホメロス→ドーリス芸術(スパルタの様式)→アッティカ悲劇(アテネ)と推移するギリシャ文化の変遷を辿ってみせる。それが『悲劇の誕生』の大きな構成をなしているが、ここでよく知られているのは何といっても「アポロン的」と「ディオニュソス的」という対立的な概念である。このふたつの概念は、ギリシャ文化の変遷を押し進める基本の二契機とみなされているから、それが何を意味するかを図示してみよう。 [#挿絵(img/fig1.jpg)]  まずアポロン神は光明と芸術を司る。理知にあふれた予言の神でもあり、情念を芸術へと形象化する力[#「形象化する力」に傍点]を象徴する。これに対して、ディオニュソス神は酒精の神で、祝祭における我を忘れた狂騒や陶酔を象徴する。現代的な言い方をすれば、アポロン神は混沌に形を与える力を、ディオニュソス神は、秩序化され形式化された世界にもう一度根源的なカオスを賦活するような力を司ると考えればいい。気がついた人もいるかも知れないが、これはじつはショーペンハウアーによる、根源としての「意志」とその形象化(現われ)としての「表象」という区別の変奏なのである。  こうしてニーチェは、従来アポロン的な側面で理解されることが多かったギリシャ芸術の見方に、「ディオニュソス的」という新しい要素を投げ入れる。そして、ギリシャ芸術はこの二つの要素のダイナミックな絡み合いとして動いていくという。たとえばこんなぐあいに彼は書く。 [#ここから2字下げ]  すなわち、このはなはだしく異なった二つの衝動は、多くの場合公然と軋轢を続けながら、繰り返し新たに層一層強健な児を設けるように相互に刺戟し合っては、「芸術」という共通の言葉が単に外見上橋渡ししているにすぎないかの対立の闘争の跡をこれらの産児のなかに永久にとどめるべく、相並んで進んで行く。かくして遂にこの二つの衝動は、ギリシャ的「意志」の形而上学的奇蹟行為によって、相互に配偶されて現われ、この配偶によって、遂にアッティカ悲劇というアポロン的たると共にまたディオニュソス的なる芸術作品を産むに至るのである。(『悲劇の誕生』塩屋竹男訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり]  この「アッティカ悲劇」に、ニーチェ的「悲劇」の概念のモデルがある。それは「アポロン的たると共にまたディオニュソス的」でもある芸術と言われるが、彼はその象徴的な例として、アイスキュロスの悲劇『プロメテウス』について論じる。このニーチェの『プロメテウス』論はニーチェ思想全体に対して大変重要な意味を持っているので、すこし詳しく見ることにしよう。  アイスキュロスの世界観には、一方で深く「正義を求める」アポロン的傾向がある。しかし彼に描かれたプロメテウスはそれにおさまらない独自の性格をもっている。プロメテウスは「英雄」だが、この英雄は、単に大きな苦難に打ち勝って偉大な業績をなし遂げるという類型の「英雄」ではない。  プロメテウスは、神々の世界への冒涜としてまた略奪として火を支配しようとする。そのことによって人類は「洪水のような苦悩と悲哀を」被ることになるのだが、しかしアイスキュロスは、プロメテウスのこの行為を「能動的な罪」と見なす。つまりアイスキュロスはこの行為を、人間の欲望の本性に由来する必然的な災いとしてまた必然的な罪として是認[#「是認」に傍点]し、またそこから生じた人間の大きな苦しみをも是認[#「是認」に傍点]するのである。そこにアイスキュロスの悲劇の独自性がある。ここには、いわばアポロン的な英知と理性としての人間像を超える要素がある。そうニーチェは説く。  プロメテウスは神々の世界から火を盗み、そのことで人間の世界に大きな利益をもたらすと共に大きな争いをも生じさせることになる人物である。まずここにふたつの考え方が成り立つだろう。ひとつはこうである。プロメテウスの行為は、それまでの牧歌的な人間の世界に文明という新しい原理をもたらすことを象徴するわけだが、これは人間に新しくて強い欲望を与えそのことで大きな争いの原因を持ち込むことになる。したがってその行為はあるまじきことだった、それはなかった方がよかった[#「なかった方がよかった」に傍点]、という考え方だ。  かつては人間はつつましく必要最小限の糧によって暮らしていたがまた争いごともなかった、本当はその方がよかったのだという考え方は、現在でもさまざまな変奏形態をとって存在する。たとえばルソーの「自然に帰れ」という理念などはその典型だと言える。  しかしニーチェは、アイスキュロスこそは、人間が文明の原理を導くことでさまざまな新しい矛盾や争いを生じさせたという事態をはじめて積極的に是認[#「是認」に傍点]し、肯定する考え方を示した悲劇作家だった、と言う。つまり彼はここで、アイスキュロスを借りて、文明は人間の世界に新しい大きな矛盾をもたらしたかも知れないがそのことを否定すべきではない、むしろこの事態を是認すべきだ、という考え方を明確に打ち出しているのである。  ここには『悲劇の誕生』一篇におけるもっとも中心的な観念がある。ギリシャ悲劇における「悲劇」という概念のエッセンスは、人間のさまざまな努力にもかかわらずそれを超えた大きな力がこの世には存在する、という認識にあるのではない。むしろ、人間はその欲望する本性によってさまざまな矛盾を生み出してしまう存在だが、それにもかかわらずこの矛盾を引受けつつなお生きようと欲する[#「生きようと欲する」に傍点]。まさしくここに人間存在の本質がある。そういう考え方のうちに「悲劇」の概念の核心がある。それがニーチェの主張である。  ここではまず、ショーペンハウアーの思想、つまりこの世界の解決しがたい矛盾はあの「根本的なもの」としての「生への意志」に由来する、という考え方が下敷きになっていることがわかる。しかし、ニーチェ独自の考え方もすぐに取り出せる。ショーペンハウアーでは、この世の矛盾は解決しようがなく、宗教とか芸術によってしか脱却できないというペシミズムに力点がある。しかしニーチェの力点は、人間はその欲望の本性(生への意志)によってさまざまな苦しみを作り出す存在だが、それにもかかわらずこの欲望[#「この欲望」に傍点](生への意志[#「生への意志」に傍点])以外には人間の生の理由はありえない[#「以外には人間の生の理由はありえない」に傍点]、という点にある。これがニーチェの「ディオニュソス的」という概念の核心部なのである。「生の是認」というニーチェ独特の言い方は、そういうことを意味している。  こうして、ニーチェの「悲劇」の概念は、人間の生は「苦しみ」の連続だが、この「苦しみ」ということをどう了解するかという問題に深くかかわっていることがわかる。  人間は要するに、自分のうちのさまざまな欲望によって苦しむ。これは誰でも知っていることだ。苦しみがあまりに大きいと、わたしたちはしばしばこの欲望こそが矛盾(苦しみ)の根源なのだから、いっそ欲望そのものがなければ矛盾もなくなる、と考える。先にも言ったように、仏教の考え方もこれに近い。「煩悩」こそが一切の苦しみや矛盾の源泉であり、したがって「色即是空」と観じて「煩悩」を消し去れば人間は救われるという考え方である。しかし、ニーチェは『悲劇の誕生』においてこの考え方にはっきりと反対しているのである。 「欲望する存在としての人間は矛盾に満ちている、しかしそれにもかかわらず[#「それにもかかわらず」に傍点]、この欲望の本性は否定されるべきでない」。このニーチェ独自の直観は、彼の青年期の芸術体験によるところが大きいような気がする。また恋愛体験もそういう直観をしばしばもたらすことがある。驚きに満ちた恋愛や芸術の体験の中には、苦しいけれども、その苦しさがまた人間の生きる理由になる、ということを理屈ぬきで確信させるものがあるからだ。もちろんこの直観がその後のさまざまな経験で挫折し、ペシミズムに陥る場合もいくらもある。しかしおそらくニーチェはこの直観を大事なものとして深く育てる道を歩いたのだ。そのことは彼の以後の思想の歩みをみるとよく了解できるはずだ。  さて、第二の柱は、「悲劇」とは、いま見てきたような人間のディオニュソス的な本質を単に「認識」として見る者に与えるのではなくて、いわばそれを直接に[#「直接に」に傍点]人間の心臓に与えるものだという考え方である。  これにはすこし解説が必要だ。ニーチェとワーグナーを結びつけたのがショーペンハウアーの哲学だったということは述べたが、とくに問題になるのはその音楽論である。たとえばショーペンハウアーはこう書いている。 [#ここから2字下げ]  つまり音楽というものは、ちょうど世界そのものも、それどころかもろもろのイデアも、それが多様化して現象すると個別的な事物の世界を成すその当のものであるのと同じように、意志[#「意志」に傍点]全体の直接的[#「直接的」に傍点]な客観化であり、その模造である。それゆえ音楽はけっしてほかのもろもろの芸術のようにイデアの模造ではなく、意志そのものの模造[#「意志そのものの模造」に傍点]なのである。(『意志と表象としての世界』第三巻五十二節 斉藤忍随訳) [#ここで字下げ終わり]  イデアとか模造といった言葉が独自の概念なので分かりにくいが、要点はこういうことだ。ショーペンハウアーによれば、芸術の本質はあの世界の根源たる「意志」(生への意志)を何らかの仕方で人間に触れさせることにある。だが諸芸術の中で、音楽だけは他の芸術(造形芸術……彫刻・絵画・文学等々)とは違った「特権性」を持っている。どういう特権性かと言うと、音楽は「意志」のありようを何らかの形式性(かたち)を介してではなく「直接的」に人間の心に伝える、ということである。  わたしの考えでは、音楽についてのこのショーペンハウアーの考察は、多少興味をひかれる面もあるが、全体としては驚嘆すべきほどのものではない。そもそも世界の本質としての「意志」のありようを教える(伝える)のが芸術の本質であるという考え方が、いまではいかにも�形而上学的�に聞こえるのだ。しかしそれはともあれ、ニーチェは、自分がほれ込んだワーグナーの音楽の特権性を表現するのに、このショーペンハウアーの音楽論を大きな後ろ楯として借りているのである。 『悲劇の誕生』でいちばんよくそれを表現しているところはつぎのような箇所だ。 [#ここから2字下げ]  通常仮象と美を唯一の範疇として理解されるような芸術の本質からは、まともに悲劇的なるものを導出することは全く不可能である。音楽の精神から、われわれははじめて固体の破壊にたいする歓喜を理解するのである。というのは、かかる破壊の個々の実例によってわれわれに明らかにされるものは、いわば個別化の原理の背後に潜む意志の全能を、すなわち、あらゆる現象の彼岸にあっていかなる破壊にもめげざる永遠の生を、表現するディオニュソス的な芸術の永遠の現象にほかならぬからである。(『悲劇の誕生』) [#ここで字下げ終わり] 「悲劇」の本質は、あの「矛盾にもかかわらず人間は生を欲する」という根源的「意志」の本性を人間に伝える点にある。しかし他の「芸術」(=造形芸術)ではこの「悲劇的なるもの」を「まともに」伝えることはできない。ただ「音楽の精神」からのみそれが可能である。なぜか。  音楽の精神は、アポロン的な個別化[#「個別化」に傍点]する原理ではなく、ディオニュソス的な一体化[#「一体化」に傍点]する原理、破壊し溶け合わせる原理、を本性とする。個別化する原理をもった芸術(造形芸術)は、「かたち」を通して「個体の苦悩」を表現する。そこでは形象の美が「生に固有の苦悩に打ち勝ち」、そのことでこの苦悩を浄化[#「浄化」に傍点]する。しかしディオニュソス的な芸術である音楽は、これを浄化せず[#「浄化せず」に傍点]、生の根源としての矛盾を矛盾のままに示し、そのことによってかえって人間の生に対する永遠の憧れを表現するのである……。ニーチェの言う「悲劇」の精髄とは、だいたいそういうことだ。  これで分かるように、ニーチェの「悲劇」の概念は、ある意味ではショーペンハウアー哲学の変奏(バリエーション)と言えなくない。第一に、「生きんとする意志」こそ世界の根源であり、そのため生の本質は苦悩なのだが、「悲劇」(芸術)はこの生と世界の本質を人間に触れさせるものである、という考え方。第二に、音楽は他の造形芸術と違って、「世界の本質」(=意志・矛盾・苦悩など)をものの「形」を介さないで直接人間の心臓に[#「心臓に」に傍点]与える、という観点。この二つの考え方の合体として、「音楽の精神からの悲劇の誕生」は説かれているのである。  ただし、いま見たように、ここですでにニーチェはショーペンハウアーと区別される面をもっている。ショーペンハウアーにあっては、芸術は、哲学(道徳)や宗教と並んで、解決されえない「生の苦悩」からの個人的な脱却の方法である。これに対してニーチェでは、芸術はもっと積極的な意味を持っている。たとえば「生の是認」とか「ディオニュソス的なるもの」というキーワードがそのことをよく示しているが、ニーチェにあって芸術とは、人間を生から脱却[#「脱却」に傍点]させるのではなく、むしろ苦悩にみちた生それ自体を励ます[#「励ます」に傍点]ものと見なされているのである。  ショーペンハウアーとのこの違いは、後期の『権力への意志』などでははっきり自覚されていて、たとえばつぎのような文章はそれをよく示している。 [#ここから2字下げ]  ——芸術作品の影響は、芸術を創造する状態[#「芸術を創造する状態」に傍点]を、陶酔を、誘発する[#「誘発する」に傍点]ことである。芸術の本質はあくまで、それが生存を完成せしめ[#「完成せしめ」に傍点]、それが完全性と充実を産みだすことにある。芸術は本質的に、生存の肯定[#「生存の肯定」に傍点]、祝福[#「祝福」に傍点]、神化[#「神化」に傍点]である……ペシミズム的芸術とは何を意味するのか? それは一つの矛盾ではなかろうか?——然り。——ショーペンハウアーは、或る種の芸術作品をぺシミズムに奉仕させるとき、誤っている[#「誤っている」に傍点]。悲劇は「諦念」を教えるのではない[#「ない」に傍点]……怖るべき疑わしい事物を描きだすということが、それ自身すでに芸術家のもつ権力や歓喜の本能である。(『権力への意志』原佑訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり]  さて、第三の柱、主知主義への批判はソクラテス批判というかたちをとる。  ニーチェによると、ソフォクレス、アイスキュロスと続いたギリシャ悲劇の本流は、これに続くエウリピデスの喜劇の登場によって滅ぶ。エウリピデスが、ソクラテスといういわば新しい「理知の魔神(ダイモン)」を持ち込むことで、生の矛盾と苦悩を象徴するディオニュソス神を殺したのである。ニーチェはそう断じた上で、エウリピデスの喜劇の本質を「審美的ソクラテス主義」と呼ぶ。 [#ここから2字下げ]  かくして、(略)われわれは今はもう審美的ソクラテス主義[#「審美的ソクラテス主義」に傍点]の本質にさらに近づいてもよいであろう。その最高原則はおよそ次のごときものである、「すべてのものは、美しくあらんがためには、知的でなければならぬ」と。これは、「ひとり知者のみが有徳である」というソクラテスの命題にたいして平行命題をなすものである。(『悲劇の誕生』) [#ここで字下げ終わり]  こういう入口から、ニーチェは徹底的なソクラテス批判を展開する。ソクラテスの弁証法(ディアレクティーク)。これは、正しく思考を積み重ねて行けば最後には必ず「存在のもっとも奥深い深淵」、つまり「真理」にまで行きつくことができるという信念を表わしている。そしてこのソクラテスの発想が、ヨーロッパの形而上学や近代科学の「真理」観にまで繋がる。そうニーチェは言う。ニーチェにおいては、このような「真理」の観念こそヨーロッパ形而上学を貫く最大の�迷妄�なのである。  さらに彼は、ソクラテスがアテネにおいて青年を惑わす説を説いたかどで死刑の判決をうけたとき、自分の論理の正しさにしたがって自ら毒杯をあおいで死んだことを重く見る。ニーチェによれば、このときソクラテスは、知性と論理によって死の恐怖を克服した「最初の人間」となった。こうしてソクラテスは、それ以後ヨーロッパの思想の原型となる「理論的楽天主義」の創始者となった、と。  あくまで知識と理性に信頼をおき、正しく思考し推論すること。そのことによって「真理」に達すること。このことこそ人間の生にとってもっとも重要な営みであるという考え方。これがニーチェの言う「理論的楽天主義」だが、こういう考え方をソクラテスがはじめてギリシャ世界にもたらした。そのことによって、あのディオニュソス的な本質を持ったギリシャ悲劇の精神は決定的に滅んでしまった。ニーチェはそう主張するのである。  ところで、ニーチェがここで強調する「反=ソクラテス主義」、つまり反=理性主義、反=合理主義、反=真理主義等々は、当時の思想的文脈から見ると、一九世紀前半のヘーゲル哲学に代表される近代的理性主義に対するリアクション(反発=反動)と見ることができる。ヘーゲル哲学はそれが近代哲学の完成者であるという理由で、ニーチェにとってはキリスト教とともに二大宿敵といえるような存在であった。そこでヘーゲル哲学について少し見ておく必要があるだろう。  近代哲学の大きな峰は、何といっても一七世紀のデカルト、一八世紀のカント、そして一九世紀のヘーゲルということになる。この近代哲学の山脈は全体として何を企てたのか。大きく言ってふたつある。ひとつは正しい「認識」の原理を打ち立てること。もうひとつは、人間の「善悪」の新しい基準を打ち立てることである。  近代以降、自然科学という新しい世界観の登場とともにキリスト教の世界像がどんどん崩壊していく。そこでまず大きな問題となったのは、人間は自分の力で果たして世界を正しく認識する能力をもつのか否か、ということだ。キリスト教の世界像が強く支配していたときには、人間の認識能力などが問題になることはなかった。近代に入って、キリスト教の絶対性が疑われ、世界にはさまざまな世界観や世界像が存在することが意識されはじめたとき、はじめて、一体どの世界像が正しいのか、またそれはどうやって証明できるのか、ということが問題になったのである。  つぎに、それまで何が「正し」くて何が「悪」なのかを教えていたのは、いうまでもなくキリスト教だったのだが、キリスト教の信仰の崩壊はこれまでの「善悪」の基準の崩壊を意味する。そこで近代哲学は、何としてでもキリスト教神学に代わる新しい「善悪」の基準を打ち立てる必要があったのだ。  こうして、ヨーロッパの近代哲学は、まず第一に、「果たして人間は世界を正しく認識できるのか否か」という問題を中心に展開することになる。これは「主観」と「客観」(人間の「認識」と「現実それ自体」といってもいい)は一致するか、という問題のかたちをとった。第二の中心は、何が「善」で何が「悪」かをどのような仕方で明確に言えるか、という問題である。デカルト、カント、ヘーゲルという近代哲学の大きな山脈は、このふたつの大きな問題にぶつかり、そしてヘーゲルにいたって結果としてひとつの結論を打ち立てたのである。それはどういうものだったか。  第一の「認識」問題についてはこうだ。カントは「物自体」という概念を出して、人間の理性の能力では「世界それ自体」(=物自体)を認識することは不可能である、とした。しかしヘーゲルは非常に独創的な仕方でカントの説をひっくり返す。彼によれば、人間はその長い理性の「歴史」のプロセスを通じて、最後には「絶対知」に達しうる存在であるということになる。人間の「歴史」とは、理性(知性)がますます深いかたちで自己を実現[#「実現」に傍点]していくプロセスなのである。  第二の問題についてはつぎのようである。カントによると、「善」とは自由な存在である人間が「道徳」的たろうと意志することである。この場合「善」とは、世界をいっそう高い調和へ導くような�普遍的な�行為や考え方を内実とする。これに対してヘーゲルは、カントの考え方は、もし「これが世界全体にとってもっとも正しいあり方だ」という意見がいくつもでてきたら、まったく無意味になってしまうような考え方であると批判する(この批判も極めて妥当なものだ)。  ヘーゲルの考えの要点はこうだ。カントのような考え方は、結局個々人に「善」を意志すること(道徳的であること)を期待[#「期待」に傍点]するのと変わらなくなる。しかし、人間には必ず「自己中心性」があるからカントの期待は空しいものに終わるほかない。つまりカントは、人間が「善」を意志することの必然的な条件[#「条件」に傍点]を捉えていない。  人間は誰でも「自己中心性」を持つ。これはいわば道徳の実現を阻む根本原因のように見える。しかしむしろいったんこれを認め、ここから出発しなくてはならない。人間は「自己中心性」をもっているが、それは人間の欲望が「自我」の欲望であることからきている。人間は誰も自分が愛されたい、自分を認めて貰いたいという欲望を、もっとも根本的なものとして持っているのだ。そしてこの「自我」の欲望は、原理的にはただ「他者の承認」によってのみ可能である。だからじつは、人間が「自我」の生き物であるということは、人間が社会的、関係的な存在であることの根拠でもあるのだ。  人間は自分の「自由」をいちばん大事なものとして求めるような存在である。しかしだからこそ、自分が「自由」な存在であるためには他者の「自由」をも認めなくてはならないことを徐々に理解していくのである。人間は、自分の「自由」を実現するためには、結局他者を認め、他者との関係の中で自分の存在意義を確立していく他に道がないことをはっきりと学んでいくような存在なのである、と。  こうして、ヘーゲルによれば、人間とは、自分の存在の本質を深く理解[#「理解」に傍点]することによって、はじめて「善きこと」を意志[#「意志」に傍点]するような存在となる、ということになる。したがってヘーゲルに言わせれば、カントはただ人間に、道徳的であることが「善きこと」だからそうしなさいと勧めているにすぎない。そうではなくて、人間は自分の存在の本質を深く知れば知るほど、「善きこと」をめがけるべき理由を自らつかむような存在なのだ、とヘーゲルは言うのである。  またヘーゲルでは、この個人の「善」や「道徳」の論理はそのまま「歴史哲学」に接続される。彼によれば、「歴史」はそれを通じて、理性の本質が自分自身を実現するプロセスであるが、だから個人はまた、この歴史における理性の実現の必然性[#「必然性」に傍点]を深く認識すればするほど、社会をそういう方向へ差し向けようとする意欲[#「意欲」に傍点]を持つことになる。この意味でもヘーゲル哲学では、世界の深く正しい認識こそが、人間を「善」に差し向ける本質的な原動力となるのである。  こうして、ヘーゲルにおいて、近代哲学の二つの大問題がうまく接続されて、非常に大がかりなかたちで�解決�されていることが分かる。  さて、ヘーゲルが一九世紀の前半にそういった大きな哲学体系を打ち立てたあと、その反動ともいうべき動きが起こる。哲学における反ヘーゲルの流れがそうだ。ドイツでは、シェリングやショーペンハウアーがその代表だが、それは主として、反歴史主義や反理性主義のかたちをとった。ヘーゲルは、近代の合理的理性は歴史や社会や人間の本質を深く捉えうるし、そのことによって世界の矛盾も必ず解決する、という考え方を代表する哲学者だといえるが、反ヘーゲルの思潮はこれとは逆の立場をとる。  すでに見てきたように、ショーペンハウアー哲学の大きな看板は、厭世主義(世界の矛盾は解決できない)、非理性主義(理性を超えた力としての根源的意志)である。そしてニーチェ思想もこの流れのうちにあった。そのように見てくると、ソクラテスに対する彼の激しい批判の理由がかなりはっきりするはずだ。つまり、あのソクラテスの「理論的楽天主義」への批判は、じつはヘーゲルがその隠された真の敵だったと言ってよい。ニーチェはソクラテスのうちにヘーゲル的思考の原型を見出したと信じたのである。   四、『反時代的考察』について 『反時代的考察』は、『悲劇の誕生』の出版の翌一八七三年から七六年にわたってすこしずつ発表された。ニーチェが二九歳から三二歳の頃だが、この時期、偏頭痛や眩暈などの症状がひどくなり、結局七六年には大学の休職にまでいたることになる。 『反時代的考察』の中身は、文献学とも関係なければ哲学とも言えない。ひとことで言うとその当時のドイツ文化批判である。その目次は以下のようだ。 [#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]  第一篇 ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家  第二篇 生に対する歴史の利害について  第三篇 教育者としてのショーペンハウアー  第四篇 バイロイトにおけるリヒアルト・ヴァーグナー [#ここで字下げ終わり] 「第一篇 ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家」は、当時の流行評論家ダーヴィト・シュトラウスへの痛烈な批判論だが、ニーチェによるとこのシュトラウスほどドイツ文化の駄目さかげんを象徴する人物はいない。 「第二篇 生に対する歴史の利害について」は、ヘーゲルに代表される当代風の「歴史主義」への批判だ。 「第三篇 教育者としてのショーペンハウアー」は、この著作の性格をもっともよく表わしている論文で、なぜ現在のドイツ文化にとってショーペンハウアーが重要なのかを論じたものである。  最後の「バイロイトにおけるリヒアルト・ヴァーグナー」は、ニーチェのワーグナー熱の最後の残照と呼べるもので、一応ワーグナーを讃えたものではあるがすでに微妙な違和感が見て取れる。もともとこれはバイロイト音楽祭での「指輪」上演に間に合わせるべく書かれたものだったが、すでにみたように、バイロイト音楽祭ではニーチェの心はもはやワーグナーから離れてしまっていた。  ともあれ、『反時代的考察』で重要なのは、ここでのニーチェのドイツ文化批判の中身である。それはどういうものだったか。たとえば「教育者としてのショーペンハウアー」でニーチェは、ドイツ文化における「三つの人間像」なるものを提示しているが、これがニーチェの文化観をよく象徴しているので紹介してみよう。 「われらの近代が次々に提出し、それを見ることから、死すべき者がおそらくなお長きにわたって自身の生を光明で満たすことへの衝動を受け取るところの三つの人間像がある。それはルソーの人間、ゲーテの人間、最後にショーペンハウアーの人間である」(小倉志祥訳)。まず「ルソーの人間」は、「自然こそが善である、自然に帰れ」と叫ぶが、このとき彼は自分自身を超え出たものに強く「憧れて」いる。この人間類型では、現実への強い否認と「本来的なもの」への激しい憧れがその特質をなしており、ここからしばしば激烈な革命への希求が現われる。  つぎにゲーテの人間。これはルソーの人間が煽り立てた過激なロマン主義的興奮の「鎮静剤」をなす。たとえばファウストはある意味でルソー的な精神のモデルだが、ゲーテはファウストに決定的な行動を回避させ、そのことでルソー的人間から距離をとる。ゲーテの人間はルソー的ロマン主義をよく理解しているが、その激情からは身を離して世界を「観想」する態度をとる。こうしてゲーテの人間は、「高次の様式における静観的人間」となり、現実と理想の間を調停させる力をもつが、したがってまた俗物に堕するような可能性も同時にもっている……。  そんなふうに話を運んで、ニーチェはいよいよショーペンハウアーを登場させる。 [#ここから2字下げ]  ゲーテ的人間にもう少し筋力と自然的粗野があれば、彼のすべての徳性はより一層偉大となるであろう。(略)それゆえに、あからさまに言えば、われわれはより善くなるために一度本当に悪しくなることが必要である。そしてこのためにショーペンハウアー的人間像がわれわれを鼓舞してくれるはずである。ショーペンハウアー的人間は誠実という自発的苦悩をみずからに負い[#「ショーペンハウアー的人間は誠実という自発的苦悩をみずからに負い」に傍点]、そしてこの苦悩はこの人間にとって、己れの我意を滅し、生の本来的意味がそこに導かれることにあるところの己れの本質のあの完全な変革と顛倒を準備することに役立つ。(『反時代的考察』小倉志祥訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり]  ショーペンハウアー的人間が「観想的な」ゲーテの人間につけ加えたもの、それは人間の自己自身に対する「誠実」の能力である、とニーチェは言う。つまり、ショーペンハウアー的人間とは、人間や世界の赤裸々な「真理」を深く認識し、それがどれほど矛盾に満ちたものであろうと、あくまでこの「真理」に従うことで「生の本来的意味」をつかみとろうとするような人間だとされるのである。  ここで、少し時代を遡って当時の時代背景を簡単に見てみよう。  一八四八年(ニーチェ四歳のとき)フランス、パリに二月革命が起こる。これは、フランス革命以来、ナポレオンによる帝政、王制復古と続いたあとのフランスに起こった民衆革命の大きな波の一つで、フランスが共和政を確立する上で重要な礎石となったものだ。この革命がヨーロッパに与えた影響は大きく、ドイツでもこれに応じるように自由・憲法・統一を求めて三月革命が起こるのだが、結局反動勢力の巻き返しによって失敗に終わる。ここでドイツの先進的な知識人たちの共和革命の「理想」(夢)が一頓挫するのである。  その後ドイツでは、ヴィルヘルム一世がプロシャの鉄血宰相と呼ばれたビスマルクを用いて、急速に近代国家としての発展を遂げていく。そして一八六六年の普墺戦争、一八七一年の普仏戦争における勝利で、プロシャ・ドイツは一躍ヨーロッパにおける列強国にのし上がる。そして『反時代的考察』はそのすぐあと、一八七三年から書かれている。  フランス二月革命とそれをうけたドイツの三月革命は、多くの進歩的知識人にとっては、封建的遺制の残る後進ドイツに人間の権利と自由と国家の統一をもたらしうる大きな可能性だった。しかし、この可能性は決定的に挫折し、その後むしろ王権と国家主義的な場所からドイツ国家の近代的発展が起こる。ニーチェの言う、ルソー(一七一二〜一七七八)の革命への情熱とゲーテ(一七四九〜一八三二)の観想的芸術という対比は、そのような時代背景をもっていたわけだ。  ニーチェの書き方はなかなか難解だが、要点はつぎのようなことだと考えればいい。  青年は誰しも大なり小なり「ルソー的人間」の要素を、つまり、自分の中のロマン的な理想を激しく追求したいという気持ちを持っている。しかしこの青年の理想主義は、たいてい現実の諸関係を冷静に考慮に入れない、いわば舞いあがった[#「舞いあがった」に傍点]理想主義である場合が多い。それは理想やロマンを過激に叫び立てはするけれど、それを実現するための条件をしっかり考えないために、まさしく単なる「ロマン主義」に終わってしまう。  そこで、その反省に立って「現実主義」が現われる。現実主義は理想が簡単に実現しないその理由を十分考慮しようとする。ところがまたここでも、考慮を重ねるうちいまある現実が「このようにしかありえない理由」が見えすぎてしまう、ということが起こる。「ロマン主義」への反省に立つ「現実主義」は、こうして「理想」をしりぞけ、もっぱらロマンと「現実」とをなんとか「調停」させようとする道を求める。ニーチェによればこれがゲーテ的人間の立場である。  ニーチェはこの二つの人間の情熱の類型を超えて、いわば�もっと遠くまで�いきたい。そういうニーチェの願望がショーペンハウアー哲学に託されるのである。しかし、自分自身への「誠実」とか、認識による「真理」にあくまで従うとか、そのことで、「生の本来的意味」をつかむとかいったことは、具体的には一体何を意味するのか。  ニーチェに言わせると、ゲーテ的な「観想」の態度とは、結局若いころ理想に舞い上がった人間が現実の理を知って落ち着く、ということを意味する。このプロセスは誰にも分かるようにきわめて一般的な道すじだ。人間のロマンや理想への情熱がこういう道しか取れないのだとすると、世の中は結局「理想は理想、現実は現実」という図式の中に納まってしまう。ニーチェはそのようないわば「賢人の現実主義」を踏み破って、何とか異なった考え方を示そうとしているのである。  しかし、もちろんすでにニーチェは、ルソーの人間のようにロマン主義的に直接的な現実変革を叫ぶことの無効性を知っている。そこで彼は、ショーペンハウアーの哲学からひとつの�文化的戦略�の可能性を見出す。直接に現実の変革をめざすのではなく、これまでの「文化」の概念に戦いを挑むことによって、人間が誰しも持つ「ロマン性」や「理想」を生かしつづける新しい可能性を与えること。わたしは以前このニーチェ的戦略を、「狼のロマン主義」と呼んだことがある。素朴で夢想的、未成熟なロマン主義に対する、現実への深い洞察に裏打ちされた強靭なロマン主義としての「狼のロマン主義」。おそらくここに、『反時代的考察』におけるニーチェの最大のモチーフがあった。  ともあれ、この「文化的戦略」についてもう少し考えてみよう。  繰り返すと、ここでニーチェの言う「反時代」とは、当時のドイツ文化のあり方に徹底的に抗うということだ。たとえば、「第一篇 ダーヴィト・シュトラウス」の出だしはこんな具合である。 「ドイツの世論は、戦争、殊に勝利に終わった戦争の悪しき危険な結果について語ることをほとんど禁じているようにみえる。それだけに一層好んで傾聴される著述家はといえば、この世論より以上に重要な意見のあることを知らず、それゆえ戦争を謳歌し、戦争が倫理、文化、芸術に影響する有力な現象を歓声を挙げて追いかけることを競っている者たちである」。  人々はこの二つの戦争の勝利を大したことだと考え、またそういう議論が論壇を賑わしているが、これはとんでもない誤りだ。われわれはむしろ自分たちがどれほど惨めな文化しか持っていないかをよく自覚すべきである、というのだ。ニーチェが激しく攻撃しているドイツ文化の特質を箇条書きのかたちにしてみるとこんなことになる。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] (1) 愚かな国家主義の台頭。 (2) キリスト教の堕落とその国家主義との癒着。 (3) 文化の営利主義・教養主義・俗物主義。 (4) 形式上の「美」(新しさ、流行、世論の好奇心を喚起するもの)だけを追い求めて、美の実質、つまり文化の本質をまったく忘れ去っていること。 [#ここで字下げ終わり]  ドイツの教養主義や俗物文化がせっせと果たしていること、それは真正な文化の追求を怠り、もっぱら現実の秩序の飾りとなって人間のロマン性をなだめすかすことだけである。キリスト教の道徳主義は国家的ナショナリズムの道具になっているし、流行の新しい文化なるものは輸入ものの陳列棚にすぎない。ひとびとの好奇心をつねに沸き立たせ、流行思想や教養主義を煽り立てるのに熱中すること、それがわれわれの文化の現状なのに、論者たちは、戦争の勝利によってドイツ文化の卓越性が証明されたかのようなデタラメを言い募っている。ニーチェはそのようにドイツ文化の現状を批判する。  ところで、この文化批判は現在の日本にもほとんどそのまま当てはまりそうだ。だから、さすがはニーチェは大衆文化の問題点をいち早く察知しているなどと言いたくなるかも知れないが、実際はそう単純でもない。ニーチェがここで言うような文化の教養主義、俗物主義、形式主義は、ある意味ではいつの時代でも文化につきまとっているものだからだ。  たとえば世界中で日々夥しい小説が生み出されているけれど、ほんとうに優れた小説はその中のごく一部である。つまり、優れた文化は、いつでも広範な�本物ではない�文化的底辺を土台として存在しているといえる。だからこういう批判は、いわばしようと思えば誰でもがいつでもできるような批判なのである。したがって問題なのは、ここでニーチェが主張しようとする「真正な文化」なるものの内実である。  じつは、『反時代的考察』でニーチェが主張している「文化」の概念は、今のわたしたちから見るとまず非常に理解しにくいものというほかない。ただその結論のかたちははっきりしている。それを簡潔に言うと、文化の真の課題[#「真の課題」に傍点]は真の「哲学者、芸術家、聖者」を生み出すことにある、ということになる。  たとえば彼はこう言う。「……この思想とは文化[#「文化」に傍点]の根本思想であるが、この文化はわれわれ各個人に唯一の課題を課することを心得ている限りの文化である。その課題とは、哲学者[#「哲学者」に傍点]、芸術家[#「芸術家」に傍点]、聖者の産出をわれわれの内および外において促進し[#「聖者の産出をわれわれの内および外において促進し」に傍点]、これによって自然の完成に従事すること[#「これによって自然の完成に従事すること」に傍点]、これである」、と。 『反時代的考察』では、まだ相当強くショーペンハウアー哲学の影響(「自然—精神の一元論」、「根源的一者—現象」といった図式)が残っていて、そのためかなり分かりにくいところがあるのだが、ニーチェ独自の文化観をそこから取り出すことが可能である。たとえばつぎのような命題。 [#ここから2字下げ]  人類は個々の偉大な人間を産み出すことに絶えず従事すべきである——これこそ人類の課題であり、その他の如何なることもそれではない。 [#ここで字下げ終わり]  人類の究極目標というものを考えて多くの人間はこう言う。それは万人のあるいは最大多数の最大幸福にあると。じつは違う。人類全体[#「人類全体」に傍点]とか歴史全体[#「歴史全体」に傍点]とかは、まったく問題ではない(これは反ヘーゲル的な考えである)。問題なのは、どれだけ高い・非凡な・有力な「人間の範例(モデル)」を産み出しうるか、ということだ。そうニーチェは主張する。  なぜ「個々の偉大な人間を産み出すこと」が必要なのか。そこに人間の種がより「高次の種へ」移行する大きな可能性があるからだ、と。これはとても奇妙な考え方に聞こえるだろう。おそらく読者の多くは、こういう考え方に対して直観的につぎのように思うのではないだろうか。  ニーチェは、人類の文化の目標は、「より高い人間の範例」を産み出すことにあると言う。しかしそれは、個々の人間の生活を、何らかの目標の手段[#「手段」に傍点]とするような考え方である。個々人の生は、それ自体が取替えのきかない目標、目的なのであって、すると「より高い人間」とは一般の人間が豊かにその生活を過ごせる条件を作り出すのに貢献する人間のことでなくてはならない。そういう観点からは、ニーチェの考え方は�顛倒�しているのではないか、と。  これはじつは、ニーチェ思想の全体的な評価にかかわる重要な問題である。しかしわたしはさしあたって、できるだけニーチェの意を汲んでみることにする。たとえばつぎのようなテクストが、ニーチェの言わんとするところをよく表わしていると思う。 [#ここから2字下げ]  文化への信仰を告白する者はいずれも同時にこう発言する、「私は私の上に、私自身があるよりももっと高い、もっと人間的なものを見る。それに到達するように、みんな私を助けてくれ、私の方も同じものを認識し同じものに悩むあらゆる人を助けて上げたい。認識においても愛においても、直観においても能力においても自己を完全で無限だと感じ、事物の審判者であり、その価値測定者として自己の全体を挙げて自然に固着し、自然のうちに存在するような人間がついに再び現われ出るために」と。誰かをこのようなもの怖じせぬ自己認識の状態に置くことは困難である、なぜなら愛を教えることは不可能だからだ。けだし、愛においてのみ、魂は自己自身に対する明晰な、自己を分析し蔑視する眼差しを獲得するのみならず、自己を越え出て直観し、どこかにまだ隠されているより高い自己を全力を挙げて求めんとする熱望をも獲得するのである。(『反時代的考察』) [#ここで字下げ終わり]  あるいはまた、 [#ここから2字下げ]  けだし、問題は確かに次のようになるのだ。個人としての汝の生が最高の価値を、最深の意義を保つのは如何にしてか? 如何にすれば汝の生の浪費されることが最も少ないか? 確かに、汝が極めて稀有な極めて価値ある範例に有利であるように生き、大多数者、すなわち個々別々にとれば極めて無価値な範例に有利であるようにではなく生きることによってのみである。(同右) [#ここで字下げ終わり] 「より高い人間」の創出ということ。これがニーチェが設定した人間の文化の目標[#「目標」に傍点]である。このことの意味は大きくいって二つある。第一は、ルサンチマン思想によって人間を平均化、凡庸化することへの対抗。第二は、「歴史」の目標を「人間」以外のものに設定することへの対抗ということである。  まず、第一の「人間の凡庸化への対抗」ということについて。  文化の本質は何か。この問いに対してニーチェは非常に明確な答えを返す。つまり文化とは、単に人間の生活を便利にあるいは快適にするためのものではない。それはむしろ、人間のありかたをつねに「もっと高い、もっと人間的なもの」へと向かわせるための、いわば励まし合いの�制度�なのだ、と。  当時の文化の主流をなしていたもの、キリスト教、ナショナリズム、民主主義、近代哲学、それらは彼に言わせればすべて人間の精神を「高く」するのではなく、むしろ「低く」する(=凡庸化する)ようなものだ。現在の[#「現在の」に傍点]文化の教養主義、世俗主義、国家主義、道徳主義は、まさしくそのことの必然的な帰結である。そうニーチェは言う。  たとえば当代はやりの民主主義(ルソーなどが主張した)とは、いわば精神的に強い人間を制限し、弱い人間に下駄をはかせる[#「下駄をはかせる」に傍点]ような考え方にほかならない(ニーチェによると、民主主義の本質は、キリスト教の弱者支配の近代的形態ということになる)。そして、キリスト教および近代哲学の「道徳」の本質は、互いに互いの自由を制限しあう[#「制限しあう」に傍点]ということ以外のものではない、と。  先にも言ったように、このようなニーチェの文化論は、彼の「強者と弱者」という思想がよく受けとられないと非常に理解しにくいものだ。だがこれについては「超人」思想のところでくわしく見るので、ここではさしあたり、当時のキリスト教、民主主義思想、近代哲学などは、ニーチェにとって人間精神を「凡庸化」する元凶と見なされていたことを指摘しておこう。  第二の「歴史の目標を人間以外のものにおくことへの対抗」について。  キリスト教では歴史の目標[#「目標」に傍点]は「最後の審判」にある。カントでは人類が「永久平和」に達するとき。ヘーゲルでは、絶対精神がおのれを実現するとき、つまり人間の理性が最高のかたちで自分自身を社会的制度として実現するとき、ということになる。ニーチェはこういったそれまでの歴史の諸目標を、「超越的な」理念として退けたいのである。  たとえばニーチェから見るとプラトンの「イデア」という考え方(美のイデアとは、「美の本体=美そのもの[#「美そのもの」に傍点]」を意味する)は「超越的な」理念の最たるものである。ほんとうは「イデア」なるものは全然実在しない。それは、「神」なるもの、絶対精神、最高善、最終目標などといったものが実在しないのと同じことである。それらはもともと人間が頭の中で考え出したものにすぎない。「ありもしないもの」を目標としないこと。では何が目標となるか……。とうぜん、「人間」それ自身が、「人間の生それ自身」が目標となるのでなくてはならない。 「より高い人間(種)」の創出、これがニーチェの設定した歴史の目標だが、その理由は、この目標それ自体が狙いなのではなく、この目標の設定において、人間の生それ自身がつねに「もっと高い、もっと人間的なもの」へなりゆくようなかたちをとるからである。これは後期の「超人」という考え方に繋がるので後に詳しくみることになるが、ともあれ、非常に特異な考え方だと言える。  さて、ニーチェのドイツ文化批判がだいたいどのような戦略に則ったものかを見てきたが、これを要約するとつぎのように言えるだろう。  政治の激動が過ぎて社会変革の夢が一頓挫したあとの時代、一方で楽天的な啓蒙主義や過激なロマン的政治主義への反省がある。しかしまたもう一方では、妥協と調和を求める現実主義にもあきたらないという気分が出てくる(これは現在の日本社会にも通じる側面があると言えるだろう)。ニーチェは前者を「ルソーの人間」、後者を「ゲーテの人間」と振り分けた上で、その双方を超え出る思想的可能性を模索したのだが、そのモデルがショーペンハウアーの哲学とワーグナーの芸術だったのである。  この頃のニーチェの思想は、大きく言えば、ひとつは、近代啓蒙思想の理性信仰への反発、もうひとつは、ショーペンハウアーから受け継いだ、哲学、芸術の中で人間の真の「ロマン性」が生きのびうるという考え方が、柱になっている。歴史の意義は何らかの「超越的」理念から「人間」それ自体に移され、人間の存在の本質は、人間が自らをどれほど「より人間的な」存在へと「高める」ことができるかという点に定位される。ただし、ここでの「人間的」なる概念の内実や、より「高いこと」が具体的にどういうことを指すのかなどは、十二分に深く考えつめられているとはまだ言いがたい。  ともあれ、『悲劇の誕生』、そして『反時代的考察』という初期の著作においてニーチェは、ショーペンハウアーの影響を色濃く受けながらも、独自の思想家として姿を現わしたと言うことができる。しかし、もしその後のニーチェがこの段階で考えたことからそれほど遠くへ進めなかったなら、彼はとうてい二〇世紀における最も�問題的かつ重要な思想家�とはなりえなかった。ほんとうに深く強く考える思想家としてのニーチェの歩みは、この後始まる。 [#改ページ]   第2章[#「第2章」はゴシック体] 批判する獅子 [#改ページ]  哲学者の仕事は、しばしば、それまで自明となっているある観念への徹底的な疑いや批判というかたちで行われる。たとえば、ソクラテスはギリシャ哲学に流通していた「原理」や「起源」(アルケー)の観念を批判したし、デカルトは中世以来の神学的な世界観を疑った。また、イギリス経験論は「実体」とか「実在」という観念を徹底的に疑い、カントは哲学の伝統的な形而上学の問い(神は存在するか・自由原因はあるか・魂は不滅か、というような問い)それ自体を批判した。  しかし、それまで自明とされていた観念(世界像)を徹底的に疑い批判するという点では、ニーチェほど鮮やかにそれを行った哲学者はいない。というのは、ニーチェの批判の対象とは、要するに、「これまでヨーロッパにおいて考えられてきた人間的な価値の一切」だったからである。 「ヨーロッパにおいて考えられてきた人間的な価値の一切」とはどういうことか。ヨーロッパにおける人間についての理念、言い換えれば、これこそが人間のあるべき姿だという「人間の理想像」の一切ということである。ヨーロッパで考えられてきた、「これこそが人間のあるべき理想である」という考え方の一切を[#「一切を」に傍点]徹底的に疑ってみること。これがニーチェの根底的「批判」の眼目にほかならない。  さて、では「これまでヨーロッパにおいて考えられてきた人間的な価値」とは何か。それは大きく言って三つある。まず「キリスト教」、つぎに「道徳」、そして「真理」という観念(「真理への意志」)である。ニーチェによればこれらがヨーロッパにおける「これまでの最高価値」であり、まさしくこれらを徹底的に批判しなくてはならない。  ところで、このようなニーチェの哲学の動機は、それほど分かりやすいものとはいえない。キリスト教の中心思想は何といっても「隣人愛」である。また「道徳」や「倫理」は近代哲学の中心の問題であり、「真理への意志」(つまり、「正しい認識の追求」)は近代以後の人間社会の基本命題だと言える。確かにこれらはヨーロッパにおいて長く「最高価値」と見なされてきたものだ。一体何のために、またどのような仕方で、これを徹底的に「批判」しようと言うのか。  これからこの問題をくわしく見ていきたいが、まず「キリスト教批判」について考えてみよう。   一、キリスト教批判——『道徳の系譜』について 『反時代的考察』では、キリスト教はまだプロシャナショナリズムとの癒着を攻撃されたり、ドイツ文化の教養主義やスノビズム(俗物主義)と並んで、過去の遺物にしがみつく迷妄な精神として批判されていたにすぎない。後に『道徳の系譜』で見事に定式化された〈ヨーロッパのキリスト教=ルサンチマン史観〉は、一八七八年の『人間的、あまりに人間的』などではまだそれほど鮮明には現われていないが、ここでは宗教と「形而上学」とをひとつのものとみる観点はかなり明らかに見て取れる。 [#ここから2字下げ]  夢の誤解[#「夢の誤解」に傍点]——夢の中で、野蛮な原始的文化の時代の人間は第二の実在世界[#「第二の実在世界」に傍点]を知っていると信じた、ここにあらゆる形而上学の起源がある。夢がなければ、世界を分けるなんらのきっかけもなかったであろう。霊魂と肉体とに分解することもまた夢のもっとも古い見解と関連する、霊魂が仮りの肉体に宿るという仮定、したがってあらゆる幽霊の信仰やおそらく神々の信仰の由来もまた同様である。「死者は生きつづける、なぜなら[#「なぜなら」に傍点]彼は夢の中で生者に現われるから」、そう人はむかし幾千年を通じて推理したのである。(『人間的、あまりに人間的』池尾健一訳) [#ここで字下げ終わり]  ニーチェにとってキリスト教がヨーロッパにおける人間の「最高価値」として、つまり最大の�元凶�としてはっきり意識されはじめたのは、『曙光』(三七歳)や『悦ばしき知識』(三八歳)を通してである。この間、シルヴァプラナ湖畔での「永遠回帰」の啓示(もちろんニーチェはこれを�神秘的なもの�とは考えていない)があり、その後書かれた『ツァラトゥストラ』では、もはや、反キリスト的思想によってヨーロッパ的な人間の価値観を根本から顛倒する、という主題は確固たるものになっている。  しかし、ニーチェのキリスト教批判を最も鮮やかに表わしているのは、何といっても『道徳の系譜』である(ついでに言うと、この著作は、構想や著述の一貫性という点で、ニーチェ思想の入門としても勧められる著作だ)。ニーチェのキリスト教批判は、『善悪の彼岸』や遺稿集の集成である『権力への意志』でも論じられているが、この『道徳の系譜』が体系性からいってもその密度からいっても群を抜いている。そこで、ここではこの『道徳の系譜』の中身を少し詳しく解説してみよう。 『道徳の系譜』は三部に別れており、目次としてはつぎのようになっている。 [#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]  第一論文 「善《グート》と悪《ベーゼ》」、「|よい《グート》(優良)と|わるい《シユレヒト》(劣悪)」  第二論文 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども  第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか? [#ここで字下げ終わり]  まずあらかじめニーチェの主張を要約してみるとこうなる。  現在あるヨーロッパの「人間の理想」の原型を作ったのは、いうまでもなくキリスト教である。ところでまず、キリスト教の人間観の本質は「ニヒリズム」(つまり虚無への意志)にほかならない。その理由は、キリスト教の思想がその根本に「ルサンチマン」(弱者の反感)の本性を隠し持つことによる。  つぎに、このキリスト教の「ニヒリズム」の本質は、その後のヨーロッパの一切の思想つまり近代哲学や近代科学にそのまま受け継がれている。近代哲学や近代科学がキリスト教のこの致命的欠陥を自覚できなかったからである。そして最後に、近代的な思惟がキリスト教の欠陥をそのまま受け継いだことによって、ヨーロッパに非常に根の深い「ニヒリズム」の諸形態(無神論・懐疑主義・相対主義・デカダンなど)が顕在化しはじめている。  これを逆の方向から言うこともできる。  現在ヨーロッパに蔓延している思想のニヒリスティックな諸形態、無神論や懐疑主義、ロマン主義的感傷、デカダン、宿命論等々は、何に由来するか。それは近代哲学が主張してきた「道徳」、「認識」、「真理」といった観念がもはやその権威を保てなくなったことからきている。これら近代的な諸理念の権威失墜(=ニヒリズム)の理由は何か。それは、その源流としてのキリスト教の本質から来ている。  ニーチェの言い分はこうである。キリスト教の信仰が崩壊したため[#「崩壊したため」に傍点]にニヒリズムが現われた、そうひとびとは考えるかもしれない。しかしじつはそうではなくて、キリスト教それ自身の本質が「ニヒリズム」なのであり、現在それが顕在化しているのにほかならない。なぜそんなことが言えるか? ではそうでないかどうかよく確かめてみよう、と。   1 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)[#「1 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」はゴシック体]」  いったい、「よい・わるい」あるいは「善・悪」という人間独自の価値評価の�起源�をどう考えればいいか。人々はこう言う。「よい」の起源は利他的な行為にある。この行為はそれを受けた人にとって[#「それを受けた人にとって」に傍点]「よい」ものである。のちにこの起源は忘れられ、ある行為自体(たとえば施し、慈善、犠牲など)が習慣的に「よい」と呼ばれるようになった……。一般にはそう理解されているが、これはじつは全然間違いである[#「間違いである」に傍点]、とニーチェは言う。 「よい(グート)」という言葉の言語的起源を考えるといい。それはもともとは「利己的」—「利他的」といった概念には結びついておらず、むしろ「高貴」—「野卑」という対立概念に結びついていた。このことは何を意味するか。「よい」という価値判断は、もともとは「よい」ことをしてもらった[#「してもらった」に傍点]人間たちから生じたのではなく、「高貴」な者、高位の者、強力な者たち自身の自己規定として[#「自己規定として」に傍点]生じたということを意味する。  つまりまず「高い者」たちが、自分自身に属するさまざまな力の特性を「よい」と呼んだ。そして逆にこのような力を持たないこと、それが「わるい(シュレヒト)」と呼ばれた。これこそ「よい・わるい」という価値の本来的な起源である……。  このニーチェの「よい・わるい」起源論は、そのまま「よい・わるい」という価値の本質論でもあると考えてよい。自分たちは「力」をもっている、快楽を生み出す力、創造し、工夫する力、困難を切り抜ける力、他人を養ったり、助けたりする力等々を。この場合の、「自分たちは力を持っている」という自己肯定的な感情にこそ「よい」という言葉の本質[#「本質」に傍点]がある。つまりニーチェはそう主張するのである。  ここはニーチェ思想全体の最も重要な礎石にあたるところだから、少し立ち止まって考えてみよう。 「よい」の本質は「利他性」(人が喜ぶことを行う)にはなく、むしろ「利己性」にある、あるいは自己の「力の感情」にある。これがここでニーチェが示している根本仮説である。このことは誰にも分かると思うが、肝心なのは、これによってニーチェが従来の「利己性」と「利他性」の根拠関係[#「根拠関係」に傍点]を逆転しているという点だ。 「よい」とは何か。何が「よい」ことか。「他人のため、人々のためを思い、行為すること」……。ふつうこれがごく一般的な「よい」ことの標識になっている。しかしよく考えてみるとここにはどこかおかしいところがある。それがニーチェの直観なのだが、ではどこがおかしいか。  キリスト教の中心思想は「隣人愛」である。これはそれ自体としては怪しむべきものではない。どんな社会や文化においても、同情、憐憫、困った者を助けること、相互扶助や協力関係といったことがらは自然[#「自然」に傍点]でもあるしまた必要不可欠なものだ。だからこれらのことはどんな社会においても例外なく普遍的に「よいこと」と見なされてきた。しかし、キリスト教の「隣人愛」の思想(観念)ではじつはそのような倫理の自然性が歪められている、とニーチェは言う。  なぜなら、キリスト教の「隣人愛」の思想は、共同体が自然の形でもっている「自分の仲間たちを助けよ」というモラルのありようを超えて、たとえそれが異人であってもすべからく「他人たち」を助けよという新しいモラルを意味する。そこからこの思想は、「他人のためを思うことがよいことであり、自分のためを思うのは悪である」という強固な観念にまで押し進められるからである。つまりそれは、キリスト教独自の極端な「禁欲主義」を作り出すことになるのだ。  キリスト教の「禁欲主義」とは、人間にとって、神への忠誠や他人のために尽くすことだけが「善」であり、自分の「快」や「悦び」を求めることは「悪」である、という考え方を意味する。これがまたキリスト教特有の「霊肉=善悪二元論」を生み出す。ここには、人間社会の自然な倫理性からの奇妙な�顛倒�が見て取れる。そうニーチェは説く。  ごく素朴に考えて、「他人のためを思うこと」はもちろん「わるい」こととは言えない。それは人間が社会的な存在であるかぎり、自然な「よい」こととされる理由を持っている。しかしまた一方で、人間が自分の「快」・「悦び」・「エロス」を求めることも、それ自体は「わるいこと」であるとはいえない。それが「わるい」こととみなされるのは、その行為が他人を侵害する場合か、あるいは公共の秩序に反するものとされる場合である。つまり「わるい」の本質は、「他人を害すること」にあるので、個々人が「自分の快や悦びを求めること」自体にあるわけではない。  人間は誰でもまず「自分のこと」を考える。それが人間という生き物の�自然性�である。しかしまた、自分に余裕や力がある場合には「他人のため」に行為しうる生き物でもある。これもまた人間の存在の�自然性�である。まず自分のことを気遣い、つぎに他人を気遣う、これが自然な順序である。ところが、キリスト教はこの自然な順序を逆転させてしまう。  キリスト教は、人間にとって最も大事なことはまず「神」を、そしてつぎに「隣人」を思う[#「思う」に傍点]ことである、と教える。キリスト教では、「自分」を思うこと、自分の「快」や「悦び」を追求すること自体が「悪」と見なされる。そして後に見るように、キリスト教のこの考え方が「ヨーロッパの人間の理想像」全体を貫く根本性格になった。なぜそんなことが生じたか。ここには「よい」と「わるい」についての、ひとつの重要な心理的�顛倒�のドラマが隠されているのだ……。ニーチェの直観はまずこのようなものだった。  ここからニーチェは、本来自己の「力の感情」を本質としていた「よい」が、いかにして「利他的」な意味へと�顛倒�されるにいたったかを考察しようとする。『道徳の系譜』全編がそういう試みなのだが、ここに「系譜学」、つまり起源をたどって顛倒の由来をたしかめる学、という考え方の内実がある。  さて、ニーチェは「よい・わるい」の価値評価は大きく二つの様式に分けられると言う。一つは「貴族的評価様式」(あるいは「騎士的評価様式」)、もう一つは「僧侶的評価様式」である。 「貴族的評価様式」は、「高い者」、「強力な者」から生じた本来的な「よい」の本質を持つ。つまりそれは、「力強い肉体、今を盛りの豊かな、溢れたぎるばかりの健康、加うるにそれを保持するうえに必要なものごと、すなわち戦争、冒険、狩猟、舞踏、闘技、さらにはおよそ強い、自由な快活な行動を含む一切のものごと」(『道徳の系譜』信太正三訳)が前提となるような価値評価である。それは、これら諸力についての肯定的[#「肯定的」に傍点]、かつ能動的[#「能動的」に傍点]な自己感情を根拠としている。  これに対して、「僧侶的評価様式」は正反対の性格をもつ。こちらは「高位」で「強力なもの」からではなく、「卑俗で」「弱い」人間たちから出てくる。それはつぎのような推論から現われる。「この猛禽は悪い。だから猛禽とはできるだけ縁のないもの、むしろその反対物、つまり羊こそが、——善いといえるものではあるまいか?」。  ニーチェによれば、この僧侶的価値評価の本性は「反動的」である。なぜならこの評価は、まず[#「まず」に傍点]「敵(強い者)は悪い」という否定的評価をはじめに置き、つぎに[#「つぎに」に傍点]その�反動�として「だからわれわれ(弱い者)は善い」という肯定の評価を作るからだ。このことからこの「僧侶的評価様式」の起源[#「起源」に傍点]を見てとることができる。つまりそれは、弱者の「ルサンチマン」(恨み、嫉妬、反感)から出てくるのである、と。  ニーチェは、ヨーロッパにおける人間の理想像はこの「僧侶的評価様式」によって貫かれていると考えた。彼によればその根本の原因は何よりキリスト教にある。すこし長くなるがその言い分を聴いてみよう。 [#ここから2字下げ]  僧侶的民族であるあのユダヤ人は、おのれの敵対者や制圧者に仕返しをするのに、結局はただこれらの者の諸価値の徹底的な価値転換によってのみ、すなわちもっとも精神的な復讐[#「もっとも精神的な復讐」に傍点]という一所業によってのみやらかすことを心得ていた。これこそはまさに、僧侶的民族というものに、あの陰険きわまる僧侶者的復讐欲をもつ民族に、またとなくふさわしい所業なのである。ほかならぬユダヤ人こそは、恐怖を覚えるばかりの徹底性をもって、貴族的な価値方程式(善い=高貴な=強力な=美しい=幸福な=神に愛される)にたいする逆転のこころみをあえてし、底しれない憎悪(無力の憎悪)の歯がみをしながらこれを固執した張本人であった。すなわちいう、「惨めな者のみが善い者である。貧しい者、力のない者、賤しい者のみが善い者である。悩める者、乏しい者、病める者、醜い者のみがひとり敬神な者、神に帰依する者であって、彼らの身にのみ浄福がある。——これに反し、お前ら高貴にして権勢ある者ども、お前らこそは永遠に悪い者、残酷な者、淫佚《いんいつ》な者、貪欲な者、神に背く者である。お前らこそはまた永遠に救われない者、呪われた者、堕地獄の者であるだろう!」(信太正三訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり] 「貧しいもの、病めるもの、悩めるものこそ幸いである」。このキリストの教えが意味するのは、「強者や金持ちや権力者より、弱者や惨めな者の方がじつは善き者、幸せな存在である」という新しい思想にほかならない。ここには明らかに、食べられないブドウは酸っぱいと考えるのに似た心理的な顛倒[#「心理的な顛倒」に傍点]がある。ほんとうは、人間なら誰でも「富」や「力」を求めている。それは人間にとって一般的に「よい」ものである。しかしキリスト教はそれを逆転する。「ほんとうは貧しいこと、悩んでいることの方が幸せである。なぜならそういう人間の方が神の国に近いから」、と。  ニーチェによれば、これは「真の反応つまり行為による反応が拒まれているために[#「行為による反応が拒まれているために」に傍点]、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような」(傍点引用者)考え方にほかならない。そしてこの考え方は、強者に対するルサンチマンを持つものだけが考えつくものなのだ。こうして、「ユダヤ人と共に道徳における奴隷一揆がはじま」り、このルサンチマン思想がヨーロッパでは完全に勝利した。キリスト教がヨーロッパを支配したからである。しかし問題はこのこと、「僧侶的評価様式」が「貴族的評価様式」を打ち倒したということにとどまらない。ここからもっと奇妙な事態が生じた、と彼は言う。  それがつぎの「負い目」、「良心の疚しさ」というテーマである。   2 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども[#「2 〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども」はゴシック体]  ここでは、人間の「良心」そして「良心の疚しさ」、つまり「罪責の意識」なるものの�系譜学�が問題となる。もっとはっきり言うと、キリスト教における「原罪」の観念がいったいどのようにして生じたか、がここでの中心テーマである。  まず、「良心」とは何か。それは約束したことを守るということ、つまり責任をとる能力に由来する。人間はこの約束を守る能力によってはじめて社会的存在となった。ところで、では「負い目」(罪責)の起源は何か。「負債」がそうである、とニーチェは言う。借りたものを返せないこと、負った責任をはたせないこと、これが「負い目」の起源である。そして彼は、この債務関係がある共同体とその祖先[#「祖先」に傍点]との間に設定され、しかもそれがもはや贖いきれないほど大きなものとなることによって、キリスト教的な「原罪」の観念が現われる前提となる、と言う。たとえばこんな具合である。 [#ここから2字下げ]  祖先とその威力とにたいする恐怖[#「恐怖」に傍点]、祖先にたいする負債の意識は、この種の論理にしたがって、種族それ自体の権力が増大するにつれ、また種族自体がいよいよ勝利を博し独立を増し尊敬され畏怖されること大となるにつれて、かならず必然的に増大する。(略)こうした素朴な論理のゆきつくはてを考えると、どうなるか。そのときには、もっとも強力な[#「もっとも強力な」に傍点]種族の祖先は、想像された恐怖そのものの増大によってついに恐るべき巨大なものにまで成長し、神的な不気味さと不可思議さの暗闇のなかに押しやられざるをえなくなる。——かくしてついに祖先のすがたは必然的に一個の神[#「神」に傍点]に変えられてしまう。おそらくはここにこそ神々の起源が、つまりそれの恐怖[#「恐怖」に傍点]からの起源が存するのだ! [#ここで字下げ終わり]  なぜ人間は「神」というものを作り出すか。倫理的な動機でもなければ敬虔な心情からでもない。いちばん重要な動機は「恐怖」ということである。それがまずここでのニーチェの力点だ。しかしそのことはまだ「疚しい良心」の核心ではない。  ルサンチマンから発した「善悪」という「僧侶的評価様式」をはじめに作り出したのは初期キリスト教である。ただそれは、まだ現実的な弱者としての自分たちを心理的に補償するための思考法にすぎなかった。ところが、パウロによって打ち立てられた世界宗教としてのキリスト教(教会)は、この「善悪」の評価をさらに屈折させて独自の価値の体系を築きあげることになった。  すなわちそれは、個々人が「唯一の神」に贖い切れない負債(罪責)を負っているという考え方を打ち立てたのである。人々はこれによって、自分の存在それ自体を�疚しいもの�と考えるにいたる。ヨーロッパにおけるキリスト教の支配とは、じつは万人に対するこの罪責観念の普遍化ということを意味する。そして、「人々の罪を贖って十字架にかかったキリスト」という伝説は、この制度を打ち立てるのにまさしくこの上ない絶妙の神話だった、とニーチェは言う。 [#ここから2字下げ]  かくしてついにわれわれは、はしなくも、責め苛まれた人類がそれによって当座の慰安を見いだすようになったあの逆説的な、怖るべき方策の前に、キリスト教[#「キリスト教」に傍点]のあの天才的な詭策の前に立つにいたった。その詭策とはこうだ、——神自らが人間の負債のためにおのれを犠牲に供し給う、神みずからが身をもっておのれ自身に弁済をなし給う、神こそは人間自身の返済しえなくなったものを人間に代わって返済しうる唯一者であり給う、——債権者[#「債権者」に傍点]みずからが債務者のために犠牲となる、それも愛[#「愛」に傍点]からして(信じられることだろうか?——)、おのれの債務者への愛からして!…… [#ここで字下げ終わり]  ニーチェによれば、「善悪」という顛倒した価値評価はまだ敵を目の前に置いている。「彼は敵だ。敵は悪い。だから、私は善い」と。しかし「良心の疚しさ」ではさらにルサンチマンが深くなる。なぜならそれは、敵に向けられていた憎悪や反感や攻撃本能がもはや行き場所を失って(現実における自分の非力が決定的である場合にそうなる)、ついにその所有者自身[#「所有者自身」に傍点]に向け変えられるということだからである。  こうしていまや「悪い」ものは、目の前の「敵」ですらなく、この「私」の存在、「私」の生存それ自体である、ということになるのだ。 [#ここから2字下げ]  神[#「神」に傍点]にたいする負い目(罪責)、この思想が人間にとっての拷問具となる。彼は、神のうちに、おのれの固有の脱却しがたい動物本能と対立するものと考えられうる究極の反対物を見る。彼は、この動物本能そのものをば、神にたいする負い目として(略)解釈し変える。彼は〈神〉と〈悪魔〉との矛盾のあいだに自らを張りわたす。彼は、自己自身および自己の存在の自然、天真、事実にたいして否というこの否定の一切をば、おのれ自らの外へと投げやり、あえてこれをば逆に肯定となし、存在する生ける現実者となし、神となし、神の聖性となし、神の審判となし、神の処刑となし、彼岸となし、永遠となし、はてしなき責め苦となし、地獄となし、無量の罰および罪責となす。これこそはまったく比類を絶した、精神的残忍における一種の意志錯乱である。すなわちそれは、おのれ自身を救われがたいまでに罪あるもの呪わるべきものと見ようとする人間の意志[#「意志」に傍点]である。 [#ここで字下げ終わり]  いうまでもないが、キリスト教はヨーロッパにおける「人間の理想像」についての最大の思想だった。だがその本質がどういうものだったかをよく見るがいい。それは、自然な肉体とエロス、現世の欲望、快楽、陶酔、愉悦、といった人間の本性を徹底的に否認し、それとまったく究極の反対物として「神」を打ち立てた。人間の肉体の自然性を「悪魔」の属性として敵視し、その上で、現世における生の欲望を一切否定すること。また、人間のこの世における生は、かりそめのもの、誤ったもの、つまり「仮象」にすぎず、ほんとうの生(世界)は、最後の審判の後(彼岸)においてのみ存在すると主張すること。これがパウロたちによって打ち建てられた�キリスト教会�の教義の本質にほかならない。  ひとことで言ってそれは、「聖なる神」という�超越的な�理想を向こう側に立て、その面前で自分の「絶対的無価値」を確かめようとする、「比類を絶した」意志の「錯乱」というほかない。この「生を絶対的に否定しようとする意志」、これこそキリスト教のニヒリズムの本質をこの上なく示すものなのだ。これがこの章のニーチェの結論である。   3 禁欲主義的理想は何を意味するか?[#「3 禁欲主義的理想は何を意味するか?」はゴシック体]  この章では、まずつぎのような問いが投げかけられる。「……人間の意志は一つの目標を必要とする[#「人間の意志は一つの目標を必要とする」に傍点]、——この意志は、何も欲しない[#「ない」に傍点]よりは、いっそむしろ虚無[#「虚無」に傍点]を欲する」。さて、これはどういうことか?「『全然わかりません! 先生!』——では、最初からまたはじめるとしよう」、とニーチェは書く。  ここで問題になるのはなにより「禁欲主義的理想」なるものである。キリスト教はいま見てきたようなかたちで「禁欲主義的理想」を育て上げてきた。しかしそれは必ずしも、生に反しようとする意志、死へと傾斜する意志なのではない。その本質はやはり生への意志[#「生への意志」に傍点]にある。彼はこう言う。事実としては、「禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生じる[#「禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生じる」に傍点]」。「かかる生は、あらゆる手段をもって自己を保持しようと務め、自己の生存のために闘う。(略)禁欲主義的理想は、生の保持[#「保持」に傍点]をはかる一つの策略なのである」。  これはどういうことか。「隣人愛」とか、「同情」とか、「生命感情の抑圧」とかは、弱者が被支配、非力さ、窮乏などに堪えてなお生きつづけるための、いわば余儀ない手段だったということだ。ところが、禁欲主義的僧侶が「ルサンチマンの方向転換者」として登場するや、驚くべきことに彼らは人々に、「苦痛[#「苦痛」に傍点]」を愛する[#「を愛する」に傍点]ことを教えるにいたった。どのような仕方でそんなことが可能になったか。 「私は苦しい——これは誰かのせいにちがいない」。こう考えることは、現実を動かす力がないとき[#「現実を動かす力がないとき」に傍点]にはまさに生を堪えがたいものにする。そこで禁欲主義的僧侶はこう教える。「お前が苦しいのは確かに誰か[#「誰か」に傍点]のせいだが、その誰かとは、ほかならぬお前自身にほかならない」、と。この「ルサンチマンの方向転換」は、ある意味で、弱者たち、苦悩するものの生を宥め、守るという役割を果たす。そしてこの「ルサンチマンの方向転換」に成功することで、禁欲主義的僧侶たちは「苦悩者らにたいする支配」を打ち立て、その王国を築くことに成功した。ヨーロッパにおけるキリスト教会の支配とは、つまりそういう事態だったのだ、と。  さらに、ニーチェはここから、キリスト教の没落の後[#「没落の後」に傍点]、この「禁欲主義的理想」はどうなったのかという問いを立てる。  近代に入るや否や、いたるところで「神の死」の徴候が露わになる。ガリレオの地動説、ニュートンの万有引力、そしてダーウィンの進化論、こういった自然科学の新しい知見が、それまで絶対視されていたキリスト教世界像を徐々に覆していくことになる。では、今日の哲学者、科学者、合理主義者、無神論者たちのうちに、われわれの求める「反理想主義者」が見出せるのではないかとニーチェは問うてみせる。彼らはもはや「信仰」を持たず、厳密な「認識者」たろうとする点で自らを「キリスト教的理想主義」の反対者と考えているのだから。  しかし、じつはそうではないと彼は答える。 [#ここから2字下げ]  これら現代の否定者や離反者たち、知的清廉を要求するという一事に無二無三なこれらの人たち、われわれの時代の名誉となるこれらの厳酷な、峻厳な、抑制的な、英雄的な精神の者たち、すべてこれらの蒼ざめた無神論者、反キリスト者、インモラリスト、ニヒリストたち、(略)——彼ら、この〈自由な、いとも[#「いとも」に傍点]自由な精神〉たちは、自分らが本当に禁欲主義的理想から離れられるだけ遠く離れているものと信じている。だが、彼ら自身では目にしえないもの(略)を、はっきり彼らに見せてやるとすれば、この禁欲主義的理想こそがまさに彼らの[#「彼らの」に傍点]理想なのでもあり、おそらく他の誰でもない彼ら自身こそが今日この理想を体現しているのであり(略)、それのもっとも危険な微妙な捉えがたい誘惑の形態でもあるのだ。——もし私がここのところで何やら謎解きをやるとすれば、次のような[#「次のような」に傍点]命題でもってこれをやろうと思うのだ! ……「彼らはとてもまだ自由[#「自由」に傍点]なる精神ではない、なぜなら彼らはいまだに真理を信じているからだ[#「なぜなら彼らはいまだに真理を信じているからだ」に傍点]」と……。 [#ここで字下げ終わり]  たしかに、この新しい無神論者たち(哲学者、科学者、合理主義者、懐疑論者等々)はキリスト教とその神の国の信仰に反対した。しかしじつは彼らもまた「新しい信仰」をもっている。近代哲学や近代科学における「真理への意志」(正しい認識[#「正しい認識」に傍点]へのあくなき追求)なるものがそれである。なるほどこの近代における「真理への意志」によって、世界像としての[#「世界像としての」に傍点]、また道徳として[#「道徳として」に傍点]のキリスト教は没落した。だがニーチェによればこの近代の「真理への意志」は、「禁欲主義的理想」という本質をそのまま保持しているのである。 [#ここから2字下げ]  すなわちあの真理への無条件的意志とは、じつは禁欲主義的理想そのものにたいする信仰[#「禁欲主義的理想そのものにたいする信仰」に傍点]なのである。たとえそれがこの信仰の無意識的な命令と見るべきものであるとしてもだ。この点を見誤ってはならない、——それは一つの形而上学的[#「形而上学的」に傍点]価値、真理[#「真理」に傍点]の価値そのもの[#「そのもの」に傍点]にたいする信仰なのであり、しかもこの信仰たるや禁欲主義的理想のうちでのみ保証され確認されるものなのだ。 [#ここで字下げ終わり] 「真理への意志」は、要するに「絶対的に正しいものが存在する」という�信仰�を前提としている。近代科学も近代哲学も、この「絶対的に正しいもの=真理」を追い求めようとする情熱において一致する。そしてニーチェによれば、この�信仰�はキリスト教の「禁欲主義的理想」から生じたものなのだ。つまり近代的な「真理」への信仰は、キリスト教の理想の中で育て上げられたものだと言うのである。  この近代の禁欲主義的理想である「真理への意志」は、どこにいきつくか。それはその論理的な誠実にしたがって、それまでのキリスト教の世界観の一切を、つまり「神」、「霊魂」、「自由」、「不死」、「聖域」などの概念の一切を解体し、世界を徹底的に没価値[#「没価値」に傍点]なものとして描き出すことになる。「真理への意志」は、ついに世界それ自体には何の意味もないということを証明するところまでゆきつくのである。そして、この土台の上に、現代の無神論、懐疑論、デカダン、ニヒリズムが咲き狂うことになる。  こうして、一九世紀の「ヨーロッパのニヒリズム」は、その根をまさしくキリスト教の理想の内にもっているのだ。無神論、懐疑論、デカダン、ニヒリズム、この現代精神の明らかな徴候は、キリスト教の理想の反対物ではなく、むしろその必然的な帰結[#「必然的な帰結」に傍点]であり、またそのニヒリズム的本質の完成態[#「完成態」に傍点]でもある。ニーチェはそう言う。  もともとキリスト教における禁欲主義的理想それ自体が、「虚無(ニヒル)への意志」を隠していた。近代においてキリスト教の世界像が没落したとき、しかしヨーロッパの人間はこれに代わる新しい人間像を提示できなかった。その理由をどう考えればよいか。彼はこう言う。「禁欲主義的理想を外にしては、人間は、人間という動物は、これまで何の意味をももたなかった」ためだ、と。 [#ここから2字下げ]  苦悩そのものが彼の問題だったのではなく[#「なく」に傍点]て、〈何のため[#「何のため」に傍点]苦悩するのか?〉という問いの叫びにたいする答が欠けていることこそが問題であった。人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない[#「しない」に傍点]。(略)これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった[#「なかった」に傍点]。——しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ[#「しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ」に傍点]! それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。(略)あえてこれをはっきりと規定するなら、虚無への意志[#「虚無への意志」に傍点]であり、生にたいする嫌厭であり、生のもっとも基本的な諸前提にたいする反逆である。だが、これとてもあくまで一つの意志[#「意志」に傍点]ではあるのだ! ……さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、——人間は何も欲しない[#「ない」に傍点]よりは、いっそむしろ虚無[#「虚無」に傍点]を欲する……。 [#ここで字下げ終わり]  ヨーロッパ独自の人間の価値観、それは「何のために生きるか(苦しむか)」という問いに対して「一つの意味」を与えつづけてきた。「神のために」、あるいは「あの世の生のために」という意味を。これが「禁欲主義的理想」だが、「あえてこれをはっきりと規定するなら」それは「虚無への意志であり、(略)生のもっとも基本的な諸前提にたいする反逆」だと言える。  つまり、現代のニヒリズムとは、キリスト教的理想の反対物では決してない。それはじつはこの「虚無への意志」というヨーロッパの理想の本性が、宗教的な覆いを剥がされて露わになったものにほかならない……。  これが『道徳の系譜』におけるニーチェの激烈なキリスト教批判の大要である。もはや明らかなことだが、彼のキリスト教批判は単なる「宗教」の批判でもなければ、単なる「道徳」の批判でもない。たとえばカントは、人間の理性能力の限界という観点からそれまでの哲学的な諸問題の一切を「批判」して、哲学にコペルニクス的転回をもたらしたとされる。これに類比して言えば、ニーチェは、さまざまな問いの「真の動機は何か」という観点から、いわば人間の思想行為それ自体に対するひとつの根底的な批判を投げかけたと言えるのである。  さて、このあとわたしたちは、『道徳の系譜』で見事に定式化された批判的諸概念を軸にして、ニーチェのヨーロッパ思想批判の全体像をもう少し追ってみることにしよう。   二、「道徳」とルサンチマン  前に引いたが、もう一度この有名な「根本洞察」から。 [#ここから2字下げ]  根本洞察。すなわち、カントも、ヘーゲルも、ショーペンハウアーも——懐疑論的・判断中止論的態度も、歴史主義的態度も、ペシミズム的態度も——道徳的[#「道徳的」に傍点]起源をもっている。私は、道徳的価値感情の批判をあえてなした者を一人としてみたことはなく、また、この感情の発生史へと達しようとのお粗末な試み(イギリスやドイツのダーウィン主義者たちのところでみられるような)には、私はただちに背をむけた。(『権力への意志』原佑訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり]  近代哲学者たちは、たとえば認識の可能性という問題やその他哲学上の論理的難問をさまざまに解こうとしてきた。だが、誰にとっても最大の関心事はじつは「いかに道徳の価値を高いものに見せるか」ということにほかならなかった。私はここにはじめて、「道徳の価値」それ自体を�問題にして�みせよう。ニーチェはそう言っているのだ。  すでに見てきたように、ニーチェにとっては近代哲学の「道徳」観念は、キリスト教における「禁欲主義的理想」の変奏形態にすぎない。見方を変えるとそれは、没落したキリスト教に代わって、近代哲学が人々の「善悪」の基準を�神学的にではない仕方で�基礎づけることを意味していた。なんといってもキリスト教の没落は、人間の「存在意味」の超越的な(つまりこの世界を超えたどこかに存在するはずの)根拠の喪失ということだから、近代哲学は、それに代わりうる「存在意味の根拠」を�捏造�しなくてはならなかったのである。  もはや「神」は存在しない。だが、人間には「道徳」がある。「道徳的存在」でありうること、そこに人間が人間たることの本質的な根拠と理由がある。そのような主張のうちに近代哲学の隠されたモチーフがあったのだとニーチェは言う。そしてまた彼はこう言う。彼らはこぞって「道徳」の価値を高めることに努めた。しかし誰一人として、そもそも「道徳」とは何か、それはいったいどういう価値があるのかと問うたものはなかった、と。  ところで、「道徳」が人間にとってまったく不必要なものだと強弁する人はまずいないだろう。しかしもう一方で道徳にはどことなく�うさんくさい�面があることも誰もが知っている。「道徳は必要かもしれないが、何となくうさんくさい」。じつにこの誰でももっているような感覚の中に道徳の本質が隠されているのだが、いわばニーチェは、この道徳の「うさんくささ」の根本的な理由を思想的にとことん問い詰めたのである。  たとえばこんな興味深い文章がある。「順位[#「順位」に傍点]。——第一に浅薄な思想家がいる。第二に深い思想家——事柄の深みに入り込む人々——がいる。第三に徹底的な思想家がいる。彼らは事柄の根本を究明する。——これは、単に事柄の深みに降りて行くことよりも、はるかに大きな価値のあることである!」(『曙光』茅野良男訳、以下同じ)。  たいていの若者は、時代の中で多くのことに違和感を抱き、異議を申し立て、反感をもち、不平を鳴らし、批判する。そういう場所からやがて思想を扱うようになった人間は、ますます多くのことに異議を申し立て、悲憤慷慨し、批判することになる。世の中はそれほど調和的には出来ていないからだ。しかし、ほとんどの思想家はこの異議や不満を才気に満ちた言葉のうちに遊ばせて(戯れさせて)おく。というのは、もしそれをほんとうに真剣に追いつめると[#「追いつめると」に傍点]自分の言葉の方にいろんな矛盾や問題が出てくるからである。  しかし中には、「深い思想家——事柄の深みに入り込む人々」がいる。彼らは自分の言葉を、不満や異議をそれらしく際立たせるために用いるのをやめて、「事柄の深み」を探究するために使用する。そして、きわめて稀に「徹底的な思想家」がいる。そういう人間はおそらくもはや時代への異議や不満をいかに巧みに表現するかという場所で格闘するのではなく、むしろ自分自身の�はじめの直観�と徹底的に闘うことになるのである。  すでに見たように、時代思想の批判家としてのニーチェのはじめの出発点は、ドイツ・ロマン主義の流れを汲むショーペンハウアー哲学の枠組みのうちでの文化批判にあった。キリスト教やそれにつながる哲学の「道徳」観念はおかしい。あれは人間性を否定するものだ。彼もまた、当時多くのひとが抱いたにちがいないそのような直観から出発した。しかしこの異議を、これまで存在したすべての世界像と根本的に拮抗するまでに突きつめるには、自分のその直観を、考えられうるあらゆる反駁の中で試さなくてはならない。この作業をとことん行ったものだけが「徹底的な思想家」となる。わたしに言わせれば、ニーチェの思想の航跡はまさしくそういうものなのである。  ともあれ、道徳についての彼の考察をいくつか引いてみよう。 [#ここから2字下げ]  道徳性とは、個々人における群畜的本能のことである。(『悦ばしき知識』信太正三訳)  どの程度まで同情を警戒しなければならないか[#「どの程度まで同情を警戒しなければならないか」に傍点]。——同情は、それが実際に苦しみをつくり出すかぎり(略)およそ有害な[#「有害な」に傍点]感動に迷いこむことと同じように、ひとつの弱さである。同情はこの世の苦しみを増大させる[#「増大させる」に傍点]。(『曙光』)  道徳は出来そこないの者ども[#「出来そこないの者ども」に傍点]が、ニヒリズムにおちいらないようにふせぐが、それは、道徳が、各人に[#「各人に」に傍点]無限の価値を、形而上学的価値をあたえ、この世の権力や階序のそれとはそぐわない或る秩序のうちへと組みいれることによってである。(『権力への意志』)  倫理学、すなわち「願望の哲学」。——「異なったものであるべき[#「べき」に傍点]であるのに」、「異なったものとなるべき[#「べき」に傍点]であるのに」、それゆえ不満足が倫理学の萌芽である。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  道徳の起源は恐怖や不安にある。だから、道徳は群れ集まろうとする本能に由来する。またそういう意味で道徳は�弱さ�の現われである。道徳の代表的な徳目は「利他性」だが、これは弱者から出てくる。したがって道徳の基礎には願望がある……。  こういう考察は、キリスト教をはじめから敵役と見なすような批判思想からは、じつに皮肉の効いた鋭い見方ということになるかもしれない。だが、ただそれだけの話であって、ニーチェの思想がこんなぐあいの考察に終るだけなら彼はちょっと変った皮相な思想家というにすぎなかったろう。道徳が不安や恐怖を起源とすること、弱さから出ていることは事実だが、そのことは別に道徳を無価値なものにしない。ニーチェ自身が何度か主張しているが、ものごとの「起源」と「本質」はべつものなのである。  だから、ニーチェのこういう道徳批判を見て強い反発をもつ人々も多いに違いない。しかし、すでに見たように彼の道徳批判の最大の眼目は、道徳が人間の自然な生のありようを強く抑圧するにいたる、その奇妙な顛倒の論理を徹底的にあばくことにある。たとえばつぎのような考察をみよう。 [#ここから2字下げ]  ——「汝の敵を愛せよ」と言うときには、ひとは道徳から自然を放逐[#「自然を放逐」に傍点]する。なぜなら、いまや、「汝の隣人を愛し[#「愛し」に傍点]、汝の敵を憎む[#「憎む」に傍点]べし」という自然[#「自然」に傍点]は、律法のうちで(本能のうちで)意味を失ってしまうからである。いまや隣人への愛[#「隣人への愛」に傍点]もまた新しく基礎づけられなければならない(一種の神への愛[#「神への愛」に傍点]として)。いたるところで神がさしこまれて有用性[#「有用性」に傍点]がぬきさられ、いたるところで、すべての道徳が本来そこから由来する根源[#「根源」に傍点]が否認される。まさしく自然の道徳の承認[#「自然の道徳の承認」に傍点]のうちにある自然性の尊重[#「自然性の尊重」に傍点]が、跡かたもなく絶滅されるのである。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり] 「汝の敵を愛せよ」というキリスト教の教えは何を意味しているか。せんじつめて言えばそれは、「自分のために何かをしてはならない、ただ他人のためにだけ何かをなせ」という命令を意味する。そしてニーチェによればここにはある根本的な顛倒が存在する。「まず自分のために努力する。そしてつぎに、その余裕と力があるとき人は他人を助ける」、ということが人間の道徳的�自然性�だとすると、キリスト教はこれをまったく逆転しているからである。  これは大変重要な観点というほかない。人々が争い合うこの世のありさまを見て、わたしたちは誰しも、すべての人間が互いに「他のために」を優先させれば争いもなくなるだろうに、と考える。しかしこの�夢想�は、まず人間の自然[#「自然」に傍点]に反しているという理由で、そのままでは絵空事でしかない。だから、現実的な思想家はこの夢想に立ち止まっていないで、暴力による決着を回避するためにさまざまなルールを作ったり、共同体の中で人々が互いに助け合うことのできる条件を作り出すための努力をするのである。  ところで、あるとき何者かが現われ、「自分のためになすな、ただ他者のためになせ」という道徳的命令をもたらすとする。これは人間の道徳の�自然性�に反しており、そのままでは通用しない。しかしこの要請はある場合だけ、�自然性�を超えて受け入れられる可能性がある。それはどういう場合か。  何らかの「超越者」、何らかの「絶対」が仮構され、それがこの世の一切を超えて[#「この世の一切を超えて」に傍点]大事な「真理」である、という信仰が成立するときである。そのときそれは、「自分のために何ものをもなすな、それは悪であるから。ただ絶対的な真理、あるいは正義のために自分のすべてを捧げて生きるのが最も正しい」という独自の命題として自立する。キリスト教がなしとげたのはまさしくそういうことだったとニーチェは言う。  こうしてキリスト教の「絶対的な道徳」が現われるが、それはもはや道徳の自然な存在理由から離脱したものとなっている。それはただ絶対的「真理」と「正義」を追求することを、人間の一切に優先する目標として設定することになるのだ。  たとえばニーチェは、�自分を正しいと言う者をこそ最も警戒せよ�、と繰り返し語っている。「いったい、人間の未来全体にとっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるのか? それは、善にして義なる者たちのもとにあるのではないか?」(『ツァラトゥストラ』)と。 [#ここから2字下げ]  おお、わたしの兄弟たちよ! いったい、人間の未来全体にとっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるのか? それは、善にして義なる者たちのもとにあるのではないか? ——  ——すなわち、「何が善にして義であるかを、われわれはすでに知っており、さらにそれを体得してもいる。このことで今なお探求する者たちに、わざわいあれ!」と、口にだし、心に感じている者たちのもとにあるのではないか?  そしてたとえ悪人どもがどんな害悪をなすにもせよ、善人どもの害悪こそ最も有害な害悪なのだ!  また、たとえ世界を中傷する者たちがどんな害悪をなすにもせよ、善人どもの害悪こそ最も有害な害悪なのだ!(『ツァラトゥストラ』吉沢伝三郎訳) [#ここで字下げ終わり] 「道徳」はそれ自体としては人間社会に必要不可欠なものである。しかし、それはある場合徐々に�うさんくさい�ものになり、また徐々に�危険なもの�になる。どういう場合にか。「ルサンチマン」によって道徳の�自然性�が反転し、内向し、そして現世を超えたある「絶対性」と結びつくときである。そうニーチェは言う。  そもそもルサンチマンとは、感情を反芻すること、を意味する。つまり、「辛かったことにいつまでもこだわること」、「こんなに自分を苦しめた奴は誰だ」と、いつまでも恨みに思うことである。だからルサンチマン人間は、「あいつは力がある、したがってあいつは悪い[#「したがってあいつは悪い」に傍点]」と考える。同様に彼は、「あいつは自分のことばかりを考える、この力のない〈私たち〉のことはちっとも考えない、だからあいつは悪い[#「だからあいつは悪い」に傍点]」と考える。こうして、「他人のことを考える人間だけが正しい人間である」という�反自然�的思考が生み出されることになる。  ルサンチマンを持たない人間は、現実の矛盾をいったん認めた上で、自分の力において可能な目標を立て、あくまで現実を動かす[#「現実を動かす」に傍点]ことを意欲する。しかしルサンチマンを抱いた人間は、現実の矛盾を直視したくないために、願望と不満の中で現実を呪詛しこれを心の内で否認[#「否認」に傍点]することに情熱を燃やす。こうして彼は、動かしがたい現実を前にして「敵は悪い」という価値評価を作り、さらにまた「汝の敵を愛せよ」という反転した道徳を生み出す。そしてそれはやがて、どこかに「本当の世界」があるはずだという「信仰」に至りつくことになる。  もちろんある意味ではキリスト教は、それまでの民族宗教がもっていた倫理、道徳の自然性を�乗り越える�ことではじめて、自らを「世界宗教」として成熟させたのだと言えなくない。しかしまたそこに、道徳や倫理がある種絶対的な命令として人間を抑圧するような性格を帯びることになる端緒があったとも言えるのである。  キリスト教のような普遍的宗教では(イスラム教でも仏教でも大なり小なりそうだが)、「自己性」、「利己性」、「自己中心性」は必ず「悪」として退けられる。一方で、「利他性」は普遍的な「善」とみなされかつ絶対化される。そしてこういう場合いつでも、一番声高に「利己性」の悪を叫び、「利他性」を絶対的な[#「絶対的な」に傍点]「善」として強調する人間が現われる。ニーチェによれば、まさしくそれをなすのが「僧職者」たちである。彼らは「善」と「義」の絶対性をいっそう強く叫ぶことによって、なにより虐げられた人間たちのルサンチマンを巧みに組織するのだ。 「道徳」の�うさんくささ�の本質はこういう場面から生じてくる。「利他性」はもともと人間どうしの共同生活の中で自然な存在理由をもっている。困ったものを助けること、弱い者を保護すること、協力しあうこと、相互扶助等々は、人間の共同生活にとって必要不可欠のものである。ところが、「僧職者」たちは「利他性」を絶対化し、これを人間の絶対的な「善悪」の(つまり価値の)基準として流通させようとするだろう。  すでに見たように「僧職者」たちはルサンチマンの「方向転換」を行う。彼らは言う。生の「苦悩」は、ある場合「悪」なる敵から生じる。またある場合は原罪から、「神」への不信仰から、肉体と快への執着から生じるのだと。このことによって僧職者たちは一方で自分自身の存在を�聖化�する。またもう一方で、人々の苦悩に、それをルサンチマンによって[#「ルサンチマンによって」に傍点]組織するような捌け口を与えるのである。  さて、はじめに述べたように、ニーチェの思想が二〇世紀の後半になって再び蘇ったのは、なにより彼のキリスト教批判が、ある特定の「信念」、「主義」、「イデオロギー」などに対する普遍的な批判思想として読み直されたからにほかならない。というのも、このニーチェの道徳批判には、信条(ドグマ)、主義、イデオロギーといった「正しさを絶対化するような信念」の一切を徹底的に批判し、解毒するような原理が封じられているからである。またそこで、「正しさ」の「信念」なるものがいかにしばしばルサンチマンやその他の意識できない情熱によって支えられるかという、その心理的機制(メカニズム)がみごとに捉えられているからである。  ファシズムやスターリニズムは、もともとある体制の支配に対する被支配者たちの反逆として現われたものだ。ここには当然多くの人間のルサンチマンがあり、そしてそこからこのルサンチマンを組織する「禁欲主義的僧侶」たちが登場する。組織者たちは、人々に何らかの世界観(イデオロギー)を示し、「ここにこそ正義がある」、「これをなすことこそが善である」と叫ぶ。多くの場合、人々は示された「絶対性」にひざまずき、そのことであの自然を顛倒した道徳や命令にしたがう。なぜこのような奇妙な服従が成立するのか。つまり、支配され虐げられていた人間たちの「ルサンチマン」が、自分に苦しみを与えていた「何ものか」に対する復讐のためにこの「顛倒」を受け入れるからなのである。  ところで、第二次大戦は千六百万の兵士を戦死させたが、ナチズムによるユダヤ人虐殺とスターリニズムによる粛清、処刑の数は、それを上回ると推定されている。ニーチェの思想が二〇世紀後半に生き返った大きな理由のひとつがここにある。彼の思想は、何らかの世界観を絶対的なものとして信奉するイデオロギーの一切を、原理的に批判しつくすような力をもっていたのである。  ニーチェは、ヨーロッパの近代哲学の「道徳」観念がこのようなキリスト教の「道徳」の本質をそのまま受け継いでいることを力説した。これはヨーロッパの「道徳」、つまりヨーロッパにおける人間の「理想」それ自体が、根本的な理由で�腐っている�ということにほかならない。古く巨大な樹木全体がその深い根を腐らせているのである。いかにしてこれを根治するか。そこにニーチェの新たな課題が現われる。 [#ここから2字下げ]  たとえ、われわれの言うところが人の耳には辛く不快にひびこうとも、われわれとしては次のことを繰りかえしどこまでも主張せざるをえない。すなわち、ここで善悪の何たるかを知っていると信じているもの、おのれの賞讃や非難をもって自画自讃し、おのれ自身を善と称しているもの、それは畜群的人間の本能である、と。この本能は急激にあらわれてきて、他のもろもろの本能を凌駕して優勢となり、はびこるようになった。しかもこの本能は、ひとびとの生理的な親近性や類似性——その本能はこれらの症候であるが——が増大することによって、いよいよはびこるようになってきたのだ。今日のヨーロッパにおける道徳なるものは[#「今日のヨーロッパにおける道徳なるものは」に傍点]、畜群的道徳である[#「畜群的道徳である」に傍点]。——要するにこれは、われわれがことの真相を解するかぎりでは、人間的道徳の一種[#「一種」に傍点]にすぎず、これと並んで、これの前に、これの後に、他の多くの道徳が、なかんずく多くのより高い[#「より高い」に傍点]道徳が可能であるし、また可能であるべきなのだ[#「また可能であるべきなのだ」に傍点]。(『善悪の彼岸』信太正三訳) [#ここで字下げ終わり]   三、「真理」について 「真理」とは何か。それはヨーロッパの長い歴史において、つねに究極のもの、最後に達されねばならないものだった。ニーチェによれば、正しい「認識」によって到達されるべきものとしての「真理」という観念をはじめに提出したのはプラトン(ソクラテス)である。つまりヨーロッパ思想における「真理主義」の根はプラトン以来連綿と続いている……(この考え方は、ポスト・モダニズムでも、「反[#「反」に傍点]ロゴス中心主義」というかたちで大いに主張された)。だがこの「真理」という観念こそ最もいかがわしい。というのも、すでに見たように、「真理」の観念が�自然�を超えた道徳観念の絶対性を作り出し、そのことであの奇妙な顛倒を可能にするからだ。このようなモチーフからニーチェは、「真理」の観念をまったく新しい光学によって捉え直そうとする。  伝統的な考え方では、「真理」とは、プラトンやキリスト教に示されるように世界における「究極のもの」を指す。また近代ではそれは、世界の「真理」、「客観性」、そして、認識における「厳密性」と「正確性」を意味する。しかしニーチェはつぎのように言う。 [#ここから2字下げ]  真理の標識は権力感情の上昇のうちにある。(『権力への意志』原佑訳、以下同じ)  私たちの知性に権力と安全の感情を最も多くあたえる仮説が、この知性によって最も優遇され[#「優遇され」に傍点]、尊重され[#「尊重され」に傍点]、したがって真[#「したがって真」に傍点]と表示されるのではなかろうか?——知性はおのれの最も自由な最も強い能力や性能[#「最も自由な最も強い能力や性能」に傍点]を、最も価値多いものの、したがって真なるもの[#「真なるもの」に傍点]の標識として立てる…(同右)  真理は何でもって証明される[#「何でもって証明される」に傍点]のか? 高揚された権力の感情でもって、——有用性でもって、——不可欠性でもって、——要するに利益[#「要するに利益」に傍点](略)でもってである。(同右) [#ここで字下げ終わり]  ニーチェに、「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」という有名な言葉がある。これは、「客観」とか「物自体」とか「世界そのもの」とかいったものはまったく存在しない[#「存在しない」に傍点]、ということである。存在するのは、さまざまな人間が世界に対してさまざまな評価を行うというそのことだけである、と。 「解釈」とは、世界が何であるかについていわば任意の「物語」を立てることである。「世界を解釈するもの、それは私たちの要求である」(『権力への意志』)。つまり人々の要求が多様であるのに応じて、「世界が何であるか」についての無数の解釈が存在する。それだけが根本の�事実�なのである。そしてその中で、いわばもっとも力をもった(説得性をもった、または権力をもった)「解釈」がこれまで「真理」と呼ばれていたにすぎない。これがニーチェの考え方である。  彼はさらに考察をすすめる。 [#ここから2字下げ]  形而上学の心理学によせて[#「形而上学の心理学によせて」に傍点]。——この世は仮象である、したがって[#「したがって」に傍点]或る真の世界がある、——この世は制約されている、したがって[#「したがって」に傍点]或る無制約的な世界がある、——この世は矛盾にみちている、したがって[#「したがって」に傍点]或る矛盾のない世界がある、(略)——これらの推論はまったくの偽りである(Aがある[#「ある」に傍点]ならば、その反対概念Bもまたある[#「ある」に傍点]にちがいないという、理性への盲信的信頼)。こうした推論をなすよう霊感をあたえるのは苦悩[#「霊感をあたえるのは苦悩」に傍点]である。すなわち、根本においてそれは、そのような世界があればとの願望[#「願望」に傍点]である。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  伝統的な「真理」の観念はこのような誤った推論に還元できる。どこかに「ほんとうの世界」があるはずだ、どこかに「完全な世界」、「矛盾のない世界」があるはずだ。このような推論を支えるのはつねに「苦悩」を否認する心性にほかならないのだ。  ここで『悲劇の誕生』における「悲劇」の概念を思い出して欲しいが、ニーチェの出発点となったのは、「苦悩にもかかわらず、生を是認する」という観念である。「文明の火」を盗んだプロメテウスは、人間世界により大きな矛盾と苦悩を持ち込んだ者として断罪されるべきではなく、むしろ大きな「喜悦」と「陶酔」をもたらした者として是認されるべき存在とされた。ペシミズムやシニシズムはその逆の思考法なのだ。つまりそれは、「矛盾」や「苦悩」という否定性を恐れるあまり、「快楽」や「悦び」という肯定性のすべてを否認しようとする精神なのである。  なぜそういう思考法が現われるか。そう考えて、ニーチェはひとつの結論に達する。すなわちこれは人間の、そして文明全体の「弱さ」の徴候であると。  ところでここでひとつ注意を促したいことは、近代哲学を徹底的に批判するこのような試みの中で、ニーチェがひとつの根本的な原理をつかむということだ。「力の思想」がそれである。それは、哲学史的なコンテクストからは、ショーペンハウアーやシェリングの「反ヘーゲル的思考」から繋がっているとも言えるが、しかしまさしくニーチェ的独創を刻印されている。「力の思想」については別の章で詳しくみるが、さしあたって言うとそれは、「価値評価」というキーワードから考えるのが分かりやすい。 [#ここから2字下げ] 「これこれのものはこうであると私は信ずる」という価値評価[#「価値評価」に傍点]が、「真理」の本質にほかならない。価値評価のうちには保存[#「保存」に傍点]・生長の諸条件[#「生長の諸条件」に傍点]が表現されている。すべての私たちの認識機関や感官[#「認識機関や感官」に傍点]は、保存・生長の諸条件に関してのみ発達している。理性とその諸範疇とへの、弁証法への信頼[#「信頼」に傍点]、それゆえ論理学の尊重[#「尊重」に傍点]は、これらのものが生にとって経験によって証明ずみの有用性[#「有用性」に傍点]をもっていることを証明するのみであって、これらのものの「真理」を証明するのではない。  一群の信仰[#「信仰」に傍点]が現存しなければならないということ、判断がくだされて[#「判断がくだされて」に傍点]よいということ、すべての本質的価値に関しては疑問の余地がない[#「余地がない」に傍点]ということ、——これが、すべての生あるものとその生との前提である。それゆえ、何ものかが真なりと思いこまれざるをえない[#「ざるをえない」に傍点]ということが、必然的なのであって、——何ものかが真であるということではない[#「ない」に傍点]。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  さきに見たように、伝統的に「真理」と呼ばれていたものは、じつは最も強力な「解釈」のことだったにすぎない。では「解釈」の本質は何か。それは「価値評価」にほかならない。「価値評価」は何を根拠としているか。生命体の、それと意識されることも明示されることもない「保存・生長の諸条件」を根拠とする。「すべての生あるもの」はこの「保存・生長」を不断の要請として自らに課している。これをニーチェは「力」と呼ぶ。  この「力」が世界をさまざまに「解釈」する。その根本は、何が「有用」で、何が「不可欠」で何が「利益」かということだ。だからこそさまざまな「生」の数だけ、さまざまな「真理」が存在することになるのである。   四、ヨーロッパのニヒリズム 『悦ばしき知識』の中に、人々に「神の死」を触れ回る狂気の男についてのエピソードが出てくる。よく知られたものだからすこし長いが引用してみよう。 [#ここから2字下げ]  狂気の人間[#「狂気の人間」に傍点]。——諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか、——白昼に提燈をつけながら、市場へ馳けてきて、ひっきりなしに「おれは神を探している! おれは神を探している!」と叫んだ人間のことを。——市場には折しも、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。「神さまが行方知れずになったというのか?」とある者は言った。「神さまが子供のように迷子になったのか?」と他の者は言った。「それとも神さまは隠れん坊したのか? 神さまはおれたちが怖くなったのか? 神さまは船で出かけたのか? 移住ときめこんだのか?」——彼らはがやがやわめき立て嘲笑した。狂気の人間は彼らの中にとびこみ、孔のあくほどひとりびとりを睨みつけた。「神がどこへ行ったかって?」、と彼は叫んだ、「おれがお前たちに言ってやる! おれたちが神を殺したのだ[#「おれたちが神を殺したのだ」に傍点]——お前たちとおれがだ! おれたちはみな神の殺害者なのだ! (略)——神だって腐るのだ! 神は死んだ! 神は死んだままだ! それも、おれたちが神を殺したのだ! 殺害者中の殺害者であるおれたちは、どうやって自分を慰めたらいいのだ? 世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ、——おれたちが浴びたこの血を誰が拭いとってくれるのだ? どんな水でおれたちは体を洗い浄めたらいいのだ? どんな贖罪の式典を、どんな聖なる奏楽を、おれたちは案出しなければならなくなるだろうか? こうした所業の偉大さは、おれたちの手にあまるものではないのか? それをやれるだけの資格があるとされるには、おれたち自身が神々とならねばならないのではないか? これよりも偉大な所業はいまだかつてなかった——そしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、この所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!」——ここで狂気の人間は口をつぐみ、あらためて聴衆を見やった。聴衆も押し黙り、訝しげに彼を眺めた。ついに彼は手にした提燈を地面に投げつけたので、提燈はばらばらに砕け、灯が消えた。「おれは早く来すぎた」、と彼は言った、「まだおれの来る時ではなかった。この恐るべき出来事はなおまだ途中にぐずついている——それはまだ人間どもの耳には達していないのだ。電光と雷鳴には時が要る、星の光も時を要する、所業とてそれがなされた後でさえ人に見られ聞かれるまでには時を要する。この所業は、人間どもにとって、極遠の星よりもさらに遙かに遠いものだ——にもかかわらず彼らはこの所業をやってしまったのだ[#「にもかかわらず彼らはこの所業をやってしまったのだ」に傍点]!」(信太正三訳) [#ここで字下げ終わり]  白昼にランプを灯して人々に「神を殺したのは自分たちだ」と叫ぶこの狂気の男は、もちろんニーチェのことだと考えてよい。彼はもはや「神を信じないひとびと」、つまり大勢の無神論者、近代の哲学者や科学者、唯物論者、合理主義者、懐疑論者等々に対してこう問いかける。長くヨーロッパの理想を支えていたあの「神」はいったいどうなったのか。神はただ「死んだ」のではない。じつは「神の殺害」ということが起こった。われわれ現代人がよってたかって神を殺したのだ。しかしそれがどういうことを意味するかお前たちは知っているかと。  これまで人々が所有していた「最も神聖なもの最も強力なもの」をみんなで殺戮したということ。これまで存在した人間の価値の超越的な根拠を、みんなで永遠に抹殺してしまったということ。そういうことが起こったのだ。そのために、われわれがどれほど大きな無意味と無根拠に堪えなくてはならなくなったか。しかしみんな心配するな。悪いことだけではない。このことによってはじめて、未来の人間が歴史の新しい段階に踏み込む端緒を得たのだ。このことで人間は、自分の生を肯定し解放する可能性を、長い歴史の中ではじめてつかんだのだ……。狂気の「男」はそう人々に訴える。  しかし人々はただ押し黙り、「訝しげに」彼を眺めるだけだ。それを見て「男」は気づく。「おれは早く来すぎた」。この「神の死」の意味を誰もまだ自覚していない。恐ろしい出来事は「まだ途中にぐずついている[#「ぐずついている」に傍点]」。人々は、近代のなした恐るべき所業の意味を知らない[#「知らない」に傍点]。いまにそれは雷の轟きのように、稲妻の閃きからかなり隔たっていきなりやってくる。この「遅延」こそがヨーロッパの現代である。それはヨーロッパのニヒリズムというかたちをとって立ち現われるだろう。  たとえば、『権力への意志』の序言はこんな言葉ではじまっている。 [#ここから2字下げ]  私が物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来たるべきものを、もはや別様には来たりえないものを、すなわちニヒリズムの到来[#「ニヒリズムの到来」に傍点]を書きしるす。(略)いったいなぜニヒリズムの到来はいまこそ必然的[#「必然的」に傍点]であるのか? それは、私たちのこれまでの諸価値自身がニヒリズムのうちでその最後的帰結に達するからであり、ニヒリズムこそ私たちの大いなる諸価値や諸理想の徹底的に考えぬかれた論理であるからである。 [#ここで字下げ終わり]  ニヒリズムとは、ここではもちろん、人間の理想や価値における「神」なる「超越的根拠」の喪失を意味する。これは、ドストエフスキーの小説に繰り返し現われるモチーフを借りて言うと、「一切は許されている」というテーゼを必然化[#「必然化」に傍点]するものだ。  ヨーロッパに「ニヒリズムの到来」ということが起こるが、しかしその理由は単に「神」が死んだということに還元できない。神学的世界像の代わりに登場した、哲学や科学という近代的思惟そのものの中にニヒリズム的本質が存在するのである。いまやそれがヨーロッパの戸口を叩く。それはどういうかたちをとって現われるか。ニーチェによれば、それはたとえば、「ロマン主義」、「感傷主義」、「相対主義」、「懐疑論」、「機械論」、「無神論」、「ペシミズム」、そして「デカダン」といった諸形式をとって現われるのだ。 [#ここから2字下げ]  徹底的ニヒリズム[#「徹底的ニヒリズム」に傍点]とは、承認されている最高の諸価値が問題であるとき、生存を維持することは絶対にできないという確信である。それに加えて、彼岸とか、「神的」であり道徳の体現であるような事物それ自体とかを措定する権利を、私たちはいささかももってはいないという洞察[#「洞察」に傍点]である。この洞察は「誠実性」が育てあげられてきたことの結果である、だから道徳を信ずることの結果ですらある。(『権力への意志』)  道徳を育てあげた諸力のうちには、誠実性[#「誠実性」に傍点]があった。このもの[#「このもの」に傍点]がついには道徳に反抗し、その目的論を、その私心ある[#「私心ある」に傍点]考察をあばきだし(略)長期にわたる血肉化されたこの欺瞞をみぬく洞察が、まさしく刺戟剤としてはたらくのである。(同右) [#ここで字下げ終わり] 「徹底的ニヒリズム」とは、この世を超えたところに何か「神的なもの」あるいは「神聖なもの」などはいっさい存在しない、という確信である。この確信は必ずしもキリスト教の世界像に対するアンチテーゼとして選びとられたのではなくて、自然科学の合理主義的な世界像から必然的に現われたものである。  宇宙とは、自然の物理科学的法則に貫かれたいわば機械仕掛けの天体運動にすぎず、この天体以外にはどんな特別の世界も存在しない。天国も地獄も作り話にすぎない。だから、「彼岸」もなければ「神聖」もない。だからまた、「よいと悪い」は人間の社会が考え出したとりきめにすぎない。するとじつは「一切は許されている」のではないか……。これまでの世界像から超越者[#「超越者」に傍点]を排除すると、ここまでゆきつかざるをえないのだ。  こうして、一九世紀に特徴的な思考の諸形態、「相対主義」、「懐疑論」、「無神論」、「ペシミズム」、「デカダン」等々が現われることになる。そしてニーチェに言わせると、これらはむしろ長くキリスト教が育ててきた「誠実性」、言い換えると人々の飽くなき「真理への意志」の帰結なのである。 [#ここから2字下げ]  心理学的状態としてのニヒリズム[#「心理学的状態としてのニヒリズム」に傍点]があらわれざるをえないのは、第一に[#「第一に」に傍点]、私たちがすべての生起のうちに、そのなかにはない「意味」を探しもとめたときである。そのためついには探求者は気力を失う。(略)しかし人間が、こうした世界を組み立てたのは心理学的欲求にすぎず、人間はそうする権利をまるっきりもってはいないとさとるやいなや、ニヒリズムの最後の形式が生ずる。これは、形而上学的世界を信じない[#「形而上学的世界を信じない」に傍点]ということをそれ自身のうちにふくみ、——真の[#「真の」に傍点]世界を信ずることをおのれに禁ずるものである。(『権力への意志』)  ——つまり何がおこったのか? 「目的[#「目的」に傍点]」という概念をもってしても、「統一[#「統一」に傍点]」という概念をもってしても、「真理[#「真理」に傍点]」という概念をもってしても、生存の総体的性格は解釈されえないとわかったとき、無価値性[#「無価値性」に傍点]の感情がえられたのである。(同右) [#ここで字下げ終わり] 『道徳の系譜』においてニーチェは、「苦悩」そのものではなく「苦悩の意味如何」が問題だったのだと書いていた。人間は、なぜ自分たちはこれほど苦しみつつ生きるのかとつねに問いつづけるような存在である。いったいわれわれは「何のために」生きているのかと。宗教や哲学はこの問いに対してさまざまな仕方で答えてきたのだが、ニーチェによればその答えは基本的に三つの「カテゴリー」を持っていた。  まず第一に「目的」、つまり「世界には確固とした目的があるはずだ」。第二に「統一」、「世界には摂理とその全体がある、つまりそれは何者かによって統一されているにちがいない」。そして最後に「真理」、すなわち「この世界は仮象にすぎない。したがって、〈真の世界〉が存在するはずだ」。  人間はこのように、「苦悩」から世界に「意味」を探しもとめる。そして彼らは「目的」・「統一」・「真理」という三つの大きな意味[#「意味」に傍点]を見出したのだが、これらの理念の確実性をどこまでも�誠実に�確かめようとしてきた。そしてこのいわば「真理へのあくなき誠実」が、ついには、世界はその彼岸に何ものも持っていないという事実の発見にまでいきつくことになるのである。  こうして「ニヒリズムの最後の形式」が現われる。「いっさいは何の意味もない」。「すべては許されている」。これが一九世紀において現われたヨーロッパのニヒリズムの完成形態である(わたしたちはその具体像を、ロシアの近代小説に生き生きと見出すことができる。ツルゲーネフにおけるルージン、プーシュキンのオネーギン、ドストエフスキーのラスコーリニコフやスタブロージン、チェーホフのワーニャ等々)。すなわちそれは、人間が「生の意味」をつかもうとする努力の、その最後の階梯として生じたものにほかならない。  これらは、具体的にはどのようなかたちで現象しているか。ニーチェはつぎのようなことがらを列挙しているが、じつに興味深いものがある。自然科学における「因果論」や「機械論」、つまり一切の「無意味性」と「没価値性」の強調。政治、経済における「アナキズム」、「奴隷制の廃止、すなわち、救済する階級の、是認者の欠如」。歴史における「宿命論」、「ダーウィン主義」、「過去に対する感傷性」。芸術における「ロマン主義」とその反動形態(つまり「ペシミズム」)。その他いろいろ……。  さて、「苦悩」→「ルサンチマン」→「三つの推論(目的・統一・真理)」→「ニヒリズム」という道すじを経て現われたヨーロッパのニヒリズムは、ニーチェの中で、当然ひとつの新しい思想的課題を要請する。つまりそれは、ニヒリズムの克服、そして新しい「理想」を創出するという未曾有の課題である。これが「超人」そして「永遠回帰」の思想として結実するのである。 [#改ページ]   第3章[#「第3章」はゴシック体] 価値の顛倒 [#改ページ]   一、「超人」の思想 「超人」と「永遠回帰」は、ニーチェによるニヒリズム克服という課題の二本柱である。これらは、ともに難解な概念であり、微妙なバランスを取って結びあっている。  その思想のかたちは、『権力への意志』からもかなり明瞭に読み取れるが、なにより重要なテクストはやはり『ツァラトゥストラ』である。そこでまず、この思想劇の概要を紹介しておくことにしよう。 『ツァラトゥストラ』(原題は「ツァラトゥストラはこう語った」)はニーチェ三九〜四一歳の作。詩的形式で書かれた思想劇であり、彼の中心思想である「超人」や「永遠回帰」についての啓示的物語だという点で特筆すべき作品である。つまり、ニーチェにとってこれは、「新約聖書」に拮抗すべきヨーロッパの新しい啓示の書たるべきものだった。彼はここで、かつて「アポロン的なもの」に対して「ディオニュソス的なもの」を対置したように、キリストの言葉に対して古代ペルシャの予言者ツァラトゥストラ(ゾロアスター)の言葉を対置する。 『ツァラトゥストラ』は四部構成からなるが、まず全体のあらすじを要約してみよう。 〈第一部〉  ツァラトゥストラは一〇年間高山に孤独を守っていたが、ある日自分の思索を人々に伝えるために山を降りる。彼は「まだら牛」と呼ばれる都市に来て、「神の死」や「超人」の思想について、また道徳、宗教、肉体、罪、愛などについての新しい教説を人々に説く。 〈第二部〉  ツァラトゥストラは再び山に登って孤独を持しているが、鏡を持った子供が現われて、人々の間で彼の教えが歪められていることを告げる。そこでツァラトゥストラは再び弟子たちのもとへおもむき、より強い言葉で従来の理想の虚妄を説き、超人の思想について語る。しかし彼は人々の精神がまだあまりに弱いことを知る。  超人の思想にとって最大の敵は「一切はむなしい」というニヒリズムだが、ツァラトゥストラはこれに向き合いつつ、やがて「永遠回帰」の思想を予感する。声なき声がツァラトゥストラにこの思想を語ることを促す。しかし彼は自分の中に「命令するための獅子の声が欠けている」と感じる。ツァラトゥストラは深い苦悩につかまれて人々のもとを去る。 〈第三部〉  ツァラトゥストラは山上の住処に帰る途次、さまざまな都市と多くの民衆のあいだをゆっくりと通りすぎる。教説を口真似する「ツァラトゥストラの猿」、教説の離反者などに出会いながら彼はようやく山上に戻る。ツァラトゥストラは自分の中に「永遠回帰」の思想が熟しつつあり、これを人々に伝えるべき時が近づいているのを知る。しかし、「永遠回帰」の思想は、その深遠さと「小さい人間が永遠に立ちかえる」という大きな倦怠によって、彼に強い「吐き気」と苦しみを与える。ツァラトゥストラは七日間病に伏すが、やがて回復した彼は、自分がこの思想の「告知者」として没落する(滅びる)べき運命にあることを悟り、これをはっきりと受け入れる。このとき、生と魂への「大いなる憧れ」がやってくる。 〈第四部〉  ツァラトゥストラは、「永遠回帰」の思想を告知するための最後の試練に出会う。山上を舞台に彼は七人の「高等な人間」(超人たりえぬ人)たちに出会い、彼らの苦しみを聞く。七人の「高等な人間」たち、高貴な王、厳格な学者、ワーグナーを思わせる魔術師、最後の法王、最も醜い人間といった者たちは、その大きな苦悩によってツァラトゥストラの同情をひく。だが、この同情[#「同情」に傍点]への誘惑こそ、彼が乗り越えるべき最後の試練となる。彼は「高等な人間への同情」こそ自分の最後の足枷であったことに気づき、これを振り払って「新しい価値創造の事業」のために山を降りることを決意する。「これはわたしの[#「わたしの」に傍点]朝だ。わたしの[#「わたしの」に傍点]昼が始まる。さあ[#「さあ」に傍点]、上がって来い[#「上がって来い」に傍点]、上がって来い[#「上がって来い」に傍点]、おまえ[#「おまえ」に傍点]、大いなる正午[#「大いなる正午」に傍点]よ!」(吉沢伝三郎訳、以下同じ)という言葉によって物語は閉じられる。  反=キリスト的教説を説く賢人ツァラトゥストラは、畏怖すべき「永遠回帰」の思想に到達するが、ついにその大いなる畏怖と深淵さとを克服して自らをその「告知者」(超人)へと鍛えていく。これが『ツァラトゥストラ』一篇の中心ストーリーだが、このプロセスはまたニーチェ自身の思想の展開を象徴するものでもある。これをよく示すのは、第一部にまず出てくる「三つの変化について」の中のつぎのような言葉だ。 [#ここから2字下げ]  わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせた。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になった次第を。 [#ここで字下げ終わり]  まずラクダとは、「真理」や「魂の飢え」やその他さまざまな重荷を抱え込んでその「重荷に耐える精神」を比喩する。だが、この「最も寂寥たる砂漠において」第二の変化が起こり、この精神は「獅子」となる。「獅子」は、自分の最後の主であった巨大な「竜」に闘いを挑む。この巨大な「竜」は「なんじ、なすべし」と叫び、これに対して「獅子」は「われ欲す」と咆哮する。  この「獅子」は『人間的、あまりに人間的』で語られた「自由精神」にあたる。それは自分が負っていたさまざまな「重荷」の本性を冷徹に認識し、自分を拘束していた一切のものに「否」を唱えるような存在である。だが、「自由精神」はこれまでの価値の「虚妄」を知ってはいるが、まだ新しい「価値」を創造するには至っていない。この創造のためには、力に満ちた「獅子」の精神がさらに無垢なる「子供」にならなくてはならない。 [#ここから2字下げ]  子供は無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力でころがる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である。  そうだ、創造の遊戯のためには、わたしの兄弟たちよ、一つの神聖な肯定が必要なのだ。いまや精神は自分の[#「自分の」に傍点]意志を意欲する。世界を失った精神は自分の[#「自分の」に傍点]世界をかちえるのだ。 [#ここで字下げ終わり]  宗教、神、道徳、超越者、魂の救済。そういった観念の重荷の中で苦悩した精神は、やがて「真理への意志」によって自分を拘束していたこれまでの一切の価値の虚妄に覚醒することになる。しかしそれは、無神論、相対主義、ペシミズム、デカダン等々の「ニヒリズム」を現出する。なぜか、この「自由精神」はまだ新しい「価値の創造」をなしえていないからである。新しい「価値の創造」。そのために人間はどんな試練をへなくてはならないか。これが『ツァラトゥストラ』一篇の中心モチーフにほかならない。  わたしたちはすでに、ニーチェの反キリスト、反道徳、反真理、反超越の思想については詳しく見てきた。そこでここではとくに「超人」思想について考えてみることにしよう。「超人」についてのツァラトゥストラの象徴的な教説をいくつか引用してみる。 [#ここから2字下げ]  人間は動物と超人とのあいだにかけ渡された一本の綱である、——一つの深淵の上にかかる一本の綱である。  これまでに千の目標が存在した。というのは、千の民族が存在したからである。ただ、千の頸に投げかけるべき鎖がまだ欠けている。一つの目標が欠けているのだ。人類はまだ目標を持っていない。  だが、さあわたしに言え、わたしの兄弟たちよ、人類にはまだ目標が欠けているのであれば、同様にまた欠けているのではないか——まだ人類そのものが?——  何が善であり悪であるか、まだ誰もそのことを知ってはいない[#「まだ誰もそのことを知ってはいない」に傍点]、——創造者をほかにしては!  ——だが、この創造者とは、人間の目標を創造し、大地にその意味とその未来とを与える者のことだ。この者こそ初めて、或るものが善であり悪であるということを[#「ということを」に傍点]、可能ならしめる[#「可能ならしめる」に傍点]のだ。  わたしは愛する、没落して犠牲となるための何か或る根拠を、まずもろもろの星の背後に求めたりしないで、大地がいつか超人のものとなるように、大地に身を捧げる者たちを。  わたしは愛する、認識するために生き、そして、いつの日か超人が生きることのために、認識しようと欲する者を。そのようにして彼は自分の没落を欲するのだ。  わたしは愛する、超人のために家を建てるべく、また超人のために大地と動物と植物を用意すべく、労働し創作する者を。というのは、そのようにして彼らは自分の没落を欲するのだから。 [#ここで字下げ終わり] 「超人」の創出というテーマは、基本的には、文化の真の課題は「偉大なる哲学者・賢人・芸術家の創出」にあるという『反時代的考察』での主張を、ほぼそのまま延長したものだと考えていい。ただその主張の内実は比較にならないほど充実している。キリスト教的世界像とその禁欲主義の批判、近代哲学の道徳批判および「真理」概念の批判、一九世紀的無神論の意味、そしてヨーロッパの人間観のルサンチマンとニヒリズムの批判。ここまで見てきたように、そういった幾つものモチーフが、三二歳の『反時代的考察』から四一歳の『ツァラトゥストラ』の間に深く育て上げられているからだ。  とりあえずここで「超人」思想の要点を整理してみよう。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] (1) 人間がこれまで持っていた「理想」、キリスト教、哲学のそれは、本質的にルサンチマンを内包している。したがって、それは結局「生の否定」の思想にゆきつかざるをえない。 (2) 「神の死」という事実は、これまでの一切の人間的価値の根拠[#「根拠」に傍点]が抹消されたことを意味する。近代哲学は、キリスト教的価値の代わりとなるものを打ち立てることができず、ただ、キリスト教的価値を変装させて生き延びさせたにすぎなかった。そのために近代哲学以降の諸価値は、そのニヒリズム的本性を露出させることになった。 (3) このヨーロッパのニヒリズムを克服する方途はただひとつしかない。古い価値への立ち戻り(=反動)を禁じ手にして、むしろニヒリズムを徹底すること。つまり既成の価値の根拠を根底的に棄て去り、積極的に新しい価値の根拠あるいは新しい価値の「目標」を打ち立てることである。それ以外には、人間がこの必然的に現われ出たニヒリズムを克服する道はない。 (4) 新しい価値の「根拠」とは何か。……「力への意志」ということ。新しい価値の「目標」とは何か。……「超人」の創出ということ。 [#ここで字下げ終わり] 「超人」思想の基本コンセプトそれ自体は、さほどやっかいなものではない。要するに、これまでの「道徳」と「理想」を廃棄し、新しい「道徳」と「理想」を打ち立てることがその眼目である。  では、どんな「道徳」と「理想」が可能なのか。  最も簡潔な答えはこうである。それが存在することによって人間をいっそう�強く�、�高貴に�するような「道徳」と「理想」を打ち立てること。言い換えれば、人間に、より深いルサンチマンやニヒリズムではなく、より大きな「エロス」と「力」を生み出させるような「道徳」と「理想」を創出すること。そのために、さらに「高い」人間のモデル(超人)を生み出すこと。そして、いま生きている人間は、このより高い人間の創出ということをおのれの「目標」として生きること。  しかしこのニーチェの構想は、いま振り返るとなかなか問題が多い。たとえば人間の平均化、凡庸化ではなくて、強者と弱者の分離(階序)を押し進めるという考え方、高貴な血や遺伝性の強調、民主主義の否定、英雄賛美など、これらによって「超人」思想はしばしばナチズムとの因果関係を指摘されてきた。『権力への意志』に「超人」を創出するためのプランをまとめた「訓育と育成」という章があるが、この章の編集は、ニーチェの妹エリーザベトによるナチズム権力への迎合的な意図がはっきり現われているとも言われている。しかしおそらく意図的な編集の問題を超えて、「超人」や「階序」についてのニーチェの思想には、ファシズム権力に利用されるような潜在的な可能性があったと思う。  いくつか例を挙げてみよう。 [#ここから2字下げ]  大衆に対する高級な人間[#「高級な人間」に傍点]の宣戦布告こそ必要である! おのれが主となろうとして、いたるところで凡庸なものが提携しあっている!  育成の[#「育成の」に傍点]作用をおよぼすほど強い一つの教えが必要である。それによって、強者は強化され、この世に疲れた者どもは無力にされ破滅するのである。 「強い人間と弱い人間[#「強い人間と弱い人間」に傍点]」という概念[#「という概念」に傍点]は、強い人間の場合には多くの力が遺伝されているということに還元される——強い人間は一つの総計であるのだが、弱い人間の場合にはその遺伝がまだ足りない[#「まだ足りない」に傍点]のである——  まず必要なのは、精神を貴族的ならしめる[#「精神を貴族的ならしめる」に傍点]何ものかである——そのためにはいったい何が必要なのであろうか? 血統である。(以上、『権力への意志』原佑訳、以下同じ)  マヌではなく[#「なく」に傍点]て自然が、すぐれて精神的な者たちと、すぐれて筋肉や気質の強い者たちと、これらいずれにおいても際立つことのない第三の者、すなわち凡庸な者どもを、たがいに分離せしめる、——最後の者どもは大多数者として、最初の者たちは精選された者として。最上階級は——私はそれを最少数者[#「最少数者」に傍点]と名づけるが——高貴なる者として最少数者の特権をももっている。その特権には、幸福を、美を、善意を地上に実現することも属している。(『反キリスト者』原佑訳) [#ここで字下げ終わり] 「超人」の概念は、『ツァラトゥストラ』において、「超人」という理想のためにあえて自分自身が「没落して犠牲となる」ことを愛する[#「愛する」に傍点]、「運命愛」というニュアンスを強く伴っている。これに対して『権力への意志』では、「階序」を作り出すために人々をいかに「訓育」するかというアクセントが強い。とうぜんそこには不穏な色彩がつきまとう。  とくに問題となるのは、人間の「強さ」を「血」や「遺伝」の問題に還元できるという言い方、そしてより高い目標のために「戦い」、「戦争」が認められなくてはならないという言い方、また、より高い目標のためにはある種の「禁欲」や「奉仕」なども是認されるという言い方、などである。この問題は、少したちどまって考えてみる必要がある。  まず、多くの読者は、人間を平均化するのでなくむしろ強者と弱者の「階序」をよりはっきりさせよというニーチェの主張に大なり小なり抵抗を感じるにちがいない。このことはニーチェ自身も自覚していて、この「普通選挙」が叫ばれる時代にあえて[#「あえて」に傍点]自分は「階序」の思想を押し出すのだと言っている。  しかしニーチェの思想を、いわゆる「強者の論理」、「弱肉強食の論理」と見なすわけにはいかない。いわゆる「強者の論理」とは、じつは「理屈で何を言っても結局は力のある者が勝つんだ」という見方、つまりニヒリズムの一形態だからである(というのは、それは「強い・弱い」という価値の秩序があるだけで、「よい・わるい」とか「ほんとう・うそ」という価値は見せかけのもの[#「見せかけのもの」に傍点]にすぎない、と言っているのだから)。もちろんニーチェは、このような考え方も、あの苦悩→ルサンチマン→意味の探究という推論から現われたものであることをはっきり自覚している。  この「階序」の思想の要点は、わたしの考えではつぎのことにある。  ルサンチマン思想が現われる根本の理由は何だろうか。ニーチェに言わせるとそれは、この世に強者と弱者(あるいは優れた人間と劣った人間)が存在しその序列が存在するという動かしがたい事実を、否認[#「否認」に傍点]することからはじまる。つまりルサンチマン思想は、「願望と信仰」から、すべての人間が「平等であったらよいのに」、とか、「平等であるべきだ[#「べきだ」に傍点]」という考え方から身を起こすのだ。そしてこの考え方を追いつめると、見てきたように必ず「生の否定」にまでいきつくことになる。このようなルサンチマン思想の根拠をきっぱりと取り払うこと、これが「階序」の思想の核心点なのである。  たとえば、『道徳の系譜』における「ルサンチマン史観」とはどういうものだったか。ヨーロッパの歴史とは弱者による「奴隷一揆」の勝利の歴史だった、というのがニーチェの主張だった。  ヨーロッパにおけるキリスト教の勝利は、支配されていた弱者たちのイデオロギー上の勝利を意味する。「人間は神のもとに平等である」というイデオロギー、そして、「人間は生まれつき平等である」というイデオロギー、これらは、「優れた者と劣った者が存在する」という事実の否認[#「否認」に傍点]から生じるルサンチマン思想のイデオロギーにほかならない。この人間の「平均化」は何を意味するか。互いにその「自由」を拘束しあうこと。そのことによっていっそう凡庸化し、虚弱化した人間を制度的に作り出すことである。ニーチェはそう考える。 「大衆化」した社会の中で、人間がますます俗物化し(スノビズム)、精神の高貴さと偉大さを忘れ、世俗の欲望の中に埋没するという大衆批判は、すでにキルケゴールにもあったし、後のハイデガー哲学にも共通するものである。ニーチェの「階序」の思想の根本のモチーフはもともとはそういう点にあって、いわゆる「強者の論理」とは本質的に違ったものなのである。  わたしたちはしばしば、強者と弱者とが存在するという事実の是認[#「是認」に傍点]と、「強者の論理」(強い・弱いという秩序だけ[#「だけ」に傍点]が存在するにすぎない)とを混同する。人間の世界は、弱肉強食の秩序の上に「よい・わるい」「ほんとう・うそ」などの倫理的・審美的秩序が織り上げられた世界だといえるが、そこに「強者・弱者」という秩序が存在する必然性を認めること自体を「強者の論理」だと主張するのは、単なる現実の否認[#「現実の否認」に傍点]にすぎない。それは、神経症患者が自分の矛盾した欲望を否認する(ないものと見なす)のと似ていると言わなくてはならない。  ではニーチェの言うように「優れた者」と「劣った者」をはっきり分け隔てることによって何が起こるのか。  ニーチェによれば、ヨーロッパ的な宗教、思想、文化の諸制度は、もし放っておけばますます凡庸化し、虚弱化した人間を生み出す方向に向いている。だからこの方向を逆転すべきなのである。そしてこの逆転の方策が「階序」の思想と呼ばれる。たとえば彼はこう言っている。 [#ここから2字下げ]  ——君たち自由なる精神の者らよ、このことを私が声を大にして言ってもよろしいだろうか? こうした指導者が出現するための情況を創りだしもし、これを充分に利用もしなければならぬということ。この課題に立ち向かうやむにやまれぬ衝迫[#「やむにやまれぬ衝迫」に傍点]を感じうるような高みと強力さにまで、人間の魂を育てあげうるように思われる方途と試練を案ずること。(略)だが、〈人間〉そのものが堕落する[#「堕落する」に傍点]という全体的危険を見ぬく稀有の眼力をそなえた者、また、われわれと同じく、これまで人間の未来を翻弄する戯れ——いかなる手も、〈神の摂理の指〉すらもあずかるところがなかった戯れ! ——をやってきた怖るべき偶然を洞察した者、また、〈近代的理念〉というものに寄せる愚にもつかぬたわいない盲信のなかに、いなさらには全キリスト教的ヨーロッパ道徳のなかに隠されている宿業を推知した者、こうした者たちは、じつに比類を絶した懸念に悩まされるのだ。(『善悪の彼岸』信太正三訳) [#ここで字下げ終わり]  この発想は、ちょうどマルクスが、経済原理を自由競争のままにまかせることが資本主義の拡大的な矛盾を産む根本原因であるから、経済原理を人為的に調整すること(計画経済)でこの問題を解決できる、と考えたのにとても似ている。 「全キリスト教的ヨーロッパ道徳」の中には「ルサンチマン」が隠されていたのだが、誰もそのことに気づかなかった。だから人間の理想や道徳の歴史を偶然の「戯れ」にまかせれば、その結果は「人間」(という種)そのものの全般的な「堕落」にいきつく。このことの「洞察」こそ決定的であり、そうである以上、この恐るべき方向性を逆転する必要があるはずだ、とニーチェは説くのである。  このいわばニーチェ版「文化大革命」の具体的戦略は、『権力への意志』にまとめられた「訓育と育成」の断章群からもよく伺える。すでに触れたように多くの読者はそこに�不穏なもの�を感じ取るだろう。たとえば、「長期にわたる専制的道徳の意義」とか、「生理的純化と強化」とか、「新しい貴族政治はそれと抗争する対立を必要とする」とか、「多数者どもに、(略)行為によってたえず反抗する」とか、「禁欲主義をもふたたび自然化しようと欲する」とか、その他、ナポレオン的英雄の称賛とか、「高級種」を分離する必要とか、「偉大な人間」とかいった、そうとう危なっかしい言葉が並んでいるからだ。  しかし、注意して読めばこれらが「超人」育成の社会的具体策としては、まったく現実性をもたない断片的観想の寄せ集めであることがすぐにわかる。  たしかに、ナチズムには、ニーチェ風「超人」思想を社会革命として実現しようという考え方が含まれていたかもしれない。しかしわたしの判定では、根本のところそれはニーチェ思想とは無縁の考え方だというほかない。というのは、「超人」思想は、文化に対する一つの本質的洞察なのであって、なんらかの理想を制度的に実現するという「社会革命」の思想ではないからだ。  ある理想を「社会革命」としてもたらすという考え方を、ニーチェは「ロマン主義」の一形態として激しく攻撃している(たとえばルソーへの批判)。ニーチェは、ヨーロッパ文化の本性が全体として「人間そのものの頽廃」へ導くようなものであることを指摘し、これを逆転すべきことを力説したが、そのことを思想的に主張することとそれを「社会革命」として実行しようとすることの間に、天と地ほどの隔たりがあることを知らないほどナイーヴな思想家ではない。またニーチェの「反ユダヤ主義」嫌いはよく知られていて、たとえば彼は妹エリーザベトの反ユダヤ主義者だった夫に対して激しい嫌悪感を隠そうとしなかった。  おそらく「超人」あるいは「階序」の思想の中核をなすのは、つぎのような考え方なのである。  人間は「不遇」や「苦悩」を生きることで必ずルサンチマンを抱く。�弱い人間�ほどその度合いが大きい。人々のルサンチマンは社会全体としては「欲望の相対性」として現象する。つまり、より劣った境遇にいる人間は自分より上の境遇にいる者に対して、いきおい恨み、妬み、羨みをもちやすい。逆に人の上に立った人間は、下にある者をみてすぐに自惚れたり傲慢になったりする。自惚れや傲慢はルサンチマンの裏返しなのである。  ニーチェによると、ヨーロッパの歴史では総じて、ルサンチマンをもった大多数の弱者たちの支配(あるいはそのイデオロギーの支配)が制度化されてきた。というより、大多数の人間のルサンチマンを巧みに組織[#「組織」に傍点]したもののみが支配者となりえた。このため社会全体が潜在的にはルサンチマンの量を増やしつづけ、しかもそれを打ち消すために一種の平等主義を強く押し出すという性格をいっそう濃くすることになる。  この平等主義、平均化の思想は、一方で他人の幸福を妬む心性、他人がより積極的により大きなエロスを味わうことを許したくない[#「許したくない」に傍点]という心性の、現実的な制度化を意味する。もう一方でそれは、隙さえあれば自分こそが上に立ちたいという競争機会の制度化を意味する。こうして近代的な平等主義は、総体としてますます人間の「凡庸化」の制度となるのである。  要するに平等主義イデオロギーは、自分たちは貧しい、ゆえに苦しい、だから[#「だから」に傍点]貧富の差は存在すべきでないと主張する。それはもとをただせば、強者と弱者の秩序自体が不当なものであって存在すべきでない[#「存在すべきでない」に傍点]、したがって人間はすべて平等であるべきだ[#「であるべきだ」に傍点]、というキリスト教的、ルサンチマン的推論をその源泉としている。またそれは、強い人間と弱い人間が存在するという動かしがたい現実を否認することによって、個々人が人間として持っているはずの真の課題を取り逃がすのである。  つまり、「弱者」にとってほんとうに重要なのは、自分より「よい境遇」にある人間に対して羨みや妬みを抱くことではなく、より「高い」人間の生き方をモデルとして、それに憧れつつ生きるという課題である。また「強者」にとって重要なのは、他人の上にあるということで奢ったり誇ったりする代わりに、自分より弱い人間を励ましつつ、つねに「もっと高い、もっと人間的なもの」に近づくように生きるという課題なのである、と。  さて、こうしてニーチェによればルサンチマンはいつでも人間における「人間的なもの」をスポイルする最大の原因なのだ。いかにしてルサンチマンとそこから現われるニヒリズムを殺すか。おそらくこの戦略をいわば社会性および歴史性の問題として考えると「超人」の思想となり、個人の実存の問題として考えれば「永遠回帰」の思想となるのである。   二、「永遠回帰」の思想  たとえば「永遠回帰」の思想がはじめに姿を現わすのは、このようなかたちにおいてである。 [#ここから2字下げ]  最大の重し[#「最大の重し」に傍点]。——もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、——「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって(略)」——これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンを呪わないだろうか? それとも君は突然に怖るべき瞬間を体験し、デーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは粉砕するであろう。何事をするにつけてもかならず、「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!(『悦ばしき知識』信太正三訳) [#ここで字下げ終わり]  ニーチェ自身がこの「永遠回帰」の思想を最も「伝えがたいもの」と認めている。すでに見たように、『ツァラトゥストラ』では「永遠回帰」のイデーは、予言者ツァラトゥストラにとっての最大の試練として現われていた。彼は「永遠回帰」の思想を予感するが、自分の中にそれを人々に伝える「獅子の声」が欠けていると感じて苦悩する。つまり「永遠回帰」の思想は彼にとって、ある危機を最大の試練として乗り超え[#「乗り超え」に傍点]たすえにつかまえられるようなものだったが、それはいったいどういうことだろうか。  すなわちそれは一方で、何らかの恐るべく堪えがたいイデーを含むのだが、もう一方で、「およそ到達できるかぎりの最高の肯定形式」(『この人を見よ』)と呼ばれるようなものでもある。この関係がうまく理解できないと「永遠回帰」は奇怪な謎として残ってしまう。逆に言えば、そういった謎めいた難解さをもっていることが、「永遠回帰」の思想のふしぎな人気の秘密なのかもしれない。  たとえば哲学者のカール・レーヴィットは、「永遠回帰」の捉えがたさを、このイデー自身がもつ思想的分裂、矛盾として指摘している。  彼によれば「永遠回帰」の思想は、「第一に、意欲する人間にとっての理想的な目標の設定として(略)、第二に、自然的世界の、それ以外にありようのない存在、意欲されない存在における物理学的事実の確認として(略)、表現される」。かくして「永遠回帰」は、「無神論的宗教[#「無神論的宗教」に傍点]として、また物理学的形而上学[#「物理学的形而上学」に傍点]として、二重に解釈されうる……」(『ニーチェの哲学』柴田治三郎訳)。 「永遠回帰」の思想が一方で「無神論的宗教」であり、もう一方で「物理学的形而上学」だというのはなかなか適切な要約だ。この両者は簡単には接続しえないし、本質的な分裂を含んでいるというのがレーヴィットの考えだが、たしかに「永遠回帰」の思想の難解さは、この両側面の関係をニーチェがどう考えているのかがテクストを丹念に読んでも簡単には受け取れないところに由来している。「永遠回帰」の思想についてつねにさまざまな異説が現われるのは、そのためである。  そこでわたしは「永遠回帰」がどういう思想かについて、まずニーチェのテクストから誰でも受け取れるもっとも「分かりやすい答え」を取り出し、その基本像を描いてみたい。そしてその上で、徐々に複雑な側面へ踏み込みながらわたし自身の受け取り方を一つの「解釈」として提示したいと思う。その順序はつぎのようになる。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] (1) 機械論的思考の極限形式としての「永遠回帰」 (2) ニヒリズムの極限化としての「永遠回帰」 (3) 育成の、理想形成としての「永遠回帰」 (4) ルサンチマン克服の、生の肯定としての「永遠回帰」 [#ここで字下げ終わり]   1 機械論的思考の極限形式としての「永遠回帰」[#「1 機械論的思考の極限形式としての「永遠回帰」」はゴシック体] 「永遠回帰」の最も�分かりやすい�側面は、要するにそれが、世界はまったく同一の状態を永遠に反復しているというイデー、つまり世界は「何から何までことごとく同じ順序と脈絡」で反復するという考え方だということである。たとえばつぎのようなテクストがそれにあたる。 [#ここから2字下げ]  エネルギー恒存の原理は永遠回帰[#「永遠回帰」に傍点]を要請する。(『権力への意志』)  平衡状態はけっして達成されたことがないということが、それは不可能であるということを証明する。(同右)  新しい世界構想[#「新しい世界構想」に傍点]——世界は存立している。世界は、なんら生成せず、なんら経過しないものである。ないしはむしろこう言いえよう、世界は生成し、世界は経過しはするが、しかし世界は、けっして生成しはじめたこともなければ、けっして経過しおわったこともない、——世界はこのいずれの場合にもおのれを保存する[#「保存する」に傍点]と……世界はおのれ自身で生きる、その糞尿がその栄養なのである。(同右)  二つの極限的思考法が——機械論的思考法とプラトン的思考法とが——永遠回帰[#「永遠回帰」に傍点]のうちで合体する。すなわち、両者とも理想として。(同右) [#ここで字下げ終わり]  当時、「エネルギー恒存の法則」がローベルト・マイヤーなどによる最新の物理学説として登場する。ニーチェは「永遠回帰」説の科学的基礎づけのために、ウィーンかパリの大学で物理学などを研究しようというプランも考えたらしい(レーヴィットによる)。おそらくニーチェの推論はつぎのようなものだったと思える。 「エネルギー恒存の法則」は、世界の有限性ということと、そしてエネルギー(力=物質)の有限性というふたつの根本命題を含んでいる。そして時間そのものには「始発点」も「終着点」もないと考えるならば、そこからは「世界は永遠回帰する」という物理学的仮説が必然的に現われることになる。「これまでこころみられた世界解釈[#「世界解釈」に傍点]のうち、現今では機械論的[#「機械論的」に傍点]世界解釈が勝利をしめて前景にあらわれている」(『権力への意志』)。  ニーチェの言い分がわかりにくい人は、この世界観の最も単純なモデルとして、たとえばまったく抵抗のないビリヤードの台の上でたくさんの球が、摩擦によって力を失うことなく永遠にぶつかり合って動き回っている、という状態をイメージしてみるとよい。時間は無限にあるから、一定の空間の中で一定のエネルギーがその力を減じることなく運動していると、いつかある時点で、以前のどこかの時点で存在したとまったく同じ物質の配置、配列が戻ってくる可能性があるはずだ。すると、その次の時点から、一切が「何から何までことごとく同じ順序と脈絡」で反復することになる、というわけである。  つまり、「エネルギー恒存の法則」が最新学説だったかぎりで、「永遠回帰」説は、近代科学の成果を徹底することで得られる唯一可能な「世界観」だということになるのだ。だからそのイメージはこんなことになる。 [#ここから2字下げ]  この世界とは、すなわち、初めもなければ終わりもない巨大な力、増大することもなければ減少することもなく、消耗するのではなくて転変するのみの、全体としてはその大きさを変ずることのない青銅のごとくに確固とした力の量、支出もなければ損出もなく、しかもまた増加もなく、収入もなく、おのれ自身の限界をもつ以外それを取りまくのは「無」である家政、なんら消散せず、消費されないもの、けっして無限の拡がりをもつのではなく、一定の力として一定の空間のうちにおさめられてはいるが、どこかが「空虚」であるかもしれない空間のうちにではなく、むしろ力として遍在し、諸力と力の波浪の戯れとして一であると同時に多であり、ここで集積するかと思えば同時にかしこでは減少するもの、おのれ自身のうちへと荒れ狂い入り溢れ入る諸力の大洋、永遠に彷徨しつつ、永遠に走り帰りつつ、回帰の途方もない年月をかさねて、おのれの形成活動をときには怠りときには励み、最も単純なものから最も複雑なもののうちへと進みつつ、最も静かなもの、最も硬いもの、最も冷ややかなものから脱して、最も灼熱したもの、最も粗野なもの、最も自己矛盾したもののうちへと入りこみ、ついでふたたび充実から単純なものへと帰来しつつ、矛盾の戯れから諧和の快感にまで立ちもどって、こうしたまったく等しいおのれの軌道と年月をたどりながらも自己自身を肯定しつつ、永遠に回帰せざるをえないものとして、いかなる飽満をも、いかなる倦怠をも、いかなる疲労をも知らない生成として、自己自身を祝福しつつあるもの——、永遠の自己創造の、永遠の自己破壊のこの私のディオニュソス的[#「ディオニュソス的」に傍点]世界、二重の情欲のこの秘密の世界、円環の幸福のうちには目標がないとすれば目標のなく、おのれ自身へと帰る円輪が善き意志をもたないとすれば意志のない、この私の「善悪の彼岸」……(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  このようにして、最新の科学学説としての機械論的宇宙論と、ギリシャ哲学以来の輪廻説が「合体」することになる。「永遠回帰」はこうしてさしあたりは、文字通り世界が永遠に回帰するはずだという「物理学的仮説」(=物理学的形而上学)にすぎない。いったいこれがニーチェ思想にとってどういう意味を持っているのか。  おそらくまず重要なのは、もしこの新しい世界観(像)を受け取るなら、つぎのような従来の三つの伝統的世界観が否定されることになるということである。  第一。世界は神によって創造された、したがって世界はその進み行きのうちにある「目的」を持っているという世界観(キリスト教的)。  第二。世界は神によって作られたかどうかは言えないが、たとえばそれが生命の「進化」を促すように、次第に「進歩」し「発展」するものであるにちがいないという世界観(ヘーゲル的)。  第三。世界ははじめの起点を何らかのかたちで持つが、その後はそれ自身の法則つまりただ機械的因果によってのみ動いているという世界観(唯物論的)。  因みに、「ビッグ・バン理論」などは第三のカテゴリーに属する。しかしニーチェの仮説からは、もしそういうことならすでに「平衡状態」(一切の運動の静止状態)が訪れてしまっているはずだ、ということになる。  こうしてニーチェによれば、もしも「エネルギー恒存の法則」を認めるなら、そしてそこから導かれる「永遠回帰」説を認めるなら、この三つの世界観は論理上不可能[#「不可能」に傍点]なのである。つまりニーチェは最新の科学学説から「永遠回帰」説を導き、そのことによってこれまでの三つの世界観をいわば「禁じ手」にしようとしているのである。   2 ニヒリズムの極限化としての「永遠回帰」[#「2 ニヒリズムの極限化としての「永遠回帰」」はゴシック体] 『悦ばしき知識』において「永遠回帰」は、「これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンを呪わないだろうか」という、戦慄すべき思想として登場した。その理由はこのイデーのうちに、これまでの世界観から神学的、哲学的な超越的「意味」の一切を取り払うような性格があり、そのことによってそれは「世界はただあるがままにあり、そのこと自身に何の意味もない」ということを無条件に認めるように促すからである。すなわちここに深いニヒリズムが滲み出すのである。『ツァラトゥストラ』で現われたあの大いなる「吐きけ」、「虚無」への倦怠や嫌悪感は、このことに由来する。 [#ここから2字下げ]  人間に対する大いなる嫌気《いやけ》、——それが[#「それが」に傍点]わたしを窒息させ、わたしののどに這《は》いこんだのだ、そして、あの予言者が予言したこと、すなわち、「すべては同じことだ、何事もそのかいがない、知は窒息させる」という言葉が。(略) 「お前が飽き飽きしている人間、卑小な人間が、永遠に回帰する」——わたしの悲哀は、あくびをしながらそう話した。(略)  わたしはかつて、最大の人間と最小の人間との両者を、裸体で見たことがあった。互いにあまりにも似通っており、——最大の者でもまだあまりにも人間的であるのをわたしは見たのだ!  最大の者にして、あまりに小さい! ——これが人間に対するわたしの嫌気であったのだ! そして、最小の者もまた永遠に回帰するということ! ——これが一切の現存在に対するわたしの嫌気であったのだ!  ああ、吐きけ! 吐きけ! 吐きけ! ——  ——このようにツァラトゥストラは語って、嘆息し、身震いした。(『ツァラトゥストラ』吉沢伝三郎訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり]  世界は、始まりも終わりもなく、したがって動機も目的も意味もなく、いわば永遠運動する自動機械のようにただ単に存在[#「ただ単に存在」に傍点]しているにすぎない。これが「永遠回帰」のイデーがもたらす第二の論理的帰結である。ところで、現在のわたしたちにとっては、これがなぜそれほど戦慄すべきものであるか受け取りにくい面があるかもしれない。というのは、無宗教が常識になっている社会の現代人なら、誰でもうすうすは、「世界の外側」に「超越的な意味」など何も存在しないし、したがって「死んだらそれきり」であるという感覚をもっているからだ。 「永遠回帰」の思想がもたらす大いなる「倦怠」は、当時のヨーロッパ人の場所からは、その長い伝統だったキリスト教と形而上学(哲学)から決定的に訣別するという重大な意味を持っていたのであり、その衝撃の大きさは今からは想像のつかないものだったろう。  しかしあえて言うと、「永遠回帰」のイデーは、「死んだらそれきり」という現代人のニヒリスティックな感覚に対してもさらにその徹底的な極限化という意味をもっている。というのは「死んだらそれきり」という像は、むしろ�せめて生きているうちは�というかたちで人間がその存在意味を確保しようと努力する余地を残している。ところが「永遠回帰」のイデーは、「何をやっても一切は決定[#「決定」に傍点]されている」という観念によって、人間存在の「自由」ということを決定的に脅かすからである。  人間が「有限の生に閉じられている」という観念は、その一方で「無限への憧れ」と有限のうちでの「だからこそ」という意欲を作り出す余地がある。しかし、「一切が永遠に反復する」というイデーは、人間の存在を、宇宙の壮大な自動運動の一部分にすぎないものへとおとしめるのである。  しかしニーチェによれば、まさしくこのような「ニヒリズムの徹底化」を通る以外にはニヒリズムを克服する術はどこにもない。たとえば『ツァラトゥストラ』に出てくる、喉の奥に入り込んだ蛇を噛み切る「牧人」のイメージは、「極限化されたニヒリズム」を受け入れることにおいてしか人間は新しい「意味」と「価値」の根拠をつかみえない、という「永遠回帰」の逆説を象徴しているのである。 [#ここから2字下げ]  かつてわたしは、一つの顔面上に、こんなにおびただしい吐きけと色青ざめた恐怖を見たことがあったか? おそらく彼は眠っていたのであろう? そのとき、ヘビは彼ののどのなかへ這いこみ——そこにしっかりとかみついたのだ。  わたしの手はヘビを引きに引いた。——が、むだであった! わたしの手はヘビをのどから引き出せなかった。そのとき、わたしのなかから叫ぶものがあった、「かみつけ! かみつけ!  頭をかみ切れ! かみつけ!」——このように、わたしのなかから叫ぶものがあった。わたしの恐怖、わたしの憎悪、わたしの吐きけ、わたしの憐憫、わたしの一切の善と悪が、声を一つにして、わたしのなかから叫んだ。——(略)  ——だが、牧人は、わたしの叫びが彼に勧めた通りに、かんだ。彼は物の見事にかんだのだ! 彼はヘビの頭を遠くへ吐き捨てた——。そして、跳び上がった。——  もはや牧人ではなく、もはや人間ではなく、——一人の変化した者、一人の光に取り囲まれた者として、彼は笑った[#「笑った」に傍点]のだ! 彼が[#「彼が」に傍点]笑ったように、一人の人間が笑ったことは、地上ではいまだかつて一度もなかったのだ!(『ツァラトゥストラ』) [#ここで字下げ終わり]   3 育成の、理想形成としての「永遠回帰」[#「3 育成の、理想形成としての「永遠回帰」」はゴシック体] 「永遠回帰」のイデーが、まず最新科学の成果を受けた新しい世界像として従来の�古い�世界像を打ち倒すということ。また、世界の外にどんな「超越項」も認めず、したがって世界の根源的「無意味性」を認め、ニヒリズムを徹底化[#「徹底化」に傍点]するような意味を持たされているということ。このことは、ニーチェのテクストからおそらく誰もが読み取れる「永遠回帰」の「分かりやすい側面」だといえよう。  だが、事態はこのあたりから錯綜してくる。たとえばつぎのような文章がある。 [#ここから2字下げ]  私の生きぬくがごときそうした実験哲学[#「実験哲学」に傍点]は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否《いな》に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する——あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することに[#「ディオニュソス的に然りと断言することに」に傍点]まで——、それは永遠の円環運動を欲する……(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり] 「永遠回帰」の思想は、一方で、ニヒリズムを極限まで押し進めることを意味する。しかしそれは単に「否に、否への意志に停滞する」のではない。「むしろ逆のことにまで」、つまり「ディオニュソス的な」大いなる「肯定」にまで「徹底しようと欲する」試みである、とニーチェは言う。だがいったいどのようにして?  ヨーロッパ近代にとってニヒリズムは「必然的」である。そのために人々はこの「虚無感」を打ち消そうとして、「神」、「道徳」、「真理」、「相対主義」、「デカダン」といった、さまざまな反動的「理想形成」を試みる。これに対してニーチェは、世界にどんな超越的な「意味」も存在しないということをいったんはっきりと認めよと言う。そのことによってまずは反動的な理想への回帰を封じる必要がある。 [#ここから2字下げ]  私の哲学は、あらゆる他の思考法が最後にはそれで徹底的に没落するところの、勝ちほこれる思想をもたらす。それは、育成する[#「育成する」に傍点]偉大な思想である。すなわち、この思想に耐えられない種族は断罪されており、この思想を最大の恩恵として受けとる種族は、支配者たるべく選びだされている。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり] 「永遠回帰」に耐ええない思想、つまりそれが示す徹底的なニヒリズムに耐ええない思想はやがて思想として「没落」する。そういう意味で、「永遠回帰」は人間がニヒリズムに耐えて新しい思想を打ち立てうるか否かの決定的な�試金石�である。だからこれはまた、「力[#「力」に傍点]に奉仕するところの、精選する[#「精選する」に傍点]原理としての回帰の思想」と呼ばれる(『権力への意志』)。 「永遠回帰」が、「力に奉仕するところの、精選する原理」であるということ。これがおそらく、単なる最新の物理学的世界像としての「永遠回帰」から、ニヒリズム克服の哲学としての「永遠回帰」へのつなぎ目にあたるポイントである。たとえばニーチェは『反キリスト者』の中でこう書いている。 [#ここから2字下げ]  ——最後に、いかなる目的[#「目的」に傍点]のために虚言がなされるかが問題となる。キリスト教には「聖なる」目的が欠けているということが、その手段に対する私の[#「私の」に傍点]反論である。あるのはただ劣悪[#「劣悪」に傍点]な目的のみ、すなわち、生の毒害、誹謗、否定、肉体の軽蔑、罪という概念による人間の価値低下と自己汚辱のみ、——したがって[#「したがって」に傍点]その手段もまた劣悪である。(『反キリスト者』原佑訳) [#ここで字下げ終わり]  あるいはまた、 [#ここから2字下げ]  事実、いかなる目的のために虚言がなされるのか、すなわち、はたして虚言で保存するのか、あるいは破壊するのか、これはたがいに相違することである。(同右) [#ここで字下げ終わり] 「真理」というものはない、それらはすべて何らかの「虚言《フイクシヨン》」にすぎない。ニーチェはそう力説する。しかし彼は、これまで宗教や哲学が立ててきた「真理」や「理想」はすべて無用のものだったと言うのではない。それが「保存」するためのものかまたは「破壊」するためのものか、そこが決定的に重要だと言うのだ。 「永遠回帰」が「力に奉仕する」原理だということ。つまりそれは、「永遠回帰」のイデーが、「保存」し「創造」するようなひとつの「理想」(=フィクション)であるということを意味する。この観点から言えば、「永遠回帰」の思想は、一つの試練[#「試練」に傍点]であると同時に一つの意欲[#「意欲」に傍点]でもある。  それが試練であるとは、それが耐えがたいニヒリズムを踏み越えていかねばならないからである。またそれが意欲であるのは、いわば一切の超越的な「意味」を拒否することにおいて、人ははじめて自分のうちの「力への意志」を解き放つ条件をつかむからだ。もちろんふたつのことはべつべつのことではなく、ひとつに結び合っている。  こうして、「永遠回帰」は人がそれを�欲する�ことにおいて、はじめてよくニヒリズムを極限にまで[#「極限にまで」に傍点]もたらし、一切の超越項を没落させるものとなるのだ。ツァラトゥストラのつぎのような言葉はそれをよく象徴している。 [#ここから2字下げ]  そなたたちはかつて何らかの快楽に対して然りと言ったことがあるか? おお、わたしの友人たちよ、そう言ったとすれば、そなたたちは一切[#「一切」に傍点]の苦痛に対しても然りと言ったことになる。一切の諸事物は、鎖で、糸で、愛で、つなぎ合わされているのだ、——  かつてそなたたちが、一度あった何事かの再来を欲したとすれば、かつてそなたたちが、「おまえはわたしの気に入る。幸福よ! 刹那よ! 瞬間よ!」と語ったとすれば、そなたたちは一切[#「一切」に傍点]が帰って来ることを欲したことになるのだ!   ——一切が改めて再来し、一切が永遠であり、一切が、鎖で、糸で、愛で、つなぎ合わされているような、おお、そういう世界をそなたたちは愛した[#「愛した」に傍点]ことになるのだ、——(『ツァラトゥストラ』) [#ここで字下げ終わり]   4 ルサンチマン克服の、生の肯定としての「永遠回帰」[#「4 ルサンチマン克服の、生の肯定としての「永遠回帰」」はゴシック体]  おそらくニーチェにとって「永遠回帰」は、単に根本的な価値顛倒のための思想だっただけではなく、彼が自分自身の生をどう処するかという問題をも含んでいたと思う。ごく一般的な見方をすれば、『悲劇の誕生』によるアカデミズムからの逸脱、著作の不人気、教授職の退官、そして一生続いた根深い病との闘いといったニーチェの生涯は、さほど「悦ばしきもの」だったとは言えそうにない。たとえば『この人を見よ』の中のつぎのような一節は大変興味深い。 [#ここから2字下げ]  ——この時、一種私の賛嘆しきれないような風に、それもまったくうってつけの時に私の父の側からあの悪質[#「悪質」に傍点]の遺伝が救助にやってきた、——根本のところ、早い死のさだめである。病気は私を緩慢に脱け出させた[#「私を緩慢に脱け出させた」に傍点]、あらゆる決裂、あらゆる凶暴で不快な行動などの厄介を省いてくれたのである。(略)病気は同様にまたあらゆる私の習慣の完全に逆転する権利を私に与えた、それは私に忘却を許した、むしろ命令[#「命令」に傍点]した、それは私に、静かに横たわること、悠々自適すること、時を待って辛抱していることの是非なさ[#「是非なさ」に傍点]を贈物にしてくれた……だが、これこそは実に考えるということである!(略)私は「書物」から救済された、私はもう数年の間何一つ読まなかった——これは私が嘗つて自分に示した最大の[#「最大の」に傍点]恩恵である!(阿部六郎訳) [#ここで字下げ終わり]  ニーチェは別のところで、「人生は認識者にとって一個の実験でありうる」と書いているが、彼にとって生はまさしく静かで深い「認識」との闘いだったのである。  さてしかし、「永遠回帰」の思想の�襲来�のすぐあとに、ニーチェは大変重要な事件を経験している。これが誰も知るルー・ザロメ事件である。この恋愛事件について詳しく述べるつもりはないが、必要最小限の経緯を記しておこう。  ルー・ザロメは鋭い感受性と優れた知性に恵まれた女性で、ニーチェのみならず、後に、ハウプトマン、ヴェデキント、リルケなどという学者や文学者たちをも強く引きつけることになった。ニーチェとの関係では、総じて彼の片思いという感が強いが、ザロメがあいまいな態度をとったためにニーチェの望みを空しく引き延ばしたというのが実情のようだ。  ニーチェの友人であるパウル・レーを加えて、三人の関係は相当やっかいなものになり、そこにザロメを嫌っているニーチェの妹エリーザベトもからんで事態はもつれにもつれ、この間ニーチェは幾度か自殺を図ったりもする。  ニーチェにはまず不幸な結末に終わった恋だが、この事件は、思想家としての彼に一つの大きな経験として何かを与えたはずである。たとえば一八八二年五月、ニーチェはザロメと二人だけでサクロ・モンテの丘にのぼる時間を持つ。ザロメの母親を待ちくたびれさせた二人のこの長い散歩についてはよく知られているが、後にニーチェは、ザロメへの手紙の中で、この時間を「私の生涯で最も恍惚とした夢をもった」時間だったと書き記している。そしてニーチェは、このドラマティックな失恋を経験した翌年、ジェノヴァの近くで『ツァラトゥストラ』のインスピレーションを得るのである。  ところで、すでに見てきたように、「永遠回帰」は「超人」とともに、「ヨーロッパのニヒリズムをいかに克服するか」という課題に答える思想として提出されたものだった。  このニーチェの言う「ニヒリズム」ということを整理すると、ほぼ以下のようになる。  ヨーロッパの理性は、神→近代哲学→道徳→真理というふうに人間の「理想」を展開させ、その結果、近代科学の客観主義や機械論的因果論を生み出すにいたった。そして「永遠回帰」は、このヨーロッパ理性の道すじの最後の終着点であるという性格をもたされている。だからこそ、「永遠回帰」はこれまでの宗教や道徳や哲学や科学などの諸価値観に勝利し、それらを「没落」させる思想だとみなされる。またこのことによって「永遠回帰」は、ヨーロッパの理性が大いなる「ニヒリズム」にぶつかって逃げ込もうとするさまざまな「反動形態」、つまり古い「超越者」への復帰やその他の「無への意志」(相対主義、ペシミズム、デカダン)という可能性を、徹底的に排除することになる。  こうして「永遠回帰」はニヒリズムを徹底[#「徹底」に傍点]するのである。問題はこのニヒリズムがどういうかたちをとって現われるかということだが、たとえばチェーホフの『三人姉妹』の中に、姉オーリガのつぎのような有名なセリフがある。 [#ここから2字下げ]  楽隊は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きてゆきたいと思うわ! まあ、どうだろう! やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。(略)楽隊はあんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。……それがわかったら、それがわかったらね!(神西清訳) [#ここで字下げ終わり]  苦しい生のただ中を生きる人間にとっては、自分たちが「なんのために生きているのか」、「なんのために苦しんでいるのか」という問いの答えが、どうしても必要なものになる。それがうまく答えられるなら人は大きな生の苦しみに耐えうる[#「耐えうる」に傍点]からだ。逆に、この問いがまったく答えられないなら生は耐えがたいものとなる。人間が、長い間「神」や「道徳」や「真理」を信仰し、求めつづけてきたことの根本の理由はここにある。 「ニヒリズムを徹底すること」。それはつまり人々からこの「なんのために」の答えを永遠に剥奪することを意味するといってよい。この世のどこかに「真なるもの」が存在するわけでもなければ、何ものかが世界の「目的」や「統一」を司っているわけではない。世界はただ無限の時の中を、意味もなく[#「意味もなく」に傍点]、ぐるぐると回帰しているだけである……。  しかしさきに述べたように、「永遠回帰」はただ単なる物理学的宇宙論なのではない。ニーチェのつもりではそれは、このようなニヒリズムの徹底の果てに現われる「聖なる虚言」、すなわちこれまでとはまったく異なった新しい「価値創造」の原理でなければならない。しかし、いったいどのように考えれば、「永遠回帰」の説がそのような「価値創造」原理へと転化するのか。ここに「永遠回帰」思想の最も深い�謎�がある。  このような事情からとくに「永遠回帰」の解釈には異説が多いのだが、たとえば現代思想におけるニーチェ復権の代表格であるジル・ドゥルーズは、こう書いている。 [#ここから2字下げ]  ……物理学的教説としての永遠回帰は、思弁的総合の新たな総合であった。倫理的な思想としては、永遠回帰は、実践的総合の新たな定立である。永遠回帰によって為されんと欲するごとくに[#「永遠回帰によって為されんと欲するごとくに」に傍点]、汝の欲するところを為せ[#「汝の欲するところを為せ」に傍点]。(『ニーチェと哲学』足立和浩訳) [#ここで字下げ終わり] 「永遠回帰によって為されんと欲するごとくに、汝の欲するところを為せ」は、「君の意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という有名なカントの道徳律[#「道徳律」に傍点]の変形である。つまり、「いつでも君の行為が普遍的に〈善〉であると言えるものであるように行為せよ」というカント的命法の代わりに、「永遠回帰」の思想は、「君の行為が、いつも無限の繰り返しとしてそう欲されるべきものとなるように行為せよ」という命法として提出しているというのである。 「永遠回帰」がそのような倫理的命法としての意味をもつということはまず多くの人が認めている解釈で、よく知られたジンメルの説などもその代表である。しかしドゥルーズは、「永遠回帰」の思想がそういう倫理的要請にとどまるものであることに異議をおく。そして彼はここから、「精選する原理」、「選択する原理」としての「永遠回帰」という考え方を強く押し出す。 [#ここから2字下げ]  ニーチェ独特の秘密は、〈永遠回帰〉とは選択的である、ということである。そして二重に選択的なのである。まず第一に、思想として。なぜかというと〈永遠回帰〉は、全て道徳というものを脱却した意志が自立へと至るために、一つの法則をわれわれに与えてくれるからである。私がなにを欲するにせよ(略)、私はそれが永遠に回帰することもまた欲するような仕方で、それを欲するのでなければならない。「生半可な意欲」たちの世界はふるい落とされる。「いちどだけ」という条件でわれわれが欲するようなものは、全てふるい落とされるのである。(『ニーチェ』湯浅博雄訳)  ツァラトゥストラはだから、「永遠回帰=選択的な存在」という同一性を理解するのだ。どうして反動的なもの、ニヒリズム的なものが回帰することがありえよう、なぜなら〈永遠回帰〉とはただ肯定的なものについてのみそう言われる存在、ただ能動的に動いている生成についてのみそう言われる存在なのであるから。(略)〈永遠回帰〉は〈反復〉である。が、それは選分ける〈反復〉であり、救う〈反復〉なのである。(同右) [#ここで字下げ終わり]  ドゥルーズの考え方のポイントはふたつある。一つは、「永遠回帰」を単に倫理的命法(〜せよ)としてのみ捉えることへの異議。もう一つは、「永遠回帰」説がいかにそのニヒリズムの側面を超え出るかという課題に答えることである。  彼の答えは大変独特なものになっている。つまりそれは、もしも人間がこの「永遠回帰」の命法にしたがって、「いちどだけ」という条件で欲するようなものを取り払うならば、そのとき「永遠回帰」は、「反動的なもの」、「ニヒリズム的なもの」を振り払い、「肯定的なもの」だけを選択する「救済する〈反復〉」になるはずだ、ということである。 「われわれは可能性としては、ニヒリズムと反動とのさまざまな組み合わせが永遠に回帰するのではないか、と怖れていた」。しかし「永遠回帰」の巨大な遠心力は「ニヒリズムと反動のあらゆる形態を、自己から振り払」って、ただ肯定のみが、そして「歓びのみが戻ってくる」はずだ。そうドゥルーズは言う。  ところで、彼のこの解答[#「解答」に傍点]は、「永遠回帰」が単に「同一なものの回帰」であることをいかに回避するか、という点に力点があることが分かる。もしそれが「同一なものの回帰」にすぎないなら、どういう点でニヒリズムが克服されるのか見当がつかないからだ。そこでドゥルーズはあの「永遠回帰の命法」を物理学的教説としての永遠回帰説に接合して、「同一なものの反復」ではなく、「選択する反復」の同一性という概念を押し出しているのである。  このように、「永遠回帰」の思想が難解であることの理由は、なによりニーチェのテクストからだけでは、このイデーがいかに「ニヒリズムを克服するのか」が十分に答えられていないからである。だからドゥルーズも、かなり強引な論理操作によって「永遠回帰」がいかにそのニヒリズムを振り払うかを説明しようとしているのだ。しかし、この答えは論理的な屈折が多く十分に読者を納得させるものとは言いにくい。  要は、「永遠回帰」のイデーが生と世界についてのどのような観念をわたしたちに与えうるか[#「与えうるか」に傍点]ということなのだが、これについてもう一度今までに見てきたことを整理してみよう。  第一に、「永遠回帰」は、人間の理想についてのこれまでの「超越的価値」を一切禁じ手[#「禁じ手」に傍点]にするためのものである。第二に、「永遠回帰」は新たな「価値」を創造するような「聖なる虚言」でなくてはならない。そして第三に「永遠回帰」は、弱者がそれによって自己自身のニヒリズムとルサンチマンを超え出るような、何らかの「命法」でなくてはならない。こういう骨格から何か新しい観点が導かれないだろうか。 [#ここから2字下げ]  回帰の思想に耐える[#「耐える」に傍点]ために必要なのは、道徳からの自由、——苦痛[#「苦痛」に傍点]の事実に対抗する新しい手段(略)、——あらゆる種類の不確実性、暫定性を、あの極端な宿命論の対重《ママ》として享楽すること、——必然性概念の除去、——「意志」の除去、——「認識自体」の除去。  超人を創造する当のものとしての、人間の力の意識の最大の高揚[#「力の意識の最大の高揚」に傍点]。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  ドゥルーズの解答の力点は、「永遠回帰」から「同一なものの反復」というイデーを取り去ることにかかっていた。「同一なもの」が永遠に反復するだけというのであれば、それはむしろニヒリズムの極致のように思えるからである。  しかし、そもそもニーチェが宇宙論としての「永遠回帰」によって抹消しようとしたのは、伝統的な真理観念、目的論、苦痛を救済する超越的意味、道徳等々なのである。もしも「永遠回帰」が否定的なものを振り落とし「肯定的なもののみを」回帰させるという世界観であれば、かえってそれは新しい「救済の世界像」になりかねないのではなかろうか。  わたしの考えでは、「永遠回帰」のイデーがまず押し出すのは、「人間が何のために苦しんで生きるのか」について、何者も答えを与えられずどこにもその超越的な答えがないということに耐えよ[#「耐えよ」に傍点]、ということである。だがそのことは何をもたらすか。もちろんニヒリズムとルサンチマンをもたらす。「なぜ自分はこれほど苦しまなくてはいけないか」、あるいは「なぜ自分だけがこれほど見すぼらしい生しか持てないか」。そういう思いは容易に生と世界それ自体に対する呪詛となるからだ。  人間はこれをどう処理してきたか。この「なぜ」に答える「物語」、「虚言」を「真理」として作り上げることによって。ヨーロッパではとくにキリスト教が。しかし肝心なのは、このキリスト教の「虚言」は人間の生を否定するようなそれだったということである。  したがって「永遠回帰」は単に最新の宇宙論であるだけでなく、生に対する人間の呪詛に答えるような「聖なる虚言」でなくてはならない。すなわち、とくに弱い人間、凡庸な人間にとっての「聖なる虚言」でなくてはならないのだ。「聖なる虚言」とはもちろん、それによって生がいっそう「肯定」され、高揚させられるような「虚言」を意味する。  さらにまたそれは、超越的なものの復活を拒否するような「虚言」でなくてはならない。つまりそれ自体が、信じれば救われるという類の「救済の物語」であってはならない。もしそうであれば、それは再び「凡庸な人間」の「神」を作り出すことになるからだ。  ここから、「永遠回帰」の第二の意義が現われる。つまり、世界のあるがままを「是認」することを通してむしろそれを「肯定」するところにまで徹底すること。「是認」から「肯定」へと進む道としての「永遠回帰」。  これについての最も重要なテクストは、つぎのような箇所である。 [#ここから2字下げ]  意欲は解放する。だが、この解放者をすらも鎖につなぐものは、何と呼ばれるのか? ≪そうあった≫。意志の歯ぎしりと、その最も孤独な憂愁とは、このように呼ばれるのだ。なされてしまったことに対して無力なるままに——意志は、一切の過ぎ去ったものに対して、一人の悪意をいだく傍観者である。(略)  時間が逆行しないこと、これが意志の怨恨である。≪あったところのもの≫——意志がころがしえない石は、こう呼ばれる。  そこで意志は、怨恨と不満に駆られて、もろもろの石をころがし、自分と同じように怨恨と不満を感じないものに対して、復讐を行なう。  こうして解放者たる意志は、苦痛を与える者となる。(略)  時間とその《そうあった》とに対する意志の敵意、これが、いやこれのみが、復讐[#「復讐」に傍点]そのものなのだ。(略)  一切の《そうあった》は、一つの断片であり、一つの謎であり、一つの恐ろしい偶然である——創造者としての意志が、それに付け加えて、≪しかし、そうあることをわたしは欲したのだ!≫と言うまでは……(『ツァラトゥストラ』、「救済について」) [#ここで字下げ終わり]  ルサンチマンとはつまり、自分がこうしか生きられないという事実に対する心理的な反動形成にほかならない。「凡庸な人間」は、自分の存在の見すぼらしさの「原因」を過去(=「そうあった」)にたずね、それが「動かしえない」ものであることに怨恨をもち、復讐しようとする。ここに、苦悩それ自体が人間存在への「罰」であったという教説が人々を支配しつづけてきた秘密があった。  世界とその時間の存在を、「罪」あるいは「罰」として、「仮象」にすぎぬものとして、また壮大な「過誤」として見ること。これが、弱者、凡庸な人間がルサンチマンを世界に置き入れたことの結果である。そして最悪の場合、ルサンチマンは世界にこう言うだろう。「もしも私の生がこうでしかあり得ないなら、世界よ滅びてしまえ」と。  つまり、ルサンチマンの復讐は、煎じ詰めれば世界とその時間、「そうあった」と「こうでしかありえない」に対してなされるのである。だが「永遠回帰」は、このルサンチマンの復讐に対してこう告げる。世界は永遠に反復する[#「世界は永遠に反復する」に傍点]と。もしそうであるなら、誰もつぎのようには言えなくなる。つまり「じつは世界はこうあるべきではなかった」とか、あるいは「私の生がこうでしかあり得ないなら、世界よ滅びてしまえ」とは。  要するに、「永遠回帰」のイデーは、生の一回性を利用して[#「生の一回性を利用して」に傍点]世界と生そのものへ復讐しようとするルサンチマンの欲望を�無効�にするのである。自分の不遇を、いわば世界と刺し違えることで[#「刺し違えることで」に傍点]はらそうとするルサンチマンの欲望は、「永遠回帰」によって無効化される。ルサンチマンの本質は時間への復讐[#「時間への復讐」に傍点]であるが、無限の反復というイデーはこの時間への復讐を根本的に無化するからだ。 「永遠回帰」はこのような理路で、何らかの超越的な「意味」を仮構することによって生の不遇を救済しようとするルサンチマンの欲望に徹底的な�絶望�を与える。そのことによってはじめて人は、「永遠回帰」を、一つの「意欲」をつかみとる可能性としてとらえうるのである。「永遠回帰」が一つの「意欲」であり、「然り」と言う意志であること。それはまた、「永遠回帰」が単なる「救済の物語[#「物語」に傍点]」ではなく、ひとつの生への深い了解[#「了解」に傍点]でなくてはならないということを意味する。 [#ここから2字下げ]  過ぎ去ったことどもを救済し、一切の《そうあった》を≪そうあることをわたしは欲したのだ!≫に根本から造りかえること——これをこそわたしは初めて救済の名で呼びたい!(「救済について」)  もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての生存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちにも事物のうちにも、何ひとつとしてないからである。だから、私たちの魂がたった一回だけでも、絃のごとくに、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら、このただ一つの生起を条件づけるためには、全永遠が必要であったのであり——また全永遠は、私たちが然りと断言するこのたった一つの瞬間において、認可され、救済され、是認され、肯定されていたのである。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  これは結局どういうことになるだろうか。たしかに人間の生の本質は苦悩である。しかしニーチェはこう言う。「おわかりであろう、問題は苦悩の意味いかんであるということが」、と。  つまり、人は生の苦悩に対してふたつの根本的な態度をとりうる。一つはそこに「キリスト教的意味」を見出すこと。つまりルサンチマンから自分の生の時間に復讐するという態度。もう一つは「悲劇的意味」を見出すこと。すなわち、巨大な苦悩にもかかわらず生を是認し[#「苦悩にもかかわらず生を是認し」に傍点]、さらにそれに「然り」ということ。後者の態度をニーチェは「ディオニュソス的」態度と呼ぶ。  この二つの態度の決定的な違いは何か。前者は人間の「生への意志」(=欲望)を卑小化し、頽落させ、弱体化させる。その理由は、ここで人間の生への欲望は本質的にルサンチマンの欲望として生きるからである。これに対して後者は、人間の生への欲望を高貴にし、尊厳あるものとし、そして豊かにする……。  ところでもうひとつ重要な問題がある。つまり、いかにして「弱者」や「凡庸な人間」がこの大いなる「然り」を欲するようになるのかということである。  もともと「高貴な者」、「強い人間」とは、ルサンチマンを克服する力を持つ者のことだ。したがって「弱者」や「凡庸な人間」こそが、この「永遠回帰」の思想を自らの範例とする必要がある。ここに「永遠回帰」の最後の難関があるといってよい。  ニーチェの答えはこうだ。「もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての生存に対して然りと断言したのである」と。  人間はいかに自分の生を「肯定」できるか、という問いを立ててみる。成功裏に生をまっとうした人間は当然肯定できるだろう。だが、不遇と苦悩の生を生きた人間はどうなるのか。彼らが自らすすんで自分の生を肯定する要因は、どこにも存在しないのではないだろうか。ニーチェはしかし、その可能性は存在すると言う。  その生において、「魂がたった一回」でも「幸福のあまりふるえて響きをたて」たことがあるなら、つまりたった一度でも、ほんとうに深く肯定できる瞬間があったなら、人は、その瞬間にかけて生の「無限の反復」を欲するという可能性をもっている、と。  ここには、さきに見たルー・ザロメとの恋愛体験が深く影を落としているように思える。おそらくニーチェはこの体験の中で、生涯における最も大きな「悦楽」の夢と、最も大きな「絶望」とをともに味わったのである。そしてその中で「悦楽」と「苦悩」についての重要な観念を得たに違いない。彼はこう書いている。 [#ここから2字下げ]  苦痛は語る、「過ぎ去れ! 失せよ、おまえ、苦痛よ!」と。しかし、一切の悩むものは、生きることを欲するのだ、熟し、快楽と憧憬に充ちんがために、  ——いっそう遠いもの、いっそう高いもの、いっそう明るく澄んだものに対する憧憬に充ちんがために。「わたしは継承者たちを欲する」と、一切の悩むものは語る、「わたしは子供たちを欲する、わたしはわたし[#「わたし」に傍点]を欲しない」、——  だが、快楽は継承者たちを欲しない、子供たちを欲しない、——快楽は自分自身を欲する、永遠を欲する、回帰を欲する、一切のものがそれみずからと永遠に同じであることを欲する。(『ツァラトゥストラ』) [#ここで字下げ終わり] 「苦痛」(苦悩)は、時間に対して、「過ぎ去れ、戻ってくるな」と言う。それは絶えず自分の「いま」を振り捨てて、よりよいものへと憧れる。だからそれは、自分自身よりむしろ「子供たち」に望みをかける。これに対して「快楽」(悦楽)は「いま」それ自身を強く肯定し、したがって「何度でも戻ってこい」と告げる。それは「子供たち」を欲する代わりに、自分自身を、この瞬間を、そしてその永遠の回帰を欲する……。  いまやつぎのことが明らかになるだろう。「永遠回帰」は物理学的教説としても、また倫理的命法としてもなんら「真理」ではない。ニーチェは、まず弱者が生の苦悩に直面して取る、一切の超越的な「意味」による救済の可能性を取り払っておく。「神」は死んだ。「真理」や「道徳」は虚言である。世界には「目的」も「統一」も「意味」もない。さてそこで彼は問う。君は「永遠回帰」を欲するか否か? と。  この問いによってニーチェはわたしたちに、一切のロマン的かつ感傷的な粉飾を剥がされて、最も赤裸にされた生の条件を示すのだ。君は君の「苦悩」をルサンチマンの回路に向けて、時間への復讐へと、世界と自己の否定へと、また生それ自身の否認へといきつく生を持つこともできる。また君は、君の「悦楽」にかけてこの「悦楽」のために生の一切を「肯定」し、一切の苦悩とともに「生よ戻ってこい」と呼びかけつつ生きることもできる。どちらを取るかは君の自由である。そして、これがわれわれの生の姿、もはやどんな虚言も覆い隠すことのできない、われわれの生の裸形の条件[#「条件」に傍点]なのであると。 「永遠回帰」はこうして、人間の実存に一つの極限の態度決定をつきつけるような性格を露わにする。もはやそれは、君は生が何度繰り返されても後悔のないように、そのつど力を尽くして生に働きかけるか否か、と問うだけのものではない。一切を「是認」し「肯定」するとは、現実への働きかけを放棄するということとはもちろん全然違ったことだ。自分の力を尽くした上で、その結果現われた生の現在にいかなる態度を取れるかが問題なのだ。というのも、そもそも自分の力を尽くしていたのでなければ「わたしはかく欲した」は決して現われないからである。  人間は誰も自分の不幸や不遇の状態を変えようとして力を尽くす。しかしその結果いつも必ず自分の貧しい条件を変えうるとは限らない。また不幸や不遇の意識は日常の生から泥沼のあぶくのようにつねにわき上がってくるものであり、人は不断に苦悩をルサンチマンの回路へと向けるべく誘惑されている。したがって「永遠回帰」の問いかけは決して一度きりのものではなく、自分自身に対する不断の問いかけとしてのみ成立する。 「永遠回帰」はある意味で、たとえばキリスト教の「終末論」や神による「永遠の生命」の約束に対抗する[#「対抗する」に傍点]ひとつの「聖なる虚言」である。しかしなにより重要なのは、それがむしろ人間の苦悩を救済する一切の「超越項」を暴きたてすべてをいったん「無」に帰すような、すなわち人間にその生の裸の条件を深く了解させる[#「了解させる」に傍点]ような「虚言」でもあるということであろう。 「なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか(略)……それがわかったら、それがわかったらね!」とオーリガは叫ぶ。ニーチェは答える。この問いに答えるものはもはや誰もいない、この問いの答えは存在しない。世界と歴史の時間にはどんな「意味」も存在しないと。そして、それにもかかわらず[#「それにもかかわらず」に傍点]君は生きねばならず、したがって「なんのために」ではなく「いかに」生きるかを自分自身で選ばなくてはならない、と。 [#ここから2字下げ]  そなたたちはかつて何らかの快楽に対して然りと言ったことがあるか? おお、わたしの友人たちよ、そう言ったとすれば、そなたたちは一切の[#「一切の」に傍点]苦痛に対しても然りと言ったことになる。一切の諸事物は、鎖で、糸で、愛で、つなぎ合わされているのだ、——  ——かつてそなたたちが、一度あった何事かの再来を欲したとすれば、かつてそなたたちが、「おまえはわたしの気に入る。幸福よ! 刹那よ! 瞬間よ!」と語ったとすれば、そなたたちは一切[#「一切」に傍点]が帰ってくることを欲したことになるのだ! (略)  ——そなたら、永遠的な者たちよ、そういう世界を永遠に、常に愛するがよい。そして、苦痛に対しても、そなたたちは語るがよい、過ぎ去れ、しかし帰ってこい! と。というの[#「というの」に傍点]は、一切の快楽は[#「一切の快楽は」に傍点]——永遠を欲するからだ[#「永遠を欲するからだ」に傍点]!(『ツァラトゥストラ』、「酔歌」) [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]   第4章[#「第4章」はゴシック体] 「力」の思想 [#改ページ]  ここで、ニーチェが歩んだ「すべての価値の顛倒」の道をもういちど確認してみよう。彼の思想がたどった道程はおおよそつぎのようなものだった。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] (1) ドイツにおける既成の俗流文化、つまり、素朴なロマン主義、営利主義、歴史主義、そして道徳や宗教的迷妄への批判。(『悲劇の誕生』・『反時代的考察』) (2) この批判の論拠としての�心理主義的�視点変更。さまざまな主張、主義、信条はすべて何らかの「解釈」にすぎない。この「解釈」を支えているものは何か。(『人間的、あまりに人間的』) (3) これまで「真理」だと見なされていたヨーロッパ形而上学への根本的批判。「力への意志」という仮説の提出。(『曙光』・『悦ばしき知識』) (4) キリスト教およびヨーロッパ哲学の教説への総体的アンチテーゼとしての『ツァラトゥストラ』。「永遠回帰」と「超人」思想。(『ツァラトゥストラ』) (5) ヨーロッパ的「価値」の源泉としての「ルサンチマン」を明るみに出すこと。ルサンチマンを核とするヨーロッパ思想は必然的に「ニヒリズム」にいきつくという事態の解明。(『善悪の彼岸』・『道徳の系譜』) [#ここで字下げ終わり] 「力への意志」という概念は、ヨーロッパ形而上学(哲学)とキリスト教を批判する上での�根本概念�である。もしこれがなければ、ニーチェ思想は、直観的、時代的、状況的な批判でしかなかったろう。ニーチェがわたしたちに与える印象は、彼がまさしく「深い思想家」であることを超えて「徹底的な思想家」だったということである。彼もまた、同時代の多くの思想家たちと同様、時代の中で人々の不満を鋭敏に感じ取りそれを表現するところから出発した。しかし、やがて時代性をつきぬけて「事柄の根本を究明する」ところにまでいたっている。そして、そのように言える決定的な根拠がまさしくこの「力」の思想にあるのだ。 「永遠回帰」が難解な思想だったように、この「力」あるいは「力への意志」という考え方もひどく錯綜している。そこで、「力への意志」の思想もいくつかの側面に分けて考えてみよう。 [#ここから改行天付き、折り返して3字下げ] (1) 徹底的認識論としての(認識論の破壊としての)「力への意志」 (2) 生理学(生命の根本理論)としての「力への意志」 (3) 「価値」の根本理論としての(世界理論としての)「力への意志」 (4) 実存の規範としての「力への意志」 [#ここで字下げ終わり]   一、徹底的認識論としての(認識論の破壊としての)「力への意志」  つぎのようなよく知られた文章から出発しよう。 [#ここから2字下げ]  現象に立ちどまって「あるのはただ事実[#「事実」に傍点]のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう。否《いな》、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈[#「解釈」に傍点]のみと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理である。(略)  総じて「認識」という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されうる[#「解釈されうる」に傍点]のであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。——「遠近法主義」。(『権力への意志』原佑訳、以下同じ) [#ここで字下げ終わり] 「事実」それ自体なるものは存在しない。ただ「解釈」が、多様かつ無数の「解釈」だけが存在する……。これがニーチェの「力」の思想の第一のテーゼである。  繰り返して言うと、このテーゼはニーチェの全思想の根本的な基礎であり、これをいかに了解するかはニーチェを、したがって彼のルサンチマン批判やヨーロッパ形而上学の批判、また「超人」や「永遠回帰」の思想をどう了解するかの決定的なカギなのである。まず注意を促したいのは、この「事実というものは存在しない、ただ解釈だけがある」という命題は大きく言ってふたつの�解釈可能性�を持っているということだ。  第一は、これを懐疑論的、相対主義的に受け取る観点。この理解では、ある意味でニーチェの主張は大変分かりやすいものになる。というのは、現在では[#「現在では」に傍点]、世の中のさまざまなことがらについて「絶対的な見方」とか「完全な観点」といったものは成立しないという感覚は、いわば潜在的な�常識�に属しているからである。この常識を理論的に表現すれば、たとえば「言葉というものはどうにでも言えるものだ」とか、「絶対的な真理は存在しない」といった言い方になるだろう。  第二は、これを解釈や評価についての徹底的な懐疑として受け取らず、およそ世界像の生成についての「根本原理」として受け取る観点である。わたしの考えでは、ニーチェは「力」の思想をそういう「根本原理」として考えていた。懐疑論や相対主義はそれ自身ヨーロッパではきわめて伝統的な世界論の一つにすぎない。それがまったく新しい「根本原理」でなければ「これまでの一切の価値の顛倒」といった発想は出てこないのである。  しかし、わたしが見るかぎりで、「力」の思想をはっきりと「懐疑論や相対主義的解釈」から分離しているものは極めて少ない。ポスト・モダニズムも同様である。ジル・ドゥルーズをもう一度引いてみる。 [#ここから2字下げ]  力の、同時に差異的にして発生論的でもある系譜学的境位、これこそが力(への)意志である。力[#「力」に傍点](への[#「への」に傍点])意志とは一つの境位であって[#「意志とは一つの境位であって」に傍点]、この境位から同時に[#「この境位から同時に」に傍点]、相互に関係しあう諸力の量的差異と[#「相互に関係しあう諸力の量的差異と」に傍点]、この関係の中でそれぞれの力に戻し与えられる質とが[#「この関係の中でそれぞれの力に戻し与えられる質とが」に傍点]、おのずから出てくるのだ[#「おのずから出てくるのだ」に傍点]。力(への)意志は、ここでその本性を明らかにする。それは諸力の総合のための原理なのである。(『ニーチェと哲学』足立和浩訳) [#ここで字下げ終わり]  ドゥルーズはニーチェの「力」の概念を、量的な関係(差異的関係)と質的な関係(発生論的関係)というふたつの契機で考える。そして「力への意志」は「総合」という原理によってこの「力」の二契機のありようを決定する原理である、と言う。ドゥルーズの「力への意志」の解釈はかなり複雑なもので、簡潔に要約するのはむずかしい。だがそのポイントははっきりしている。「力」の諸関係こそは世界のありようの基礎だが、そこに単なる差異的関係(量的関係)だけではなく、力の「質[#「質」に傍点]」の関係[#「の関係」に傍点]という観点を置き入れたところにニーチェの独創がある。ドゥルーズの力点はそういう点にある。  わたしの考えでは、ドゥルーズの捉え方は単なる懐疑論や相対主義からニーチェを区別しているという点では�いい線いっている�。しかしおそらく力の「質」という言い方ではまだ不徹底なのである。いまわたしなりの仕方でニーチェの「力」の概念を解説してみよう。  たとえば、つぎのようなテクストが重要である。 [#ここから2字下げ]  世界を解釈するもの[#「世界を解釈するもの」に傍点]、それは私たちの欲求である、私たちの衝動とこのものの賛否である。いずれの衝動も一種の支配欲であり、いずれもがその遠近法をもっており、このおのれの遠近法を規範としてその他すべての衝動に強制したがっているのである。(『権力への意志』) 「これこれのものはこうであると私は信ずる」という価値評価[#「価値評価」に傍点]が、「真理」の本質にほかならない。価値評価のうちには保存[#「保存」に傍点]・生長の諸条件[#「生長の諸条件」に傍点]が表現されている。(略)  一群の信仰[#「信仰」に傍点]が現存しなければならないということ、判断がくだされて[#「判断がくだされて」に傍点]よいということ、すべての本質的価値に関しては疑問の余地がない[#「余地がない」に傍点]ということ、——これが、すべての生あるものとその生との前提である。それゆえ、何ものかが真なりと思いこまれざるをえない[#「ざるをえない」に傍点]ということが、必然的なのであって、——何ものかが真であるということではない[#「ない」に傍点]。(同右)  すなわち、一種の肯定が最初[#「最初」に傍点]の知的活動なのである! 初めに「真なりと思いこむこと」ありき! それゆえ、どうして「真なりと思いこむこと」が発生したのかを説明すべし! 「真」の背後には[#「背後には」に傍点]いかなる感覚がひそんでいるのか?(同右) [#ここで字下げ終わり]  これらのテクストから取り出せる中心観念を言い換えてみれば、まずこうなるだろう。「�純粋な認識�というものはありえない」。「価値評価すること、それが〈認識〉と呼ばれているものの基礎である」、と。  これをもう少し展開することができる。「�客観それ自身�とか、�客観認識�という概念がそもそも背理[#「背理」に傍点]である」。生命体が世界のありようを、自分の「保存・生長の条件」に応じて、また「支配欲」に応じて「価値評価」すること。したがって無数の�解釈された世界�が存在すること、これが根源現象[#「根源現象」に傍点]である、と。  いまこれを、認識論的図式で示してみよう。  いま一つのリンゴを、さまざまな生命体が�経験�すると考えてみる。このリンゴが「何であるか」はその「肉体」(欲望=身体)に応じて違ったものになる。たとえば人間にとっては[#「にとっては」に傍点]、リンゴは「みずみずしくおいしそうな果実」である。ところが猫(リンゴは食べない)にとってそれ[#「それ」に傍点]は、「まるくて、じゃれると転がるもの」でしかない。トンボにとっては、丸いかたちだけは識別できるだろうが、「何の意味もないもの」かもしれない。アメーバにとっては、それは�丸いもの�ですらないだろう。  つまり、ある対象(事物)が「何であるか」という「認識」は、その対象(事物)に向き合う生命体の「肉体」(欲望=身体)によって決定される。これは誰にも分かることだろう。ニーチェが「遠近法」というのはそういう意味なのである。  ところで、カントはこの諸「認識」に序列[#「序列」に傍点]を想定する。つまり、たとえば「アメーバ」の認識よりも「トンボ」のそれ、「トンボ」より「猫」のそれ、「猫」より「人間」の認識の方が�制約されていない�(より高度である)、と考える。そしてそう考えていくと、最も完全な(無制約な)認識として「神」の認識が想定されることになる。こうしてカントでは、「神の認識」において「客観認識」なるものが想定されるのである。 [#挿絵(img/fig2.jpg)]  これに対して、ニーチェの考えでは「神の認識」というものを想定する必要はまったくない。カント的な前提では、もし「神」がいなければ「客観存在」なるものも「客観認識」なるものもともに宙に浮いてしまって、世界の秩序というものをどう考えればいいか分からなくなってしまう。だがニーチェに言わせれば、まさしくカント図式から「神」の存在を�引き算�したものこそ、世界のあるがまま[#「あるがまま」に傍点]なのである。 [#挿絵(img/fig3.jpg)]  さて、カントの考えとニーチェの考えの差は、一見「神」の存在を認めるか否かという点にあるだけのように見える。しかしじつは両者の思考は決定的に違っているのだ。  その違いはこうである。カントの考えでは、まず客観存在として世界があり、さまざまな生命体は�制限された仕方�でしか世界の秩序を「認識」できない。そして神だけが客観世界についての「完全な認識」を持っている、ということになる。これに対してニーチェでは、そもそも〈世界〉とか〈世界の秩序〉というものそれ自体が生命体による何らかの「解釈」(遠近法)によってのみ生成[#「生成」に傍点]されるのだ、という考え方になる。  わたしの考えでは、このニーチェによる認識論的原理を理解するために最も適切な言葉を選ぶとすれば、それは「欲望相関性」という言葉になると思う。  生命体はそれぞれ固有の「身体」と「欲望」をもっている。トンボにとっての「リンゴ」とアメーバにとっての「リンゴ」がまったく違ったものとして存在[#「存在」に傍点]するように、事物の「存在」、その「何であるか」は、生命体の「欲望=身体」との相関性において決まる。したがって、分かりやすく言えば、まずあらかじめ「客観」秩序があって、つぎにそれが生命体によって「認識」されると考えてはいけない。その代りに、一方でカオス(混沌)としての「原存在」があると考える(これは客観[#「客観」に傍点]でもなければ、秩序[#「秩序」に傍点]とも言えない)。もう一方で生命体の「欲望=身体」がある。そしてこの「欲望=身体」の「価値評価する原理」がはじめて、カオスとしての世界を「何ものか」としての対象存在へ、何らかの秩序へ、つまり具体的な「生きられている世界」へと作り成す[#「作り成す」に傍点]のである。  これは誰にも分かるはずだが、「価値評価する」という原理は「世界それ自体」のうちにはない。「価値評価する力[#「力」に傍点]」はただ生命体だけがもっている。その理由は明らかだ。生命体は、事物のように単に存在しているのではなく、たえず自分自身の身体の「保存・生長」をめがけて[#「めがけて」に傍点]存在しているからである。だから生命体だけが「解釈」し、生命体だけが世界に「遠近法」を持ち込むのである。  ここに、ニーチェの「力」の思想の根本概念がある。重要なのは、もしそれをはっきりと「欲望相関性」という考え方において理解するのでなければ、「力の思想」は認識論的な相対主義や懐疑論と明確に区別できないということである。認識論的な相対主義はただ、世界が何であるかについての「解釈」は人の数だけ存在し、したがって[#「したがって」に傍点]絶対的な「解釈」などどこにもないと主張するにすぎない。このような相対主義の考え方と、「欲望=身体」だけが価値評価の「力」をもち、したがって世界の存在、世界の秩序というもの自体がこの「力」の結果生成[#「生成」に傍点]したものだという考え方とは、まさしく月とスッポンほどの違いがある。前者は古くから存在する論理的な相対主義にすぎず、後者は、ニーチェが自身との思想的格闘を経て見出したまったく独創的な「存在論的原理」だからである。  ドゥルーズの「力への意志」の解釈は、たしかに単なる相対主義や懐疑論的観点を超え出るものだが、彼はただ「力」の「量と質」という問題に注意をうながすだけで、いま見たような「力」の思想の「欲望相関性」の核心をうまく取り出してはいない。 「世界」の秩序それ自体が生命体の「欲望=身体」との相関性として生成する。まさしくこの考え方によって、これまでヨーロッパ形而上学を支えていた「世界の摂理」、「客観存在」、「真理」、「客観認識」といった中心概念は、すべて徹底的に�没落�させられることになるのだ。つまりこれらの形而上学的概念は、懐疑論や相対主義によってではなく、「力」の思想という存在論上の根本的な視線変更によってはじめて徹底的に没落するのである。  わたしはこのことを補足するために、一九世紀後半に同時代的に生じたその他の「世界像の根本的顛倒」の試みについて読者の注意を喚起しようと思う。  たとえばひとりはソシュール、そしてもうひとりはヴィトゲンシュタインである。  よく知られているように、ソシュールは「言語の恣意性」という中心概念によって、近代言語学の祖と呼ばれる業績を残した。彼がこの概念によってなし遂げた考え方の転換は次のように要約できる。  これまでの言語学の常識は、まず「世界の客観的秩序」が存在し、つぎに人間がその秩序に言葉を(ちょうど事物にレッテルを貼りつけていくように)呼び与えていくというものだった。世界には、空、海、風、森、河、草地、砂漠等々が「それ自体」の秩序として存在し、それらに人間が名前(言葉)を与えたというわけだ。これに対してソシュールの「言語の恣意性」の概念は、こういう旧来の言語学的世界像を決定的に�顛倒�する。  まず混沌(カオス)としての世界がある。それははじめどんな意味でも「秩序」をもっていない。つぎに人間が言葉によってこのカオスに区切り目を入れる。「空」、「海」、「風」、「森」、「河」、「草地」、「砂漠」等々の区分を。これがソシュール言語学が成しとげた「考え方の変換」の簡潔な結論である。だがこの区分を可能にしたのは[#「区分を可能にしたのは」に傍点]いったい何かと問うてみるといい。いうまでもないが、生命体としての人間の固有の「欲望=身体」がその必要に応じてカオスとしての世界に区切り目を入れたのである。  こうしてソシュールの言語学もまた、人間はその「欲望=身体」に応じて「世界を言葉によって分節する」ということをはっきりと示唆する。つまり「世界の秩序」とは、「欲望=身体」が紡ぎ出した言葉の産物[#「産物」に傍点]なのである。  ヴィトゲンシュタインの思想もまたほぼ同じ核心を持っている。彼は、言語とは無根拠なルールによって成り立つゲームだと考えよ、と説いた(この言語のルールの「無根拠性」は、ソシュールの「言語の恣意性」の概念とみごとに対応している)。そしてヴィトゲンシュタインは「言語ゲーム」の考え方を人間社会全般に延長する。すなわちつぎのようになる。「世界」の秩序とはそれ自体で存在するものではなく、人間が言葉によって編み上げたいわば「ルールの網の目」にほかならない、と。  こうして、ソシュールやヴィトゲンシュタインにおける�視線変更�をひとことで言えば、「世界はそれ自身の秩序を持つのではない。人間の言語および言語によって編まれたルールや制度の網の目こそが世界の秩序それ自体である」ということになる。そしてニーチェの「力」の思想は、この考え方をいわば「価値論的」に基礎づけているのだ。  いったい何が「言葉」による世界解釈を可能にしているのか。根源的には、生命体の「価値評価」(「欲望=身体」のそれ)がそれを可能にしている。生命体における�つねに自己自身の「保存と生長」をめがける�「力」こそが、およそ「価値評価なるもの」の根源なのである。  さて、こう見てくれば、ニーチェの「力」の思想を懐疑論や相対主義の文脈で捉えると一切が元の木阿弥になるということが明らかだろう。むしろ「力」の思想は、一九世紀後半から二〇世紀のはじめにかけて思想の諸領域で生じた近代的世界像に対する根本的な�視線変更�の一環をなすものであり、しかもそれをまっさきに先駆けたものなのだ。  このような存在論的な原理論によって、「力」の思想はこれまでの古典的認識論を決定的に打ち壊す。「認識」という概念は、伝統的哲学では、客観的事実、状態、事態の正しい[#「正しい」に傍点]把握、などを意味していたが、この視線変更の後にはそれはまったく違ったものとして見えてくる。たとえばつぎのようなアフォリズムを見るがいい。 [#ここから2字下げ] 「認識する」のではなく、図式化するのである、——私たちの実践的欲求を満たすにたるだけの規整や規格を混沌に課するのである。  理性、論理、範疇が形成されるときには、欲求[#「欲求」に傍点]が、すなわち、「認識する」欲求ではなく、理解し算定しやすくすることを目的として、包摂し、図式化する欲求が、決定的となっていたのである……(『権力への意志』)  概念、類、形式、法則の形成をしているこのような強要[#「強要」に傍点](「いくつかの同一の場合からなる或る世界」)は、あたかもそれで私たちが真の世界を確立できるかのごとくに解されてはならず、私たちの生存[#「私たちの生存」に傍点]を可能ならしめる或る世界を私たちのために調整してくれる強要であると解さるべきである、——私たちはそれで、或る世界を、すなわち、私たちにとって算定しうる、単純化された、理解しやすいなどという世界をつくりあげるのである。(同右)  真理の標識としての論理的精確性、透徹性(「真であるすべてのものは、明晰判明に知覚される」、デカルト)。このことでもって、世界の機械論的仮説が望ましいものとされ信ずべきものとされている。  しかしこれは、「単純さが真理の標識である」という一つの粗雑な取りちがえである。(略)私たちの知性に権力と安全の感情を最も多くあたえる仮説が、この知性によって最も優遇され[#「優遇され」に傍点]、尊重され[#「尊重され」に傍点]、したがって真[#「したがって真」に傍点]と表示されるのではなかろうか?——知性はおのれの最も自由な最も強い能力や性能[#「最も自由な最も強い能力や性能」に傍点]を、最も価値多いものの、したがって真なるもの[#「真なるもの」に傍点]の標識として立てる……(同右) [#ここで字下げ終わり]  わたしの考えでは、ニーチェが「力」という概念によってなしとげた視線変更の核心は、つぎのように要約されるのがもっとも妥当である。つまり、「知覚」・「認知」・「認識」・「客観」・「真理」といった「認識論的」あるいは「機械論的」概念の系列を、「肉体」・「欲望」・「快苦」・「力の感情」・「自我感情」といった欲望論的[#「欲望論的」に傍点]、エロス論的[#「エロス論的」に傍点]概念へと�還元�すること。このように言うなら、それが単に懐疑論的、相対主義的な仕方でヨーロッパ形而上学を�解体�するものでなかったことが最もよく明らかになるだろう。   二、生理学としての「力への意志」  ここで、「力」の思想がいったいどのようにして現われたかと問うてみよう。「力への意志」という概念の言葉上の出所は、例のショーペンハウアーの「意志」、つまり「生への意志」からきていると言える。だが彼は『人間的、あまりに人間的』あたりからはっきりショーペンハウアーと訣別している。そして『人間的、あまりに人間的』や『曙光』でわたしたちは、ニーチェの特徴的な思考法として�心理学的裏目読み�と呼ぶべきものを見出す。  たとえばニーチェはしばしばこんな風に問いを立てる。なぜ多くの人々は神の存在を疑えないものと結論するのか。彼らにとって神が存在しなければ生が耐えられないものとなるからだ……。なぜ人間は道徳をもつか。奴隷的精神や絶望からだ……。なぜ「真理」や「客観性」が求められるか。「孤独への恐怖から」だと……。  中期のニーチェにおける�裏目読み�の思考は大変特徴的だが、この発想をせんじつめれば、「人にさまざまな『確信』や『信仰』をもたらしているものは一体何か」という問いになるだろう。  世の中には、神を信じる者、道徳を信じる者、真理を信じる者がいる。人はたいていその信念の「強さ」を信念の「真実さ」の証しのように思い込んでいるが、じっさいは無数の対立しあう「信念」が存在しているにすぎない。根本的なのは、各人が信じているその内実ではなく、誰もが何かを信じざるをえない[#「信じざるをえない」に傍点]という事実だけである。  では「信じる」とは一体どういうことか? それはすなわち、「これはかくかくのものである」と「解釈」し、「価値評価」することにほかならない。それならば、こう問うことができる。人間をして何かが正しいと信じさせる[#「何かが正しいと信じさせる」に傍点]その根底的な本質をどう考えればいいのか、と。たとえば彼はこう書いている。「すなわち、一種の肯定が最初の知的活動なのである! 初めに『真なりと思いこむこと』ありき! それゆえ、どうして『真なりと思いこむこと』が発生したのかを説明すべし!」(『権力への意志』)。  つまりニーチェは、この�人間をして何ものかを信じさせる根本本質�を「力」と呼んだのだ。わたしに言わせれば、ニーチェの「力」の思想が卓越した根源性をもつ理由は、なによりこの問い方が優れているからなのである。  こうしてニーチェ的生理学が現われることになる。 [#ここから2字下げ]  権力への意志は解釈する[#「解釈する」に傍点](——機関の形成にさいして問題なのは解釈である)。(略)そこには生長しようと欲する何ものかが現存していて、このものが他のあらゆる生長しようと欲する何ものかをおのれの価値にもとづいて解釈するのでなければならない。(略)じつは解釈は、何ものかを支配して主となるための手段自身である。(有機的過程は解釈するはたらき[#「解釈するはたらき」に傍点]をたえず前提する。)(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  ここで「権力への意志」(=力への意志)と呼ばれているものは、見てきたようにさしあたり生命体(特に身体をもつ生き物)が必ずもっている「自己拡大の本性」と考えればいい。じつははじめに、あの「何が人間をして何ものかを信じさせるのか」という問いがあった。そしてニーチェは「価値評価」の根源としての「力」が、という答えを示し、その場所から「生理学」をやり直しているのである。  それはこんな感じになる。まずいちばん最初に有機体の「機関の形成」という場面があるが、すでにそこで、「生長しようと欲する何ものか」がある根本的「力」として働いている。生命体、有機物、動物の身体の形成、そしてまた身体器官、感官、知覚能力の秩序、そういった系の根本を貫通しているこの「何ものか」を「力への意志」と呼べばいい。  こうして、一切は生命体の「力への意志」に発し、ここから身体や器官それ自体が形成され、またそれが発する「世界解釈」からさまざまな「世界秩序」が生成されると考えられる。  ところでつぎのような「快と不快」についての考察に注目しよう。 [#ここから2字下げ] 「快」と「不快」のうちにはすでに判断[#「判断」に傍点]がひそんでいる。刺戟は、権力感情を促進するか否かによって異なるからである。(同右)  すべての快・不快の感情が、すでに、総体的有用性[#「総体的有用性」に傍点]、総体的有害性による測定[#「総体的有害性による測定」に傍点]を、それゆえ、目標(状態)の意欲とそのための手段の選出とが生ずる領域を、前提している。快と不快はけっして「根源的事実」ではない。  快・不快の感情は意志の反作用[#「意志の反作用」に傍点](欲情[#「欲情」に傍点])であり、この反作用において知性の中心は、入りこんできた或る諸変化の価値を総体的価値へと固定し、同時に逆作用の導入として固定する。(同右)  快とは、阻害による(なおいっそう強くは律動的な阻止と抵抗による)権力感情の刺戟以外の何ものでもない——そのため快はこのことによって増大する。それゆえすべての快のうちには苦痛がふくまれている。(同右) [#ここで字下げ終わり]  ここでのニーチェの力点は、「快・不快」、「感情」といった「意識[#「意識」に傍点]」における現象は決して「根源的現象」ではないということだ。「快・不快」、「感情」は、ある根源的事態の「随伴現象」にすぎない。根源的事態とは、有機体の「力への意志」がたえず自己自身の拡大を追求しているということであり、この根源性が貫徹される結果として「快・不快」や諸「感情」が存在するにすぎない。そうニーチェは言っている。  この考え方は、さらにつぎのような「価値」の基準の問題にそのまま移されることになる。 [#ここから2字下げ]  この意識のおぼえる快感[#「この意識のおぼえる快感」に傍点]不快感にしたがって、はたして生存は価値[#「価値」に傍点]をもつか否かを測定するということ、これにもまして気狂いじみて逸脱した虚栄が考えうるであろうか? 意識はまさしく一手段にすぎない、——だから快感ないしは不快感もまたまさに手段にすぎないのである!  何で価値[#「価値」に傍点]は客観的に測定されるのか? 上昇し組織化された権力[#「上昇し組織化された権力」に傍点]量でのみである。(同右)  すべての「目的」、「目標」、「意味」は、すべての生起に内属しているただ一つの意志、すなわち権力への意志の表現様式であり変形であるにすぎない。目的を、目標を、意図をもつとは、総じて意欲[#「意欲」に傍点]とは、より強く[#「より強く」に傍点]なろうと欲すること、生長しようと欲することと同じことであり——またそのために手段[#「そのために手段」に傍点]をも欲することともなる。(同右) [#ここで字下げ終わり]  人間が自分の「意識」で作り出すさまざまな「目的」や「目標」や「意味」は、じつは「力への意志」の「より強くなろうと欲すること」、「生長しようと欲すること」という根源現象からの派生形態[#「派生形態」に傍点]にすぎない。そして「意識」はそのことに気づかない。そうニーチェは言う。言い換えると、あくまで「より強くなろうと欲すること」が本質[#「本質」に傍点]で、人間が頭で作り出す「目的」や「意味」などはその仮象[#「仮象」に傍点]にすぎないということだ。「私たちは思い込んでいる[#「思い込んでいる」に傍点]、問題は私たちの快[#「快」に傍点]と不快[#「不快」に傍点]であると——しかし快と不快は、私たちの意識外にある何ものかを私たちがそのおかげで遂行することのできる[#「遂行することのできる」に傍点]手段であるかもしれない」と。  じつはこのあたりがニーチェ思想の中の最もやっかいできわどい場所だといえる。ニーチェは「力への意志」という根本原理、つまり生命体の自分自身を拡張しようとする「力」から出発して一切を説明しようとした。そしてここで彼が強調しているのは、しかしこの「力」は「意識」とは関係がないという命題である。これが論理的に危ういのは、根源的な「力」と「意識」とは無関係であると言った途端、この「力」はまったく�確かめられない仮説�になってしまう可能性があるからである。  わたしの考えでは、ニーチェがかなり強引に人間の「意識」と根本現象としての「力への意志」を無関係[#「無関係」に傍点]なものと設定したことにははっきりした理由がある。それはつまり、もし「意識のおぼえる快感不快感にしたがって」生の価値が測定されるのだと言えば、徹底的な自己放棄にも快[#「快」に傍点]を見出すキリスト教的諸信念を、簡単には批判できなくなるからだ。ニーチェとしては、キリスト教的な「意識」はじつは「力への意志」の本来と反した[#「反した」に傍点]ものだと言わなくてはならず、そのために生理学的なレベルからあらかじめ「根本現象」と「意識」とを切り離しておく必要があったのだ。  ともあれ、「価値」の問題を根本的に根拠づけるためには、認識論的概念を取り払っていわば欲望論的概念を導き入れねばならない、というニーチェの直観は極めて正しかったといえる。だが彼が「力への意志」を人間の「意識」を超えた「根本現象」として設定したとき、それは大変面倒な帰結を導くことになる。つぎのようなテクストを見よう。 [#ここから2字下げ]  だから、「肉体」とか「肉」と名づけられたものに、言いようなくはるかに大きな重要さがあるのである。その他のものは小さな付属物にすぎない。生の全連鎖を紡ぎつづけ、しかもその糸がますます強力となるよう[#「その糸がますます強力となるよう」に傍点]紡ぎつづけるという課題——これこそが課題なのである。(同右)  要約して言えば、精神の全発達にあって問題なのは、おそらくは肉体[#「肉体」に傍点]である。すなわちそれは、一つの高次の肉体がおのれを形成しつつある[#「高次の肉体がおのれを形成しつつある」に傍点]ということの可感的[#「可感的」に傍点]となってゆく歴史[#「歴史」に傍点]である。有機的なものはさらにいっそう高い段階へと上昇してゆく。自然を認識しようとの私たちの熱望は、肉体がおのれを完成しようとする一つの手段である。ないしはむしろ、肉体[#「肉体」に傍点]の栄養、居住の仕方、生活法を変化せしめるべく無数の実験がなされているのである。意識と意識のうちでの価値評価、あらゆる種類の快と不快は、こうした諸変化と諸実験を示すもの[#「諸変化と諸実験を示すもの」に傍点]である。結局のところ、問題なのは人間では全然ない[#「問題なのは人間では全然ない」に傍点]、人間は超克さるべきであるからである[#「人間は超克さるべきであるからである」に傍点]。(同右) [#ここで字下げ終わり]  これがニーチェ的「生理学」(肉体の学)の理論的帰結である。ここでおそらく二つのことがポイントとなる。  一つはここに「ダーウィン進化論」に対抗するニーチェ流の進化観があるということ。それはつまり、生命体においては単なる「自己保存」や「種族維持」ではなく、「力への意志」(より強力な個体=肉体の解放と創出)こそが第一義であり根本現象である、という考え方だ(ここにはジョルジュ・バタイユの蕩尽理論につながるものがある)。  もう一つは「ヘーゲル歴史主義」に対抗するニーチェ流の歴史観があるということ。倫理や道徳によって人間をますます弱体化し平均化することで達成されるような「公平なる状態」が目標なのではなく、弱者のモデルとなる強力な「個人」の創出こそが目標である、という考え方がそれである。  ここでの問題点は明らかである。ニーチェが生の「エロス性」を否認する伝統的な「人間の理想」を批判したのはまったく正しい。しかし、人間の新しい「価値」の根拠を見出そうとするとき、それを「個々の人間の生」とその「意識」から引き離し、その上位に「強力な個体の創出」というメタ・レベル(上位のレベル)を設定したのはおそらく妥当だったとは言いがたい。  というのは、「高次の肉体の形成」こそ根源現象でありかつ歴史の真の目標であると言う[#「言う」に傍点]やいなや、それはたとえば、「神による審判」こそあるいは「絶対精神の現実化」こそ歴史の目標であるといった「フィクション」と、論理上区別がつかなくなるからだ。  だが、結論をいそがないようにしよう。この問題をもっとよく確かめるために、「価値」の根本理論としての「力への意志」という側面に焦点をあてて見なくてはならない。   三、「価値」の根本理論としての「力への意志」  これまで見てきたように、「力への意志」は、存在の思考のうちに欲望相関性やエロス原理をはじめて導き入れることによって、近代哲学の認識論を徹底的に顛倒した。だがそれはまた、「価値」なるものの根本原理として見出されなくてはならない。「根本思想、新しい価値がまず創造されなければならない——それに手をつけずに[#「手をつけずに」に傍点]おいてはならない! 哲学者は私たちにとっては立法者でなければならない」(『権力への意志』)。  ところで繰り返し述べたように「永遠回帰」の仮説は、一切の既成の価値の根拠を廃棄してニヒリズムを徹底[#「徹底」に傍点]するという意味をもっていた。つまりそれは、「何のために苦しみ、何のために生きるのか」という問いに対して、これまでの答えはすべて虚偽のものだった、じつは答えはない、そしてそのことに堪えよと応じるのだ。この答えは当然ニヒリズムを極限まで押しつめる。それは「一切は無意味である」と告げるだけだからだ。  その上でニーチェは、それにもかかわらずここに新しい「価値の原理」があると言わねばならない。またこの新しい「価値の原理」は、これまでの一切の「超越項」を取り払ったのちに見出されるものでなくてはならない。だが一切の「超越項」を取り払って、とはどういう意味か。  まず「神」などは当然存在しない。「真理」というものもない。「人類」や「歴史」の目標といったものも、人格の形成とか、悟り、解脱といった個人的な目標も、すべて任意のフィクションだと考える。さてその上で、人間にとって無前提に「価値」だといえるものが存在するのか否か。言い換えれば、人間にとっての「よし悪し」の根拠といえるものが存在するのか否か。この問いが明確に答えられなくてはならない。 「力への意志」こそがまさしくその問いに対するニーチェの答えなのである。  いまこのことを、わたしなりに整理してみよう。見てきたように、これまでの「世界」という概念はニーチェにおいて「真理」や「客観」という概念から切り離され、それぞれの生命体の�欲望相関性�として成立する諸「世界」へと変更された。したがって、つぎのような命題がとくに重要になる。 [#ここから2字下げ]  世界の価値[#「世界の価値」に傍点]は私たちの解釈のうちにあるということ。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり]  言い換えればこうなる。〈世界の「価値」は世界それ自身のうちに根拠をもたない。それはただ「力への意志」による解釈からのみ生じる[#「生じる」に傍点]〉と。つまり人間の「価値」の秩序、「よし悪し」、「美醜」、「真偽」といった価値の秩序もまた、根本的には「力への意志」による解釈を源泉とする、ということだ。こうして、およそ「価値」なるものの根拠は、なんら超越的なものを想定すること[#「なんら超越的なものを想定すること」に傍点]なく、生命体がもっている根本衝動としての「力への意志」に定位される。  さて、ここで難問が現われる。それはこういう問いのかたちをとるだろう。〈では一体なぜ、ヨーロッパにおいて、生を否定してむしろ虚無を欲するような奇怪な「意志」が現われたのか〉。ニーチェはこう答える。 [#ここから2字下げ]  根本的錯誤[#「根本的錯誤」に傍点]は、私たちが意識性を——それは総体的生における道具であり個別性であると解する代わりに——生の基準として、最高の価値状態として措定することのうちにひそんでいるにすぎない。すなわち、部分を全体におよぼす誤った遠近法であり、——それゆえに、すべての哲学者たちは、或る総体的意識を、生起するすべてのものと共なる或る意識的生命や意欲を、或る「精神」を、「神」を空想することを、本能的にくわだてるのである。しかし彼らに向かって言わなければならない、まさにこのことでもって生存[#「まさにこのことでもって生存」に傍点]は怪物[#「怪物」に傍点]となってしまうと……(同右) [#ここで字下げ終わり]  ヨーロッパ人が大きな誤りを犯したのは、「意識」を価値の基準とすることによってである。人間の「意識」は生の苦悩からルサンチマンを抱く。このルサンチマンから、人間は、「本当の世界」、「彼岸」、「絶対者」、「客観」、「真理」などの諸観念を�捏造�する。そしてこの諸観念を聖化し、絶対化することで、自分たちの生を断罪し、否認するという巨大な顛倒を完成させた。近代ヨーロッパのニヒリズムは、人々がこの巨大な顛倒を自覚できなかったことの結果である。  したがって、「価値」の根拠をキリスト教的ルサンチマンの「意識」とは違った場所に設定する必要がある。ニーチェはこう言う。「『意識された[#「意識された」に傍点]世界』は価値の出発点[#「価値の出発点」に傍点]として通用することはできない[#「ない」に傍点]。すなわち『客観的[#「客観的」に傍点]』価値定立の必然性」がある、と。こうして、「力への意志」が本来もつ「価値」の基準を取り戻すこと、という目標のうちにニヒリズムを克服する可能性が見出される。つぎのようなテクストが興味深い。 [#ここから2字下げ]   権力の[#「権力の」に傍点]「マキャヴェリズム[#「マキャヴェリズム」に傍点]」によせて[#「によせて」に傍点]  権力への意志[#「権力への意志」に傍点]は  a) 被圧迫者のところ、あらゆる種類の奴隷のところでは、「自由[#「自由」に傍点]」への意志としてあらわれる。たんに解放されること[#「解放されること」に傍点]のみが目標とみえる(道徳的・宗教的には、「おのれ自身の良心に対してのみ責任あり」ということである。「福音書的自由」その他)。  b) 権力へと生長しつつある比較的強い者のところでは、権力の優勢への意志としてあらわれる。最初それが失敗におわったときには、この意志は、「公正[#「公正」に傍点]」への、言いかえれば、支配者がもっているのと同程度の権利[#「同程度の権利」に傍点]への意志に制限される。  c) 最も強い、最も富める、最も独立的な、最も気力ある者のところでは、「人類への愛[#「愛」に傍点]」、「民衆」への、福音への、真理、神への愛としてあらわれる。同情、「自己犠牲」その他としてあらわれる。圧倒、掠奪、奉仕の要求として、方向をあたえられることのできる[#「方向をあたえられることのできる」に傍点]大いなる権力量との本能的一体感としてあらわれる。すなわち、英雄、予言者、帝王、救世主、牧人。(略) 「自由[#「自由」に傍点]」、「公正[#「公正」に傍点]」、「愛[#「愛」に傍点]」!!!(同右) [#ここで字下げ終わり] 「力への意志」は生の「価値」の根本基準をなすもの、言い換えれば生に意味を与える[#「意味を与える」に傍点]根拠である。それは「力」が弱い場合と強力な場合で違った現われ方をする。ルサンチマンの大きい場所ではそれは「反動的」なかたちをとるが、ルサンチマンが小さいところでは本来の「肯定的」な力として現われる。そうニーチェは言うのだ。  そしてもしそうなら、「新しい価値定立の原理」は定まり、ニーチェ流の�社会学�たる「階序の教え」の原理が導かれるだろう。すなわち、「最も強い、最も富める、最も独立的な、最も気力のある者」に現われる「力への意志」のありようを、つねに価値の「客観的基準」とすること……。  こうして、「力への意志」という根本仮説の意味がいっそう明らかになる。  一切は「力への意志」の解釈である。しかし、あるときこの解釈は自己自身を歪曲し屈折させるような「負の解釈」を行う。ルサンチマンによって主導されるこの解釈の支配するところでは、人は自己と世界と生とを否定するような「価値」の基準を作り出す。このことが意味するのは、人間は生きる上で何かを信じ何かを目標とする必要があるが、この目標は自己自身を否定するようなものとなる可能性があるということだ。  したがって、どのような目標が最も人間の生と世界を強く「肯定」し、その力を高めるような目標となるかを考えればいい。ここに「客観的価値定立」の基準があるということになる。 [#ここから2字下げ]  何で価値は客観的に測定されるのか? 上昇し組織された権力量でのみである。(同右) [#ここで字下げ終わり]  これも問題の残る文章だが、ニーチェの意を汲めばつぎのようなことだろう。ルサンチマンをもつ人間、したがってまたそこから現われる�つねに他人のことのみを考える�ような諸道徳ではなくて、ルサンチマンを持たない「強者」、高貴な人間における「生への欲望」のありようを、人間一般の「価値」のモデルとすること。「超人」というプランはこういう思考のプロセスから導かれたのである。   四、実存の規範としての「力への意志」 「力への意志」の思想は、「力」の単なる差異関係ではなく「価値」の原理を持ち込むことでこれまでの一切の世界理論を没落[#「没落」に傍点]させるようなものだった。その中心点のひとつは、ドゥルーズが指摘したように肯定的「力」と否定的「力」という「力の質」の原理を立てたことにある。だがここでわたしたちはもう一度、いったい何によって「肯定的な力」と「否定的な力」の区別を規定できるのか、と問うてみよう。  ニーチェの答えを要約すればこうなる。「肯定的な力」とは、まず「より高次な肉体」の形成という、根本現象にとって有意義[#「有意義」に傍点]であるような力の「質」を意味する。しかしまたある場合はこうも言われる。「肯定的な力」とは、「力の感情」をいっそう高揚させるような力の「質」である、と。つまり一方でそれは、「より高次の肉体の形成」という、「意識」を超えた根本現象に関係しており、もう一方で「力の感情[#「感情」に傍点]」という�意識されるもの�に関係しているのである。  わたしの考えでは、ここにはひとつの明らかな矛盾、「力への意志」に関するテクストを読み進んでいくと誰でも突き当たってしまうような矛盾がある。そしてこの矛盾は、ニーチェの思考それ自体に潜んでいたものだと思う。いまそれを整理してみよう。 「力への意志」という「根本現象」を「意識」を超え出た「価値」の根本的根拠と考えれば、それは一種「形而上学」的な仮説、つまり誰も実証できない[#「実証できない」に傍点]ような仮説になる。しかしそうかといって、「力の感情[#「感情」に傍点]」という「意識」のありように「価値」の根本原理をおけば、ルサンチマンを含む「意識」の諸形態を徹底的に批判できない。  わたしの考えでは、ニーチェはこのディレンマを理論的には中途半端なままで(つまり矛盾のあるままに)残した。しかし、直観としてはこの問題を十分クリアしていたように思う。これについて多くを教えるのは、美や芸術における「力への意志」についてのテクストである。いくつか挙げてみよう。 [#ここから2字下げ]  私たちの宗教、道徳、哲学は、人間のデカダンスの形式である。  ——この反対運動[#「反対運動」に傍点]が、すなわち芸術[#「芸術」に傍点]。(『権力への意志』)  芸術家は、いくらかでも有能であるなら、(肉体的にも)強い素質をもっており、力に満ちあふれ、力強い獣であり、肉感的である。(同右)  芸術は私たちに動物的活力の状態を想起させる。芸術は、一方では、旺盛な肉体性の形象や願望の世界のうちへの溢出であり流出である。他方では、高められた生の形象や願望による動物的機能の挑発である、——生命感情の高揚、生命感情の刺激剤である。(同右) 「善と美とは一つである」と主張するのは、哲学者の品位にふさわしからざることである。さらにそのうえ「真もまた」とつけくわえるなら、その哲学者を殴りとばすべきである。真理は醜い。  私たちが芸術[#「芸術」に傍点]をもっているのは、私たちが真理で台なしにならない[#「真理で台なしにならない」に傍点]ためである。(同右) [#ここで字下げ終わり]  芸術のうちには、つまり人間が美的なものエロス的なものを追求する努力のうちには、まさしく生を「肯定する力」を象徴するものがある。なぜならこの領域では、いわば「生命感情」(力の感情)と「肉体的なもの」が調和し、溶け合うからである。それは、宗教や道徳や哲学においてその両者がしばしば対立的なかたちで現われるのと、ちょうど逆なのである。  生の本質が、「精神的なもの」にではなく「肉体的なもの」にあること、言い換えれば、「アポロン的なもの」にではなく「ディオニュソス的なもの」にあること、ここにニーチェの根本的直観がある。「力への意志」とはつまり、この直観を仕上げるための壮麗な理論だと言えなくない。  ところで彼はこう言う。「美・醜の判断は近視的である」と。美醜の評価はむろんなんら絶対的なものではない。「美そのもの」は、善そのものや真そのものと同様何か「超越的なそれ自体」として存在してはいない。美もまた「力への意志」による世界の解釈のひとつなのであって、その意味で何らかの「保存価値」にかかわっているのである。したがって、「畜群人間」は強者や超人とはまた違ったところで美の価値感情をいだくことになる。 [#ここから2字下げ]  アポロン的[#「アポロン的」に傍点]——ディオニュソス的[#「ディオニュソス的」に傍点]。——芸術自身が自然の暴力のごとく人間のうちに立ちあらわれ、人間の欲すると否とにかかわらず、人間を意のままにする二つの状態がある、すなわち、一方は幻影への強制として、他方は狂躁への強制として。(同右) [#ここで字下げ終わり]  芸術にもアポロン的な芸術と言えるものがある。つまりそれは「幻影への強制」を本質とし、苦悩を�打ち消すこと�にその本性をもつような芸術である。しかしニーチェによれば、美の本質はあくまで「生を肯定する力」にある。したがって芸術の本性[#「本性」に傍点]はあくまで「ディオニュソス的」という概念のうちに見出されるものなのだ。芸術とは「苦悩にもかかわらず」生を意欲するものであって、「苦悩」への反動から生を何らかの「幻影」で覆い隠そうとするようなものではありえない、と。 [#ここから2字下げ]  芸術は、生を可能ならしめる偉大な形成者であり、生への偉大な誘惑者であり、生の偉大な刺戟剤である。  芸術は、生の否定へのすべての意志に対する無比に卓抜な対抗力にほかならない。(略)  芸術は、苦悩者の救い[#「苦悩者の救い」に傍点]にほかならない、——苦悩が意欲され、変貌され、神化されるところの、苦悩が大いなる喜悦の一形式であるところの状態へといたる道にほかならない。(同右)  芸術は現実に対する不満[#「現実に対する不満」に傍点]の結果なのであろうか? ないしは、享受した幸福に関する感謝の表現[#「享受した幸福に関する感謝の表現」に傍点]なのであろうか? 第一の場合にはロマン主義[#「ロマン主義」に傍点]となり、第二の場合には後光となりディテュランボスとなる(要するに神化の芸術[#「神化の芸術」に傍点]となる)。(同右) [#ここで字下げ終わり] 「生きんと欲すること」。「生命感情」。「力への意志」。これらはニーチェの語法においてほぼ同じことを意味している。優れた芸術は、例外なく「強壮に」させ、元気づけ、生を励ます。だから、諦めをもたらし、傍観させ、鎮静化するペシミズム芸術とは(ショーペンハウアーによる)、ニーチェに言わせれば「ひとつの矛盾」にほかならないのだ。たとえばつぎのようなテクストは大変重要である。 [#ここから2字下げ]  私たちが事物のうちへと変貌[#「変貌」に傍点]や充実[#「充実」に傍点]を置き入れ、その事物を手がかりに創作し、ついにはその事物が私たち自身の充実や生命欲を反映しかえすにいたる状態とは、性欲、陶酔、饗宴、陽春、敵を圧倒した勝利、嘲笑、敢為、残酷、宗教的感情の法悦にほかならない、とりわけ、性欲[#「性欲」に傍点]、陶酔[#「陶酔」に傍点]、残酷[#「残酷」に傍点]という三つの[#「三つの」に傍点]要素である、——すべてこれらは人間の最古の祝祭の歓喜[#「祝祭の歓喜」に傍点]に属しており、すべてこれらは同じく最初の「芸術家」においても優勢である。(同右) [#ここで字下げ終わり]  あるいはまた、 [#ここから2字下げ]  芸術の起源によせて[#「芸術の起源によせて」に傍点]。——性的精力のありあまる脳神経系統にすぐれて固有であるところの、あの完全なものを作りあげ[#「完全なものを作りあげ」に傍点]、完全なものと見やるはたらき[#「完全なものと見やるはたらき」に傍点](恋人と共なる夕べ、最もささやかな偶然も変貌され、生は崇高なことどもの連続となる)。(略)芸術[#「芸術」に傍点]と美への憧憬[#「美への憧憬」に傍点]は性欲の恍惚への間接的憧憬であり、この恍惚を性欲は脳髄に伝えるのである。(同右) [#ここで字下げ終わり]  ニーチェが言わんとするのはこういうことだ。一切の価値の源泉は「力への意志」だが、人間においてそれはとくに、「性欲、陶酔、残酷」という三つの言葉に象徴される。生はつねにこの言葉に象徴されるような「生命感情」をもとめる。それらは人間の生の起源であり、源泉であり、根拠なのであると。おそらくここに、「人間は何のために生きるのか」という問いに対するニーチェの最も深い答えが隠されている。  たとえば、芸術や恋愛や性欲などにおける「陶酔や恍惚」は、それらがひとつの本質として繋がっていることを象徴的に教えるものだ。つまりニーチェは、「肉体」、「性の力」、「陶酔」、「恋愛」、「恍惚」、「支配欲」といった諸感情の中心を貫いているのは、「力への意志」という強靭な本質にほかならないと言っているのである。  人間はたしかに、これらの諸感情の中で最も強い「生命感情」、生の充実感と生の肯定感を抱くような存在だといえるだろう。そしてニーチェは、生の「価値」の根本的な根拠はまさしくここにあって他のどんな場所にも存在しないと言うのだ。なぜなら、もともと「価値」とは「力への意志」が世界に投げ与えたものであって、世界の隠された場所から人間に投げ与えられたものではないからである。  わたしの考えでは、このような「芸術」や「恋愛」の考察の中において、ニーチェの「力」の思想の深い直観がよく生きている。「より高次の肉体の形成」こそが根源的目標であるというニーチェのやや危なっかしい「聖なる虚言」は、そもそもこの直観を根拠にしているのであって、決して逆ではない。おそらくこの�形而上学的目標�は、ルサンチマンという「意識」をいかに殺すかという戦略の必要から出てきたものにすぎない。  ともあれ、「芸術」や「恋愛」という�愉楽�の体験はつねにある仕方で、わたしたちに生の本質を示唆するといえる。それはしばしば「宗教」とか「道徳」とか「真理」とかいった諸観念と激しく対立するようなものとして現われる。まさしくそのことによってそれは、人間の生が「超越的な根拠」などなくても可能であることを、逆に言えば、生のもっとも深い根拠は人間それ自身の内的な「力」にあることを深く教えるのである。  さて、最後にもう一度、「力への意志」とはどういう思想だったかと問うてみよう。わたしの考えでは、それはいわば「隣人愛」という思想にもっとも根本的に�対抗�するような思想だと言うのが適切である。  キリスト教の「隣人愛」もまたひとつの根本仮説、極めて強力な根本仮説である。それはつまり、「人間はたしかに争いあうが、しかし根本的には人間は、自分を捨てて他者を受け入れ、自分よりむしろ他者を愛することができるような存在である」と説く。なぜなら、結局他者こそ自己というものの根源なのであるからと。  だがニーチェは、この仮説こそその美しいロマン的「幻影」によって人間の生を否定してきた元凶であると考える。むしろまったく逆に、人間をして現実に立ち向かわせるような根本仮説を立てる必要がある。それが「力への意志」なのである。それはつぎのように言う。「人間は自己への欲望を捨てて他者を愛することはできない。むしろ自己への愛[#「自己への愛」に傍点]を通してはじめて他者を愛する[#「愛する」に傍点]ことができるような存在なのである」と。  生の「価値」の根拠はどこにあるか。それは彼岸にも、絶対者にも、世界や歴史の全体にもない。ただ個々の身体(=肉体)の「性欲」、「陶酔」、「生命感情」、「支配欲」、「恍惚」といったもののうちにのみある。したがって人間の世界は矛盾に満ち、苦悩に覆われ、危険きわまりないものである。 「それにもかかわらず……」とニーチェは言う。それにもかかわらず、この世界の「あるがまま」を否認し打ち消そうとし反動へと向かうより、それを是認[#「是認」に傍点]しそのようなものとして世界に立ち向かうことの方がいつでも必ず「生」にとってよい結果を生むのだ、と。 [#ここから2字下げ]  ——あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択することなしに、ディオニュソス的に[#「ディオニュソス的に」に傍点]然りと断言することにまで——。(『権力への意志』) [#ここで字下げ終わり] [#改ページ]   結び  少し前に現代思想ブームというものがあって、日本の思想をすっかり奇怪なものにしてしまった。このブームは西洋の現代思想を輸入して、それを�流行思想�に変えてしまったのだ。新しい思想というものが、このときほどこの国特有の思想的脆弱さの犠牲になったことはない。  輸入思想はポスト・モダニズムと呼ばれた。それは主として、それまでの最強の世界理論だったマルクス主義に対する根本的な批判として登場し、マルクス主義が持っていた「絶対的な正しさ」という観念や「倫理主義」、「歴史決定論」などを相対化する上で大きな力をもった。このこと自体には重要な意義があったと言える。  しかし、マルクス主義批判としてのポスト・モダニズムは、今から振り返ると批判思想としてやや中途半端なところがあった。また日本のポスト・モダニストたちも、このヨーロッパの現代思想を「最新思想」として祭り上げ、ちょうど新しもの好きの若者たちがオールド・ファッションになったものを何でも軽蔑したり嗤ったりするように、もはや�古くなった思想�としてマルクス主義を貶めるという仕方で思想の批判を敢行したのである。  このときからポスト・モダン思想は、ものごとを原理の場所から考えつめていく思考の方法ではなく、ひとつの知的なモードになってしまった。それは、身につけていると�かっこよいもの�、�文化的なもの�、�先進的なもの�、�知的にハイブローなもの�を意味するようになったのだ。  ところで、ニーチェはこのポスト・モダニズムの源流をなす思想家だと言われている。たしかにそのとおりで、ニーチェはポスト・モダニズムにとって最大の思想的源泉だといえる。しかしわたしの考えでは、ある意味でニーチェの思想の精髄とポスト・モダニズム思想の根本性格ほどかけ離れたものはない。ニーチェ思想が何だかわけの分からないものになってきたのは、ポスト・モダニズムがニーチェを祭り上げることによってマルクス主義を超える新思想となりながら、そのじつニーチェ思想の精髄とは全然違うものとなっているという事態によるのである。  そこでわたしは、この混乱したニーチェ像に新しい輪郭を与えてみたいと思った。だからなにより心掛けたのは、一時期おびただしく現われたような難解じみた、持って回った言い回しをやめて、とにかくできるだけ明瞭にニーチェの主張を読者に示すということである。だからこの本は、少なくともニーチェの思想をまず知りたいと思う人には、もっとも能率的にその思想を確かめることができる本になっていると思う。  ここでわたしは、ニーチェからわたしが学んだもっとも重要な考え方の要点を、できるだけ簡潔に示しておこうと思う。もう一度確認しておくとニーチェ思想の大きな三本柱はつぎのようになる。 [#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]  第一に、キリスト教および近代哲学の「真理」と「道徳」観念への批判。  第二に、「ヨーロッパのニヒリズム」についての根本的考察。  第三に、これまでのすべての「価値の顛倒」と、新しい「価値の創造」の思想。 [#ここで字下げ終わり]  第一の、キリスト教と近代哲学への批判について。  この考察の中心はもちろん「ルサンチマン思想」批判ということだが、その核心は「悲劇的」あるいは「ディオニュソス的」という概念にある。そしてそれは、わたしたちが現代社会に対してさまざまな「批判」を試みる際の、いわば批判思想[#「批判思想」に傍点]一般の試金石となるという点によく注意すべきである。  ニーチェのこの「反ヨーロッパ形而上学」は何をもっとも禁じているか。第一に、苦悩と矛盾の意識の�反動�(打ち消し)として、「ほんとうはかくあるべきだ」という出発点をとるような一切の思考法を。第二に、「博愛」や「絶対平等」や「ユートピア」をその基礎とするような一切の思考法を。第三に、絶対的な「他者」から「主体」や「自己」を規定するような一切の形而上学的な[#「形而上学的な」に傍点]批判思想を禁じているのである。  しかしまわりを見渡してみると、現在、まさしくそのような批判思想が沸き立っていないだろうか。これは、ニーチェを源流とすると自称するポスト・モダニズムが、結局今挙げたような思考法を思想的に克服できなかったことの結果なのである。  第二に、「ヨーロッパのニヒリズム」について。  この考察が現在のわたしたちに与えるもっとも重要な問題は、何らかの「超越者」に対する「不信の構造」(信じたくても信じることができない)ということである。  この「不信の構造」は二〇世紀の人間社会にふたつの両極的な問題を生じさせた。ひとつの極は、これまでの「超越者」に代わる何らかの絶対的な理念を人々が渇望するという問題。これはやはりファシズムとスターリニズムという事態に象徴されるが、そのようなファナティスムの可能性はいまだ潜在的に存在している。もうひとつの極は、先進国の消費社会における潜在的で自覚されにくいニヒリズムの進行という事態である。  一方で、途上国、経済的弱者、ルサンチマンをもった人々による絶対的な理念への渇望とそこからくるファナティスムの脅威、もう一方で、持てる者自足せる者における生の目標の喪失。この両極の事態は徐々に深く進行していくに違いない。ニーチェの処方箋は「ニヒリズムを徹底する道すじにのみ活路がある」と告げる。しかしむしろ、その逆[#「逆」に傍点]を夢想する思想が蔓延しているのである。  第三に、これまでの「価値の顛倒」と新しい「価値の創造」ということ。  ニーチェによって敢行された価値の「顛倒」と「創造」の根本的な根拠は何であったか。それをわたしはここではっきりさせておきたい。というのも、このニーチェの理論的「根拠」をつかみそこねたために、ポスト・モダニズム思想は現代批判の思想として決定的に挫折したからである。ポスト・モダニズム思想は、スターリニズムやファシズムにおける、「理念の絶対性」、「義の至上性」(正しいことこそすべてに優先されるべきである)といった諸観念をよく解体した。しかし社会的な批判思想としてはニーチェが強く反対した「ルサンチマン思想」に加担する結果になっているのだ。  ニーチェによる「価値顛倒」の決定的な核心をわたしなりに簡潔なテーゼで示せば、まず「欲望が認識に先行する」ということになり、また「我欲が隣人愛に先行する」ということになる。ニーチェによれば、まず一切は「力」のせめぎあいである。この「力」とは、力学的な概念ではない(だからじつはそれを差異という語で表現するのは適切ではない)。それは「意志」、「意欲」、「価値」、「情動」、「感情」といった概念の系列、つまりエロス論的[#「エロス論的」に傍点]、欲望論的[#「欲望論的」に傍点]力学を意味する。人間の喜怒哀楽、悦楽、恍惚、大きな悲惨、矛盾の意識、そういったものはすべてこの力学に由来する。わたしたちが探求すべきなのはこの力学の原理である。矛盾を小さくする努力はその道を通るほかないのだ。  人間の「意味」と「価値」の秩序の原理は、このエロス論的、欲望論的力学のうちに存在する。ニーチェは、この「根底的思想」の前でその他さまざまな世界像は「没落する」であろうと予言した。  ニーチェが何を「禁じ手」にしたか。どんな道を通るべきだと説いたか。わたしたちは現在、このニーチェの根本的な考察を見て見ぬふり[#「見て見ぬふり」に傍点]をして通りすぎるべきではない。現代社会の思想の動向はまさしく反ニーチェ的状況だと言える。その意味でわたしたちは�反時代的�たる理由をもっている。現代の思想はもう一度ニーチェを発見しなおす必要があるのだ。 [#改ページ]   あとがき  学生の頃、『ツァラトゥストラかく語りき』というタイトルの本を、ニーチェという名前につられて読んだことがある。いったい何が言いたいのかさっぱり分からなくて途中で投げ捨ててしまった。しかしこの「さっぱり分からない」は、文字通りの「言わんとすることが分からない」ではない。夥しいニーチェ的「断言」の脈絡が見えず、なぜそういう奇怪な主張をするのかがまったく理解できなかったということだったと思う。  そののち二十代の半ばをすぎてもう一度読んだのだが、このときは背筋が震えるほど引きつけられた。理由ははっきりしている。わたしが、青年期に特有の「正義」の思想に深くつまずいていたからである。 『ツァラトゥストラ』一巻は、要するに一九世紀の�福音書�である。イエスのそれではなくツァラトゥストラによる福音、「キリスト教的」なそれではなく「ディオニュソス的」な福音の書。それはたとえば、「貧しい者こそ幸いである」と説く代わりに「君が貧しければ、まず自分自身のルサンチマンとたたかえ」と説く。また「まず他人のために尽くせ」と説く代わりに、「正義を言いたてる者こそ、最も警戒せよ」と説く。つまり徹底的なアンチ・キリスト、徹底的なアンチ・モラルの書だ。だからそれは最も危険な思想と見なされたりした。  およそ「哲学」や「思想」は「善きこと」を求める努力である。そのことは誰も否定しないだろうし、実際ヨーロッパの哲学や思想はそのような努力の営々たる歴史だったと言える。しかしニーチェは、ヨーロッパにおいて自明になっていた「正義」、「善」、「道徳」、「倫理」といった諸観念をはじめて徹底的に疑ったのである。  だが肝心なのは、この疑いがまさしく�方法的�なものだったということだ。方法的とは、それがけっして疑いのための疑いではなく、むしろ「善きこと」の根拠を真に強靭なものとして確かめるための疑いだということである。ニーチェはじつに根底的な仕方で「正義」、「善」、「道徳」の諸観念を疑い、そのことによってまた、じつに優れた仕方でわたしたちの「善きこと」への希求の力を�強く�しているのである。  現在「善きこと」への志を持つ人がいるなら、わたしは是非とも一度はニーチェ思想の深い森の中を通ってみることをすすめる。仮に彼が結果としてニーチェを否定することになるとしても、そこで、「善きこと」への努力がほんとうに強靭なものとなるための多くの難問に試されることになるだろう。つまりそれは「羊のロマン主義」を「狼のロマン主義」へと鍛えるような思想なのだ。一九世紀末に生まれたこの�危険な思想�は、二一世紀以降の人間社会への最大の思想的遺産のひとつになるにちがいない。  いま、ほんとうに力と元気の出るようなニーチェの入門を、と言ってこの企画をすすめてくれたのは筑摩書房の井崎正敏氏である。ちょうど禁煙のあとのリハビリの仕事になったが、おかげでなんとか社会復帰できるメドが立った。この場所を借りて感謝します。   一九九四年八月 [#地付き]竹田青嗣 竹田青嗣(たけだ・せいじ) 一九四七年、在日韓国人二世として大阪に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、明治学院大学国際学部教授。哲学者、文芸評論家。大学では人間論、現象学を担当。在日作家論から出発し、文芸・思想評論とともに、実存論的な人間論を中心として哲学活動を続ける。在日朝鮮人であることを思想の出発点にしながら、民族、共同体などの帰属性を超える原理を探求。現象学、プラトン、ニーチェをベースに、哲学的思考の原理論としての欲望論哲学を展開している。『〈在日〉という根拠』『陽水の快楽』『意味とエロス』『現代思想の冒険』『世界という背理』『夢の外部』『現象学入門』『「自分」を生きるための思想入門』『恋愛論』『エロスの世界像』『自分を知るための哲学入門』『力への思想』『ハイデガ−入門』『プラトン入門 』『言語的思考へ』など多くの著書がある。 本作品は一九九四年九月、ちくま新書の一冊として刊行された。